4/16・京都「上品蓮台寺」~「上賀茂神社」

平野神社を東に出て、紙屋川を渡り、北野天満宮の北縁を東に沿い、五辻通~七本松通経由で「千本通」に出て左折し、千本通を北上しました。

すぐに目指す「上品蓮台寺」に到着、7:38。
駐車場がわからず一周して、仕方なく路上駐車して車を離れると、駐車場が目の前にありラッキー。
駐車場が桜舞い散る一面の花びらで素晴らしい。
20170416RokuS147s.jpg 背の低い枝垂れ桜が、鐘楼の前に華を与えています。

ここも満開で、花期の短いソメイヨシノだけが見納めになっているのだなと、改めて思いました。
20170416RokuS154s.jpg よく手入れされた枝ぶりの枝垂れが多く、造形美を感じます。
優秀な庭師を感じます。
井戸の桶が竹で、風情があります。

20170416RokuS156s.jpg 参拝出来ないお寺ですが、中の覗くと渡り廊下がお庭を渡り、いい雰囲気です。
少し歩くと良いアングルが見えてきて、激写激写で、なかなか前に進めません。
20170416RokuS167s.jpg 竹で作られて手水に桜の花びらが重なり、ナイスです。
20170416RokuS170s.jpg 底の浅い側溝が花びらで埋まり、ピンクの道になっています。

20170416RokuS175s.jpg 紅白ツートンのチューリップが綺麗に並んで咲いています。
「別名:桜寺」と呼ばれてもいいほど、桜をフューチャーしたようなお寺でした。

千本通を北上すると、佛教大学がありました。
正門前交差点を斜め右に進むと「北山通り」、次の交差点名が「紫野泉堂町」という名で、これまた風情がある。
道なりに東に進むようになり、堀川通に出て左折し北上。

賀茂川を御薗橋で渡り、7:59「上賀茂神社」
駐車料金は、「30分以内100円」で、30分で戻ってくるぞ。
家内は「寒いから車で待ってる」だって・・・お洒落は我慢なのだそうです。

20170416RokuS185s.jpg 開店前ですが、植木市をやってるようです。
20170416RokuS186s.jpg 神馬舎を覗くと、白馬は出勤前のようです。
20170416RokuS191s.jpg 内鳥居前の枝垂れ桜が綺麗に咲き誇っています。

『上賀茂神社と謡曲「賀茂」 秦氏の妻女・玉依日売(たまよりひめ)が、当地の御手洗川で水を汲んでいると、白羽の矢が流れてきた。持ち帰り、軒に挿して置いたところ懐妊し男子を産んだ。その子が3才の時、父が雷と知り、天に昇って別雷(わけいかずち)神となる。この神を杞ったのが当神社で、正式名を賀茂別雷神社という。神社は京都でも最も古い神社の1つ。雷神を祀ることから、厄除けのほか、五穀豊穣の神として農民の信仰を集めた。謡曲「賀茂」は、こうした神社の縁起から創作された曲で、五穀豊穣・国土守護の神徳を讃えた「初能物」である。平安時代初期から400年に渡って、伊勢神宮の斉宮と同様に斎院が置かれ、歴代皇女が奉仕してきたこともある』

玉依姫は、古事記・日本書紀に数人登場します。
『「心霊を寄り付かせる娘」と言う意味で、名前というより普通名詞に使う』と、僕のコンパクト神話辞書に書かれている。

最も有名なのが、綿津見の娘で、豊玉姫の妹・玉依姫です。
葦原中津国(日本列島)に天孫降臨した天照大神の孫ニニギと、絶世の美女木花咲耶姫(このはなさくやひめ)との子・山幸彦物語に登場します。

兄・海幸彦の釣り針を亡くしてしまった山幸彦は、兄に叱られて竜宮城のモデルになる海の底にあるワダツミの御殿にやってきます。
歓待され、魚の助けで釣り針を見つけ、好きになった豊玉姫と結婚し、地上に戻ります。
やがて子を産みますが、「絶対に見てはダメよ」と山幸彦に言ったのに、見てしまいました。
山幸彦は、豊玉姫が本当の姿・サメになって出産しているのを見て驚いてしまいます(鶴の恩返しのモデル)。

