6/22・三田/藍丸山砦跡ツーリング

3:30に目を覚ましたので少々ゴソゴソし、明るくなりだすのを待って、春秋用バイク装束に着替えました。
4:29出発。
長尾山トンネル~r325~r33~r68~r49から千丈寺湖畔を走りr309。
「須磨田」交差点からr310。
この道は広くて交通量が少なく、家内のバイク練習道No1お気に入りです。

右折してR176を北上開始します。
宝塚からR176でも来れるのですが、佐曽利カルデラが作った北摂里山地帯を走った方がすっと楽しいから、いつもこちらのルートを利用します。

R176を北上し、JR藍本駅横を走り、5:28「藍丸山砦」。
R176から丘の上にある東屋が見えていましたのですぐ見つかりました。
バイクを置き、砦攻めです。
20180622AiS0008s.jpg 標高差もちょっとなので走れば30秒で山頂です。
20180622AiS0109s.jpg 砦風東屋があり、内部に謂れ・動植物・砦建築などの写真があり、訪問帳に感想など書きました。

『日出坂・丸山四方山話 日出坂は古くから開けた村で、摂津名所図会によると大阪天満橋から日出坂峠まで13里15町余り(52km)とあり「国を出る時涙が出たが、藍の日出坂唄で越す」と唄われ、峠の途中には茶店が軒を連ね、こんにゃくに味噌をつけて焼いた田楽が旅人に好評で、日出坂名物が藍の名物となった。
この地、丸山には応仁の乱(1464年)には既に砦が築かれており、その後赤松教康の子・千童丸が軍功により義尚将軍に仕え、藍氏を名乗り藍岡山城を築きました。初代城主伊勢守康則となり、丸山は出城(砦)として使われました。2代目が加賀守、3代目が出雲守で、出雲守の頃は戦いに明け暮れる戦国時代で、三田地方でも戦いがありました。摂津・丹波国境を固めていた出雲守の軍勢も、一国一城の主を目指した伊丹の有岡城主・荒木村重の軍門に屈し、天正7年春、丸山出城も消失しました。
西前方の山は虚空蔵山で、日本三体の1つとされている。山麓は古くから桜の名所として知られ、西山桜と呼ばれ天然記念物に指定されていました。このヤマザクラは明治32年の阪鶴鉄道の開通時には樹齢300年にたっし、日出坂トンネルを通過する汽車と桜を楽しむため多くの人がここを訪れました。
藍村小唄にも「北は日出坂、さくらが丘よ、花のトンネル、国境よいとこ美里の藍村よ・・・」と唄われている。
このヤマザクラも、昭和のはじめ営林署により老木数本が伐採されるに至り、日出坂部落民全戸署名による中止申請で中止されました。その後戦時中の燃料不足から伐採され、炭として焼かれ、数本が昭和30年後半まで名残りをとどめていましたが、40年には消滅しました。
私は、自然保護のさきがけとなった日出坂の先人達の思いに感銘し、場所は違いますが日出坂の中央に位置するこの丸山に桜を植樹しました。頂上の祠には水の神様である弁財天女神が祀られています。この弁財天にまつわる話に「丁子源蔵物語」があります。
落ち武者・丁子源蔵は、藍に来て武を誇りに勢力を張った。もと今田城主であった三村但馬守は、清水寺の戦いで油井の酒井氏に敗れ、藍本庄に来て三村と名乗り土着帰農した。その時より何かと武を誇る源蔵と対立し、ついに2人の大決闘となったが源蔵はこの決闘に敗れ、それを恥じて武庫川の淵に一夜の雨に散っていった哀れな物語である。
時は慶長9年3月で、以後この淵を誰言うこともなく「丁子淵」「源蔵が淵」と言うようになったと言われる。その後、日出坂は年間幾度となく洪水に襲われることとなり、村人たちは多量に流れた土砂を取り除き「おどり場」といわれた所に運び上げ築山となし、その上に水の神様をお祀りした。同時に丁子源蔵の供養石碑も丁子淵に祀られた。
明治28年、県道建設(現R176)により弁財天や供養碑は移され、この地に祀られるようになった。
参考文献:「三田史話」児玉尊臣著、「駅路・藍の里」橋上清著、「郷土の城ものがたり」兵庫県学校厚生会、「有馬郡誌」 文責:谷口誠司』