怒った豊玉姫は泣きながら海に帰ってしまい、赤子の世話ができない山幸彦は困ってしまいます。
そこに登場するのが、豊玉姫の妹の玉依姫で、赤子を立派に育て上げ、やがてその子の妻になり、神武天皇を産みます。
神武天皇の母としての玉依姫です。

上賀茂神社神話に登場する玉依姫は、「山城風土記」に登場する。
でもこの神話は、記紀の大物主命の神話に似ている。
葦原中津国にニニギより前に下った素盞嗚命の子孫・大国主命は、兄たちの迫害にめげず葦原中国の王になり、スクナビコナ命(一寸法師のモデル)の助けを借り、地上を開拓していった。
スクナビコナが去り困っていた所に登場するのが大物主命。

大和三輪山で、一目惚れした絶世の美女セヤダタラ姫を獲得するために、赤い矢に姿を変え、彼女の家の厠(かわや)の下を流れる清流を流れていきます。
厠に座っている美女の真下まで流れ、一気に彼女のホト(陰所)を突いた。
彼女がその矢を持って自分の部屋に戻ると、大物主命は姿を戻し彼女と結ばれた。
こうして生まれた娘が、成長し神武天皇の后となる。極似ですね。

4/16・京都「平野神社」

枝道を西に走り、千本通を南下して「今出川通」に出て更に西進すると、先月「福家堂本舗ロケ地巡り」した「上七軒交差点」から「北野天満宮」前を通ると、京福電鉄北野線終点の「北野白梅町駅」が正面に見えます。
北野白梅町・・・なんて素敵な地名なんでしょう。

西大路通を北上すると平野神社の裏・西になってしまい、北側を迂回して東側の正面駐車場に来ました。
20170416RokuS096s.jpg 7:14「平野神社」

僕の中では、京都の桜ナンバーワンスポットです。
朱鳥居前ににしだれ桜が下がり、良いじゃないですか。
流石にここはこれまでの寺社と違い、桜目当てのcamera小僧が多くいます。
枝垂れが満開で、今が旬です。

「庭桜」という品種の小ぶりの桜が綺麗に咲いていました。
家内が、これ可愛いから庭に植えたら?と言いますが、桜は毛虫が発生し、長男が刺された時、父が怒って切り倒した因縁があります。
これは大丈夫なんだろうか?要チェックです。

20170416RokuS099s.jpg 『沿革 奈良時代末期の延暦元年(782)『続日本紀』に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」とあり、平城京の内に祀られていました。ここは桓武天皇の父・光仁天皇の御所でした。この地には延暦13年(794)平安遷都と同時に御遷座されました。当初境内地は方八町余(1.2km四方)で、京都御所とほほ同じでしたが、時の変遷と共に現在の200m弱四方となりました。
御神階 平安時代になると御祭神は急に位が上がり、貞観6年(864)には今木皇大神が正一位の位を授けられました。その前年貞観5年には久度・古開両大神に正三位、比賣大神は従四位上に叙させられています。
社格と称号 『延喜式』(律令の施行細目、平安時代初期の延喜年間に着手され延長五年(927完成)によれば、全国唯一の「皇太子御親祭」が定められた神社です。同式の「神祇官式・祝詞」には「皇大御神・皇大神」と称され、また「東宿坊式」には「神院」と言う宮中神と同様の扱いを受けております。『文徳天皇実録』仁寿元年(851)には勅使を「平野神宮」に遣わすとあります。全国でも数社に限られる「皇天御神・皇大神」「神宮」。宮中神である「神院」これらの尊称から宮中外の宮中神であったことが窺えます。このようなことから当社は皇城鎮護の神を定めた「二十二社」の五位に列せられました。また明治4年には官幣大社に列格しております。
20170416RokuS115s.jpg 宮中・平野御竃 『延喜式』の『内膳司式』によれば、天皇の食を饗する御竃には「平野・庭火・忌火」の3竃があり、庭火御竃は平時の食膳、忌火御竃は祭時の食膳を饗し、平野御竃は健康・吉祥を司る御竃であるとされています。これは平野四神の御神徳が一体となり常に宮中と関わりを持ち、天皇をお守りしていた事にほかなりません。
ハ姓の氏神と伝奏家 奈良時代末期から「臣籍降下(皇族が源氏・平氏などの姓を賜り臣下になること)」の制度が定まり、臣籍降下した源氏・平氏はじめ高階・大江・中原・清原・菅原・秋篠各氏氏他天皇外戚の氏神であるとされ、臣籍降下の流れを汲む公武に尊崇されました。当社が宮中外に祀られたのは、この臣籍降下と深く関わっているようです、『源氏物詣』の光源氏は臣籍降下した一族の繁栄を願った平野大神の顕現であるとの説も一理あるようです。江戸期には平氏嫡流の公卿、西利腕家が当社の伝奏家(天皇に取次言上する役)を勤め、現社殿の復興をいたしました。東大鳥居の「平野皇大神」の御神号額は、当代の西測院文昭氏の揮毫です。
20170416RokuS119s.jpg 異説 中世期、仁徳天皇が平野の神であると言う説が広く信じられていました。
これは仁徳天皇が民家に煙が立たないのを御覧になり、免税したと言う逸話を当社の竈神に付加した説です。江戸時代に国学者の伴信友が著作『蕃神考』で、「今木神は百済王なり」にとの説を、根拠となる史料を改宣(自説に都合よく変える)して唱えました。今でもこの説を敷桁した説が時折出されますが、学問上では否定されています。
名所・桜苑 江戸時代には「平野の夜桜」として桜の名所として全国に知られ、特に珍種が多く現在も約50種約400本の桜が植栽されています』