20180622AiS0114s.jpg 朝霧の薄い雲を通して朝日の輪郭が見える。
これが好きなんですよね。
20180622AiS0121s.jpg 「ハリボテ砦」の横に「弁財天」があった。
バイクに戻り、枝道を南下する。
武庫川を渡る細い橋上に止まり川面を激写。
川の草の生え具合が、「ホタルがいそう」。
更に進むと未舗装農道になり、ここから国道に繋がっていそうになく、時のUターン。

R176に出て、JR藍本駅の方に入ってみる。
横を通過し、「酒滴神社」前も通り、r75に出て、6:24「藍岡山城跡」。
城攻めに入ると、村落の墓地があり、「天明年間(1781~88)・文化4年(1807)」のたぶんご夫婦のお墓があった。
とっくに無縁仏になっているだろうに、利用価値のない山懐なのでそのまま健在になっている。
中世の山城要素は、江戸時代以降の利用により喪失しており、堀切跡と思われる場所を特定できる程度だった。
道に戻ると、田んぼの奥に続いていく舗装路が気になった。
西の低山の峠を越え次の集落に続いているのかも?地図では、r75は更に南に向かい、虚空蔵山の裾野を迂回するようにして東の東条川に抜けている。
峠越えの道かもしれない。

バイクに戻り、早速峠越え出来るかチャレンジするが、あっけなく未舗装路になり、Uターン。
r75に戻り、あぜ道を走りR176に出て南下します。
「波田」の武庫川蛇行地に入ります。
「藍丸山砦」の謂れ板に書いてあった「堀相模守館跡」があったようです。
20180622AiS0170s.jpg 山城ではありませんが、天然の水堀が三方を囲み守るのに易い地だったのでしょう。

20180622AiS0172s.jpg 周囲を探り、6:50地蔵祠を見つけ、バイクを置きここから突入。
20180622AiS0173s.jpg 突入してすぐ、キツネに遭遇した。
鹿や狸はよく見かけるし、イノシシにもたまに出会うが、キツネは珍しい。
「堀相模守館」の守り神なのかもしれない。
一家族生息しているのかな?
僕の不審な物音に気づいて、オスが偵察に出てきたのかも?
キツネを追ってゆっくり道を歩いていくと、右手に墓地があり、更にその奥に入ろうとすると、上空からギャアギャアと鳥の鳴く声が聞こえてきました。
どうやら、サギのねぐらがあるようです。
カメラで下から巣を捉えるのは難しいが、墓地の方に入り上空をカメラで狙うが、幼鳥?成鳥?が羽ばたくのがちらちら見えるだけで、聞こえるのは鳴き声だけでした。

館跡の痕跡を見つけたかったが、藪こぎ必須になってきたので諦めてバイクに戻った。
武庫川沿いの道を走り、R176を渡りr310。「須磨田」からr309、千丈寺湖を渡る橋で、いつものように鷲と野鳥を狙う一眼レフ大砲持ちの方が2人構えておられました。
水鳥も狙え、ナイスなポイントです。

r308~千丈寺湖沿い~r49、「志手原」交差点からr37~r323、「波豆川口」から南に入り、r68を渡りr33~r325~長尾山トンネルを抜けて、8:11帰宅しました。




6/17・ヨット部同期パーティー/リーガロイヤルホテル

16時まで「そこまで言って委員会」見ながら昼寝し、学生時代のヨット部ライバル校D社同期H君がやってるレストランの30周年パーティー(17~20時)に出発するまでゴロゴロ。
気のおけない友人でドレスコードもないので何でも良さそうですが、「リーガロイヤルホテル大阪」開催なので、ジャケット+コーチしてる大学ヨット部公式ヨットネクタイにします。
バイクPもあると確認しているので、「通勤リード110」に乗り出発。
r13~R2で16:29ホテル着。

20180617FruitS0103s.jpg 20180617FruitS0104s.jpg 20180617FruitS0112s.jpg ロビーなどの写真を撮りながら、2F「ペリドット」へ。
受付が始まっており会費1万円を払いG席とのこと。
受付にはお若い女性2人・男性1人いました。
娘さんたちと旦那さんかな?
Hくんとこは女の子2人だったはず。
受付を終えるとHくんの和服の似合う奥さんが「Hの家内です」と挨拶してくださいました。
「うちは女ばかりで肩身が狭いわ」なんてHくんは日頃こぼしていたけど、あれは嘘だね。
綺麗な奥様なので、お嬢さんたちも綺麗。

20180617FruitS0115s.jpg 16:52、席に着きました。
10人ほどの円卓で、D社ヨット部関係者席でアウェー感たっぷりでした。
周りのあと2つのテーブルがヨット関係者で、1つのテーブルがH君家族+従業員席でした。
僕のテーブルがD社ヨット部OB内で若い者からの席のようで、最年少はD社OBじゃないけど、D社OBと組んでロンドンオリンピックに出称したU君で、次がD社現監督S君でした。
S君とは先週まで3週連続レースだったので、毎週顔を合わせていました。

春にコーチしてる大学ヨット部の西宮遠征でお世話になった大阪大ヨット部GMさんの司会でパーティーが始まりました。
Hくんが挨拶します。
40名ほどのパーティーを予定していたのが、130名になっちゃったそうです。
趣味の詩吟関係、かつてやってたダンス関係、ビジネス街にあるのでお客さん電通や富士通のエライサン・・・それぞれの挨拶や詩吟・ダンス・ピアノ演奏・・・で楽しい時間になりました。

左隣が、D社ヨット部運営委員長Yさん(H2卒)。
よく琵琶湖のレースでレース委員長をしておられます。
その隣が西宮YHでうちの先輩とクルーザーに乗っておられる方夫婦。
息子さんが僕の母校KG卒だって。
右隣が僕と同期のD社OBのO君。
学生以来で全くわかりませんでした。
僕が自己紹介したら、「あれ~同期じゃん、Kくんか~顔は忘れたけど名前は覚えてるよ~」僕と同じ状態です。
その隣が僕の1回生下が2人。
当時の話で盛り上がりました。

S監督隣にUくんが座っていたのでその席に行き3人であ~だこ~だ。
Uくんはオリンピック出場後、西宮の酒造メーカーの娘さんと結婚し西宮に住んでいます。
ちょうどこの日このホテルで、奥さんの妹さんの結婚式があったそうで、向こうを中座してきたようです。
なんという掛け持ち。
ヨットには乗っていないようなので、コーチしてる大学ヨット部へのコーチングを依頼しました。「いやいや、まずはD社に来てよ」とSくんが。
Uさんと組んでたM君は、次男がお世話になった中高ヨット部の先輩で、息子が中学生の時高校生でした。
そんな関係で息子のこともレースで何度も一緒になってるので、反対に「息子さん、どうしてますか?」と聞かれました。

次男が中高ヨット部時代にお世話になった僕の3回生上のD社OB先生に挨拶しに行き、僕含め地元伊丹市出身KGヨット部OBで作ったジュニアヨット部から先生の高校に上がった子が2人今年の1回生としてD社・KG・早稲田ヨット部に進学したので、彼らそれぞれの将来性などを聞きました。

プロセーラーとして紹介され挨拶したこれまたオリンピック選手Hさんに挨拶しました。
D社コーチでもあり、去年何度もハーバーで会いました。
膳所高ヨット部OBで、スナイプ協会や滋賀県ヨット連盟でも中心人物です。
今年春D社ウィーク前に、コーチしてる大学ヨット部の練習に混じってくれました。
Hさんにも「・・君どうしてます?」と琵琶湖水域で対戦相手としてよく走った息子のことを覚えていてくれ気にかけてくれていました。
ありがたいことです。

締めの時間になりました。
20:03、D社ヨット部応援歌とエールを、僕の1回生下のエール係Y君の指揮にて。
さすがエール係、振り付けを覚えていますね。
現役時代何回やったのだろう。
その後も近い代の結婚式などで駆り出されたのだろうな。

Hくん家族が前に出て、Hくんがお礼の挨拶を短く。
「いつまで出来るかわからないけど、お客さんが来ていただける間は続けようと思いますんで来てや」。
20180617FruitS0118s.jpg 続いて長女さんの挨拶。女性なのに弁が立ち、おじさんたちの笑いを取っています。
Hくんはパパなんて呼ばれていました。
「家では最低なパパでしたが、今日ちょっとパパの株が上がりました」
「フライパンを毎日振っていたパパのおかげで、私達はここまで成長出来ました」
「明日もレストランは営業しますのでご贔屓に」
・・・お母さんは花束を、Hくんは記念品をお子さんたちからもらっていました。