20170416RokuS129s.jpg 種類が多いので、春は長く桜を楽しめる神社でしょう。
枝垂れ桜が満開ですし、「衣笠」という品種も綺麗に咲いています。
本殿内から塀玉垣を越えて枝を張る「白雲桜」の真っ白な花が満開で、板塀とのコントラストが素敵です。
20170416RokuS134s.jpg 背が低い「一葉桜」が地面近く満開になっており、八重に咲いて綺麗です。
境内の一部は、散った桜の花弁で敷き詰められている感じになっており、地面さえ綺麗です。

4/16・京都「六孫王神社」~「雨宝院・西陣聖天宮」

『王は生まれつき気質温厚で好文博学にして武道にも励み、承平天慶の乱にも鎮守府将軍として任地に赴き乱を平定、その功により天皇より源姓を賜り、源朝臣を名乗ることになり、やがて武門の棟梁として名を天下に知られることとなった。
経基王は64才で薨去され、遺言に「亡き後も霊魂は龍(神)と化し、この西八条亭の池(境内中央の神龍池)に住みて、子孫の繁栄を祈らん」と申された。御子の源満仲公が応和3年(963)に王の邸宅であったこの地に葬り、その前に社殿を建立したのが当社の始まりである。
鎌倉3代将軍・源実朝が、公暁に暗殺された時、実朝夫人が亡夫の菩提を弔うため出家し、この地に庵を結び、萬祥山大通寺と号し、六孫王神社を鎮守社として明治維新政府の神仏分離令により、また東海道線敷設により、九条大宮南へ移築される迄盛衰をともにした。
特に北条政子(頼朝夫人)が、室町時代は代々将軍家が多くの社領を寄進し、源氏の宗社として保護したが、足利義満の時代に社殿仏閣がほとんど炎上し、応仁の乱により社領を奪われてしまった。江戸時代に入って元禄13年より徳川家・清和源氏嫡流諸侯共に再興に取り掛かり、宝永4年(1707)に竣成し、盛大に祭儀が執行された。元禄14年、東山天皇より権現号・正一位の神階を賜り、名実ともに京都洛南の名社として栄えた。
末社の弁財天像は、弘法大師作と言われ、経基王が子・満仲誕生の折、産湯に使われた井戸の上に祀ったところから誕生水弁財天と呼ばれ、幼児の守護神(井戸の水は安産・健育の産湯として都7名水の1つに数えられていた)として、無病息災の守り神として。霊験あらたかな絵ご祭神である』