お開きになり、テーブルの皆さんに挨拶します。
出口で挨拶してるH君一家への挨拶行列ができていたので、D社監督S君とあ~だこ~だ話します。
S君は僕らKGOBが作った伊丹ジュニアヨットクラブに入部した子で、ヨットのヨの字から教えました。
教えてた小学生低学年だった子が昨年全国制覇した大学ヨット部の監督だって・・・僕はもう生きる化石になってきたね。

「ジュニアヨット協会50週年誌が立派で、過去成績データが充実してる」と驚いていたので、現理事長は僕が理事を辞める時、次に出てもらった人だよと教えてやりました。
Sくん後輩のお母さんです。
僕が協会理事だった頃、広報委員長や全日本選手権・世界選手権選考会で事務局長などしてた時、手伝ってもらいました。
最初はクラブ主催レースのアシスタントをしてもらいましたが、仕事が早く熱心で出来る女性でした。
大学ヨット部OGでもありうってつけの人材です。

僕が持ってた過去成績データもみな提供しました。
「50周年記念パーティー」も今日でした。
昼間なので誘われていましたが、会場が東京だったのでパスしました。
H君レストランパーティーに先に誘われており、残念でした。
日程がずれていればな~

D社OB連中は、これから夜の街に繰り出すのか、ホテルで飲むのか、適当に分かれて過ごすのでしょう。
僕は帰路に着きます。
「なにわ筋」~R176~十三筋。加島交差点からr10に乗り換え、阪神高速下を北上し、21:13「セルフ北村SS」で給油。
180km/3.85L=46.8km/L。

6/17・家内と「道の駅・神戸フルーツ・フラワーパーク大沢」

「道の駅・神戸フルーツフラワーパーク大沢」へ家内と一緒に行きます。
お盆に次男一家が帰省した時、一緒に行く場所候補に家内が上げたので、2日前の早朝ツーリングで下見に行きました。
果樹園があり、桃・ぶどう・なし・などの果物狩りが出来ます。
お盆なので、アクセスや混み具合・2才の子が楽しめるか?などが気になりました。
駐車場が広く、遊園地があり、道の駅とは思えないほど敷地が広い。
ホテル・プール・芝生広場など、遊ぶところは充実しています。

駐車場は24hオープンで、奥のホテルも24hオープンだからいつでも行けますが、遊園地オープンが10時なので、その時間到着予定で、9時頃家を出ようと予定していました。
4時頃目を覚まし自室でゴソゴソし、8時前に階下に降りると家内がお化粧中でした。
着替えも終えており、「もう行けるよ」とのこと。
お腹が空いたのでバターごはんを食べ、着替えて8時過ぎに出発しました。

R176で宝塚中心部を抜け、r51ワインディングロードで有馬温泉に入りました。
時間があるので、前回買えなかった「有馬サイダー」を購入しようと。
温泉街の朝は遅いので、路上駐車して「銀泉」前のサイダー専門店に行こうと思っていましたが、9時では遅すぎました。
前回6時はガラガラだったのですが、日曜日朝9時は多くの人です。
目ざとく「サイダー」の幟を見つけ、家内が買ってきてくれました。
今用に1本と、次男夫婦用に2本。

r506~r82~r78で、フルーツフラワーパークの果樹園に車を入れます。
観光果樹園には入れなさそうですが、ゴーカートが数台走っています。
楽しそう。
10:15「フルーツフラワーパーク」到着。
駐車場は1/2以上車で埋まっていました。
神戸市の後押しで「KK神戸ワイン」が運営していたけど、お客さんの入りがイマイチだったのでしょう運営が変わったテーマパークなので、平日はガラガラ、日曜日だって駐車場は満車にならないと予想していたのですが大人気のようです。
お盆は駐車場待ち行列ができそう。

「ファームサーカス」を見て、入園料が無料なので「遊園地・神戸おとぎの国」に入りました。
20180617FruitS0008s.jpg 「空中散歩スワンサイクル」「観覧車」「メリーゴーランド」「ジェットコースター」「水の上をボールに入って散歩するアクアボール」「ミニトレイン」・・・2才児が乗れる乗り物調査です。
いろんな表示が薄くなり少しくたびれていますが、小さな子~小学生が楽しめる遊具が多くGood!

ホテルに向かいます。
向かって右側の回廊を歩きましょう。
20180617FruitS0027s.jpg 売店で、「果実バー」と言う棒アイス発見。
1本320円という観光地価格ですが、お盆には食べようかな。
BBQテラスを見て、左右回廊の中に広がる噴水庭園で家内を激写。
すでにBBQを始めているお客さんがいます。

「わんぱく広場」から果樹園の方に下って行きましたが、結局今回も果樹園入口が見つけられませんでした。
その季節になったらわかるでしょう。
長い滑り台を滑ろうと思っていましたが、「ペンキ塗りたて」なのかクローズでした。
20180617FruitS0049s.jpg 10:49「ゴーカート乗り場」。
混んではいませんが、ぼつぼつゴーカートが出発して行きます。
コースが長いので楽しそう。

20180617FruitS0060s.jpg ホテル裏側に、SLルックな園内バスが置いてあり、「観光農園」営業中乗せていってくれそうです。
こちらもペンキがハゲ気味で、やつれ感が昭和しています。
前進は1993年(平成5年)開業だけど。JR三田駅行き送迎バスが出発していきました。
20180617FruitS0072s.jpg ホテルに入ります。
20180617FruitS0074s.jpg 売店一番人気のお土産は、「ぶどうクレープケーキ」でした。

お昼を食べましょう。
ホテルレストランのバイキングは2000円ですが、それほどお腹が空いていないので元が取れそうになくパス。
20180617FruitS0079s.jpg 中華のお店は、ラーメンやチャーハンの単品もあり良かったが、「サンフラワーカフェ」に入りました。
僕は「クリームパスタードパスタ690円+ドリンクセット150円」、家内は「シーフードパスタ840円+ドリンクセット150円」。
11:29に精算して出ます。
入口にパンが陳列されており、それとドリンクのお客さんも多かった。
パフェなどもメニューに有りGood!
お昼の時間でもBBQは空いていました。

「神戸モンキーズ劇場」をじっくり見ました。
冷暖房完備で、入場料は無料です。
ギャランティー(投げ銭)システムで、所属12チームで上位4位までが出演できるそうです。
11時に開演しており、次が13時で入りませんでした。
所属チームのお猿さんたちが出演したTVや映画の宣伝がされていました。

家内も「何あの木?」って「けむりの木」に気づきました。
20180617FruitS0095s.jpg 赤い哺乳瓶ブラシのような「ブラシの木」が咲いていました。
20180617FruitS0099s.jpg 「ファームサーカス」まで戻り、観光バスのお客さんが入っており混雑していた売店に入ります。
「神戸サイダー」が売っていました。

12:30道の駅を後にして、「大沢IC」から「神戸北有料道路」に乗り、「神戸北JCT」で山陽道~中国道・宝塚ICで下車し帰宅。

6/16・鷲峰山林道~大宮神社~琴平神社~ヨット部練習

「いざ、林道へ」と思いその道を登って行きましたが、山は見えているのに下ったり民家が増えてきたりで、ロストしちゃった。
途中に「鷲峰山」と書かれた枝道もありましたが未舗装で入れませんでした。
地図を見ると、「大道寺」前の分岐が正解だったようで、もう一本の道に行くことにします。
これもロストしちゃった。

R307に下り、また「大道寺」への枝道に入り、今度は林道への枝道に入れました。
キジのメスを前方に発見し、飛んでいくまで待機。
森の中の道になり、「鷲峰林道」に入ったようです。
20180616WashiP0738s.jpg 「林道・御林山線」との分岐がありました。

20180616WashiP0747s.jpg 6:37「地福谷」。
「鷲峰山ハイキングコース」になっているようで、案内地図が立っていました。
「密漁禁止・メジロを取らないで」の表示も。

コンクリート舗装のガタゴト道になり、しばらく登っていくとバリケードが道の中央に出現し、少し広い舗装林道に突き当たりました。
走ってきた道は、車が入らないよう封鎖されていたようです。
20180616WashiP0762s.jpg 舗装林道を少し走ると、金胎寺入山口があり、300mで鷲峰山山頂との表示がされていました。
山頂の山寺ですね。

鷲峰山林道を、北から登ってきたので、東向きに下ります。
南向きに下る道もあり、この山は舗装林道で山頂直下までいろいろなルートで上下できます。
東に下りながら、北に下っていく舗装林道の分岐もありました。
この分岐にはバリケートはなく広く、登ってきた道が最も道の悪いルートだったようです。