源氏の巴紋の入った瓦、絵馬掛けには多くの絵馬、おみくじが枝に下がっています。
朝一番ということと観光コースから外れていることで、ゆったりと鑑賞できました。
20170416RokuS054s.jpg 家内はおしゃれのため薄着してきたので寒いと、毛布を羽織っての拝観ですが、写真写りの良い女性がいると華があっていいです。
朝、黒い柄ストッキングを履いているのを見て、「綺麗だよね」と思わずスリスリしちゃいました。
細くてまっすぐな脚が気に入っています。

堀川通に出て北上します。
「西本願寺」横を過ぎ、「二条城」を過ぎ、1ヶ月前家内と「福家堂本舗・京都ロケ地巡り」で来た堀川を過ぎ、左折して今出川通、枝道を入って、6:54「雨宝院・西陣聖天宮」
20170416RokuS062s.jpg 聖天さんは男女のまぐわいの神様、ちょっとエロチックで、でもとても大事で、いつも不思議な秘めた何かを感じる。

『北向山雨宝院と号する古義真言宗の寺で、「西陣の聖天さん」として親しまれている。本堂に安置する本尊「聖天(大聖歓喜天)像」は、821年弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇の御悩平癒を祈願して安置したものとされ、それが当寺の始まりと伝えられる。観音堂に安置する千手観音立像は、重要文化財に指定され、大師堂の本尊は汗をかくほど辛いことでも助けてくれる「阿吽汗かき弘法大師像」として知られている。境内南東には、その水を染物に用いるとよく染まるとして有名な「染殿の井」があり、夏の干ばつ時でも涸れることがない。本堂前の「歓喜桜」は、御室の八重桜と同種のもので、根本から八重の花を咲かせる。その隣にある「時雨の松」は、久邇宮(くにのみや)智彦親王が当院参詣の折、その下でにわか雨をしのがれた』

20170416RokuS071s.jpg 八重桜と枝垂れ桜が満開で、コンパクトな境内を華やかにしている。
『日本最古とされる大聖歓喜天が祀られる寺 大聖歓喜天は象頭人身の像で、多くは男女2体が抱き合う姿で表され、財宝・夫婦和合を祈る本尊とされる。この寺の歓喜天は単身の像とされていますが、絶対秘仏のため姿を見ることが出来ません。歓喜天は古代インドでガネーシャと呼ばれる粗暴で邪悪な神でしたが、仏教に帰依し、魔障を取り除く神となった。広大な境内を誇りましたが、応仁の乱で荒廃し、のちにその子院・雨宝院のみ再興されました』

20170416RokuS072s.jpg 本堂は覗き穴で覗けるようになっており、歓喜天の神秘性もあってドキドキしながら覗きます。
本尊を見てみたいが、秘仏故当然見えませんでした。
歓喜天像は、その刺激性故か多く秘仏で、たまに見ることができると、なるほどねと思います。

20170416RokuS080s.jpg 『染殿井 染色に適した軟水で、西陣の染色業者達が「染物がよく染まる」と重宝した。本隆寺の「千代の井」、首渡八幡宮の「桜井」、個人宅にある「安居井」、鹿子井とともに「西陣五水」に数えられる。染色には大量の水が必要ですので、狭い区域にこうした井戸が沢山あることも西陣が染物で栄えた理由の1つだったかもしれません。因みに京都御所内にも清和天皇の母君が住まわれた「染殿」にちなむ「染殿井」という同じ名前の井戸があります。飲料には適しませんので、手水としてご利用ください』
ここの手水は、流水ではなく井戸水を直接汲むようになっています。

20170416RokuS084s.jpg 『千手観音立像 平安時代初期の漆箔観音像 この像は、千手観音にしては腕の数が少なく、実際のところ10本しかありませんが、かつては多くの腕を持っていました。切れ長の目を閉じ、静かに胸の前で合掌して立っています。指先に至るまで、気品あふれる優美な像です』
20170416RokuS094s.jpg このお寺は、桜鑑賞の最適日でした。