交通量のない舗装林道を気持ち良く走りました。
木々の切れ間がたまにあるものの、外界を見下ろせほどでもなくサイトシーイングはイマイチでした。

r283に出ました。
ここは「穀池峠」で、和束町と宇治田原町との境の峠です。
r283を北に下り、R307に出ました。
R307を東に走り、長いトンネルを抜け、左折してR422を北上します。
旧道への入口があちこちに開いているので、GPSの鳥居マークに惹かれ適当に入ると枝道を入り、20180616WashiP0772s.jpg 7:32「大宮神社」。
境内を守る鎮守の森に巨大杉が林立し、社殿の手入れはイマイチですが、雰囲気があります。

R422に復帰し、旧道に入ったり戻ったりして、7:43「琴平神社」。
境内に入るところにロープが張られ社殿は朽ち果てそうですが、大杉は半端なく霊気さえ感じるお宮でした。

R422に戻り北上し、「富川磨崖仏」に寄り道しましたが、山を登っていかねばならず時間切れ断念。
R422~r29で瀬田川左岸を走り、「瀬田の唐橋」で右岸に荷りR422。
道なりにr102~r18で浜大津~R161でヨットハーバー着。

コーチしてる大学ヨット部員みんなに挨拶し、桟橋に行って「助六寿司」で朝食にします。
9時になりブリーフィング後出艇し、帆走練習・マーク回航練習。
20180616WashiP0797s.jpg ブームセンターの位置・メインセイルリーチの開き・リーチリボンの流れ・ジブリーチの開き・下マーク回航の詰め方・・・気づいたことをアドバイスしました。

午後の練習は、全艇でスタート練習したり、強制的に半数をスタート3分前にラインに入らせたり、本番のレーススタート同様の混んだ状況を作りました。
北からの良い風にも恵まれ、良い練習になったと思います。

17:30にハーバーバックし、先に合宿所に戻ります。
夕食を作り終えた女子マネさん達が、PCであれやこれややっていました。
持参したタブレットを出し、ヨット部LINEに登録してもらいました。
前週、「私とお友達になり、私が招待しますよ」と言ってくれた2回生Nさんがいなかったので、4回生のSさんが「私とお友達でいいですか?」と、サクサク登録してくれました。

ミーティング前、横にいた3回生Nくんがバッグから雪肌精(コーセーのお化粧水)を出して顔にパタパタしていました。
シャワーで日焼け止めを落としさっぱりした後のお手入れです。
「雪肌精か、良いのを使ってるね」と言うと、「実家に帰ると、母親から「汚い顔して」と言われ「お手入れしなさい」と渡されるんです。僕はマメに手入れしていますよ」
「そうか、うちの家内も同じで、息子には3000円の日焼け止めを帰省するたびに渡していたんだ。僕には何もないのに・・・」
「僕もですよ、ほら」と、資生堂アネッサの日焼け止めが出てきました。
どこのご家庭も、母親にとっては息子が一番の恋人ですね。

気づいたことをミーティングで話し、美味しい夕食をみんなと食べ、帰路に着きました。
いつものように男子部員にも女子部員にも、背中を叩いたりお礼を言ったりしながら出口に向かい、湖西道路~名神高速~中央縦貫~R171。
20:48「エッソセルフ北村」で給油。
174km/7.49L=23.2km/L。






6/16・宇治田原町/御栗栖神社~大道神社

コーチしてる大学ヨット部の練習に参加します。
先週は前日雨で早朝ツーリングを諦めましたが、今週はGO!です。
前回走った「大峰山林道」の南にある「鷲峰山林道」を探索します。

3:30に目を覚まし、「里山VTR250」に乗り出発。
4:05近所の「ローソン」で「キリン小岩井ミルクコーヒー162円+助六寿司399円=561円」購入。
御用達GSで満タンにしようと思ったらまだ開店前でした。
セルフなのに朝閉まっているんだ。

R171~中央縦貫道で、4:20「エッソ中環豊中SS」で給油。
150km/4.72L=31.8km/L。

吹田ICから名神に乗り、大山崎JCTで京滋バイパスに乗り換えます。
宇治西ICで下車し、r241で宇治川土手を走ります。
r3にチェンジし、世界遺産「宇治平等院」横を通り、宇治川渓谷を気持ち良く走ります。
「天ヶ瀬ダム」横を通り、r62にチェンジし宇治川沿いを離れ支流沿いを遡ります。

20180616WashiP0693s.jpg R307にチェンジし、枝道でショートカットして再びr62に合流し、5:25「御栗栖神社」。
『御栗栖神社(みくるすじんじゃ) 「御栗栖神社の大杉」が天然記念物。 南地区に鎮座する旧郷社で、祭神は天津彦根命、現在は南地域の氏神「一の宮」として「田原祭(三社祭)」を構成する三社のひとつです。
弘安6年(1283年)6月、荒木の大宮神社から分祀されたのを起こりとされていますが、それより古い時代に豪族が土地を寄進した記録もあり、正確な創建年代は定かではありません。周辺の栗林から産する栗は、古来より、その光沢と味の良さによって知られており、「宇治拾遺物語」に登場する天武天皇の煮栗焼栗伝承に由来するといわれます。その栗は、毎年11月15日禁裏御所に献上する習わしで、明治20年まで続けられました。社名である御栗栖は、こうした朝献の栗林が、次第に人々の信仰を集めるうちに定着したものではないかと言われていますが、この栗林も現在は茶畑にかわり、昔日の面影はありません。
20180616WashiP0696s.jpg 社殿は一間社流れ造りで、末社として天照大神、天満宮、皇森社の三社があります。境内はスギ・カシ・カエデなどを中心に多くの樹木が生い茂り、大木も多いため、野生動物も多く見られるなど、良好な自然環境が保全されています。境内でもひときわ大きな杉の神木は、町内でも最大級の樹木で、町指定文化財(天然記念物)に指定されています』

R307まで戻り、「鷲峰林道」に続く枝道に入ります。
5:48「大道寺」。
『奈良時代に山岳修験の道場として開かれた金胎寺の北側登山口として、早くから聞かれた地に天平勝宝8年(756)大納言三品湯原王(施表皇子の御子)の発願により、鷲峰山中興の越知泰澄大師が開基。大伽藍も配置されていたが、その後衰退していたのを嘉承元年(1106年)11月、藤原忠実の帰依により再興し、それより大御堂と称したという。その後にその子頼長に伝領されたが保元の乱後、没宮領として田原庄など諸国の頼長領と共に後院領に入れられた。その後、平治の乱で殺された信西の所領となっていた。大道寺の南端にこの信西を供養した宝篋印塔が立つ。信西は俗名を藤原通憲と称し、「本朝世紀」「法曹頻林」などが著した学者であったが、平清盛と結んで権勢を誇った。清盛の熊野参詣中、対立者の源義朝は兵を挙げ、信西は信楽に逃れようとして宇冶田原まで来たが、この地で自害したと言われている。いわゆにる平治の乱である。
「百錬抄」平治元年(1159)12月17日に「少納言入道信西首、廷尉於川原請取、波大路懸西獄門前樹、件信面於志加良木山自害、前出雲守光保所尋出也」とある。「平治物語」古活字本には都を追われた折に「宇治路にかかり、田原が奥、大道寺といふ所領にぞゆきにける」と記されている。一説には、自害した屍は胴のみ近くの寺に納めて胴塚として祀られ、首は都でさらされていたのを大道寺の領民がもらいうけて、この地に塚を築いたといわれ、近くに信西首洗いの池と称する小池もある。大道寺はその後も修験系の寺院として栄えたが、以後400年もの間興亡を繰り返し、ついに戦国末期に、織田信長による寺領没収に会って滅亡に近い寺院になったと伝えられる。とくに昭和28年の山城水害には裏山より土砂が崩れ落ち、寺は潰滅した5体の仏橡のみかろうじて難と逃れ、以前書庫とされていた御堂に安置されていたがその建物も近年老巧化はげしく、平成16年10月に現在の建物を新築し、本尊不動明王をばじめとする仏像を安置する』

20180616WashiP0710s.jpg 近くに「大道神社」があった。
扁額には「天神社」と掲げられている。
20180616WashiP0720s.jpg 神仏習合時代、大道寺の守護宮だったのかな?石段を上がり境内へ。
「本殿」と「木造男神立像」は、宇治田原町文化財に指定されているようです。
20180616WashiP0724s.jpg 彩色された綺麗な本殿でした。
20180616WashiP0729s.jpg 道路に戻り、「信西入道塚」がありました。

『宇治田原町指定文化財・信西入道塚 藤原信西(通憲)は平治元年(11599 )、源義朝らのクーデターを知り、田原の領地に逃げ込んだが追ってきた源氏の軍兵に殺害される。大道寺の領民はこの場所に塚を築いてその菩提を弔ったと言われている。大正5年8月に有志により供養塔が建てられ今に至る』


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