4/16・京都「六孫王神社」

コーチしてる大学ヨット部の新人勧誘の手伝いの日です。
大学から琵琶湖の艇庫まで、新入生を運びます。
9:30の便の運転手を頼まれています。

1週間前同様、そろそろ終わる桜を求めて、それまでの時間を京都散策することにしました。
桜で有名な京都のスポットで、朝早い時間帯ということで、24Hオープンな神社を中心に計画を練りました。
円山公園・平安神宮・上賀茂神社・平野神社は、何度も訪問したことのある場所です。
上品蓮台寺・西陣聖天宮・六孫王神社は、訪問したことがありません。

土曜日帰宅すると、家内から「お父さん、明日何時からなの?」
「私も京都に桜観に行きたいなあ、10:30に大阪に行かなきゃならないのだけど、行けるかな?」
お~、朝からデート出来ます、願ったり叶ったり。
「もちろん一緒に行こう、電車ルートなどを考えるから任せといて、ありがとうね」
「何時に出発?」
「起きたら、5時に出発したいけど、無理しないで。用意ができたら行こう」
先週の訪問地と満開の桜のことを話していたので、行きたくなったのでしょう。

京都から家内の大阪の目的地を結ぶ京阪電車の時刻表を調べ、桜探索計画を決定し、ポータブルナビに登録したので、寝るのが少し遅れ11時になっちゃいました。
当然いつもの4時の目覚めが遅れ、5時に目覚めました。
慌てて階下に降りたら、家内はお風呂に入っており、速攻で着替えました。
車に荷物を積み込み、5:33に出発しました。

豊中ICから中国道に乗り、名神高速・京都南IC下車。R1を北上し、東寺交差点を曲がらず直進し、6:20「六孫王神社」
20170416RokuS002s.jpg 六孫王は、清和天皇の第6王子の子で、「源」の姓を賜り、臣籍降下されました貴族武将・源経基で、清和源氏の祖です。

桓武平氏の勢力下だった関東に下り、自らの勢力拡大のため地元豪族と揉め事を起こし、武勇が抜きん出て一大勢力を誇った平将門に包囲された所で、京に逃げ帰り「将門が朝廷に対し謀反を起こした」と吹聴し、「賊軍・将門」の立場を作ります。
将門追討軍の将となり、京を出発し関東に向かうが、到着した時には既に俵藤太秀郷によって将門の首は取らてていた。

20170416RokuS012s.jpg ほぼ同時に瀬戸内海西部を本拠として起こった「藤原純友の乱」にも将として追討軍に参加したが、こちらも小野好古の活躍で勝利して京に凱旋するという強運の持ち主です。
この「好古」という名前ですが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公・秋山真之の兄の名です。
真之は、戦艦三笠に作戦参謀として乗船し、東郷平八郎の下でロシアバルチック艦隊を殲滅しました。
兄・好古は、騎兵隊の父と言われ、対ロシア戦で満州で存分に武勲を立てた。
歴史を紐解き、我が子に英雄の名を付ける父親の姿がかっこいいと思う。
僕も、息子たちには戦国・江戸時代を生きた大名の名を付けたので、親近感を感じます。

ここに六孫王・経基が祀られていると知り、期待を膨らませての訪問です。
20170416RokuS019s.jpg ソメイヨシノは終わりかけでしたが、枝垂れ桜が見頃でした。
20170416RokuS021s.jpg 小さな池に朱色の太鼓橋がかかり、池面をソメイヨシノの花びらが覆いいい感じです。
薄緑の桜が咲いており、造幣局の今年の花「鬱金(うこん)」だと思ったら、「サトザクラ」となっていました。
20170416RokuS025s.jpg 帰宅後調べたら「サトザクラ」は園芸品種の総称ということなので、品種は「鬱金」で間違いないしょう。

20170416RokuS029s.jpg 玉垣・神門は、予想外に立派で、こんな神社を見つけられてラッキーでした。
真横を新幹線の高架が通り、京都駅に入る新幹線がひっきりなしに通るので、神域を感じることはありませんが、桜の穴場であることには間違いありません。

『清和源氏の祖・六孫王経基を祀っている。この地は経基の邸宅のあった場所で、その子・源満仲が応和年間(961~963)に社殿を建立した。元禄13年(1700)当社北隣・遍照心院・南谷上人(能筆・作庭家)が幕府に請うて再建し、鎮守とした。これが現在の社殿である。本殿に経基、相殿に天照大神・八幡大神を合祀している。本殿背後の石の基壇は経基の遺骸を納めた場所で、神廟と言われる。境内北の弁天堂内には満仲誕生水がある。古くから京都名水の1つとされている。江戸時代は源氏縁の神社として、武家の信仰が厚かったことは、境内石灯籠に松平吉保など諸大名の寄進者名が見えることで忍ばれる』

20170416RokuS033s.jpg 木彫りの小型白馬が、神馬舎に収まっていた。

4/13・IVYリーグ・プリンストン大学を観たい

長男からメールが有りました。

長男からの「アメリカのボクんちに遊びにおいでよ、貯まったマイルで飛行機チケット手配するから」のリクエストに応え、「9月の連休に重ねて5日間」と返事したら、「5日間じゃ時差ボケで2日間だけのアメリカになるよ、もっと長く休めないか?」と再検討を促され、「じゃあ、9月上旬に1週間」と答えていました。

今回のメールはそれに対する答えで、「9月上旬は、1週間ぐらいスペインとイギリス出張が入りそうなので、9/17(日)発~9/24(日)着の一週間でどう?」とのことです。
家内に話すと、「それで良いんじゃない、返事しといて」とのことで決定しちゃいました。
日本同様ハリケーンの季節だけど、来たら来たでいいやと決定です。
ニューヨークの車で1時間南なので、日本で言えば秋田県や岩手県の緯度なので、強烈なのが来る確率は少ないかな?と思って。

特に観光する宛もなく、長男一家と遊べればOKです。
近所のIVYリーグ・プリンストン大学を観たいと思っているだけです。
僕は、アメリカントラディショナルのIVYリーグ男性ファッションを日本に広めた「VANジャケット」の洋服を大学時代好んで着ていました。

アメリカの白人入植者が上陸し、インディアンを殲滅しつつ拡大していった東海岸北部に設立された伝統大学の総称が、「アイビーリーグ」です。
ブラウン・コロンビア・コーネル・ダートマス・ハーバード・ペンシルベニア・プリンストン・イェールの8大学です。
東京六大学のように、スポーツリーグが初めだったようですが、六大学がそうなったように、IVYリーグも入学超難関校になり、アメリカのエスタブリッシュメントを輩出している大学です。
蔦が覆うトラディショナルな校舎を、この目で観て回りたいです。

世界大学ランキング2017を見ると、3位ハーバード・11位プリンストン・15位イェール・18位ペンシルベニアでした。
因みに、34位東大・37位京大です。

長男は、大学院時代ネズミの卵由来のES細胞から世界で初めてネズミの心臓に分化させた教授のチームで、インシュリンを生成するランゲルハンス島を作り出す研究をしていましたが、日本では倫理基準が厳しく、人の卵の入手が困難で、幹細胞から一旦卵のような万能細胞に戻して、そこから進化させていました。
韓国では人の卵の入手が容易で、どんどん追い上げられていましたが、韓国第一人者の画期的論文が「全くのウソ」と判明し韓国ES細胞研究界はガタガタになり、長男の隣の研究室の研究員が「ウソ論文」で新聞沙汰になったり、最先端研究の危うさの中にいました。

大学入学時は、家から自転車で通ってたぐらい近いのに、院生になると研究実験があまりにハードで、研究室に寝泊まりし細胞に餌をやったりしていました。
学部生の時、長男を気に入り引っ張ってくれた教授への恩があったのですが、こんな人生を続けて行くのが嫌になり就職しました。

院生のときは、自宅のあちこちに英文のコピーが散乱していました。
ネイチャーやネイチャーメディスンなど、世界的研究雑誌のコピーで、すぐに研究室メンバーで手分けして要約し、研究員で最新情報を共有するそうで、猛烈に勉強していました。

数年後、京大の山中教授が皮膚細胞から万能細胞に戻すiPS細胞で革命を起こし、卵由来のES細胞の研究は一世代前になってしまいました。
小保方さんのSTAP細胞をニュースで見て、iPS細胞より万能細胞化が簡単なので、また日本人研究者だと小躍りしました。
再現性がないということでお払い箱になりましたが、マスコミが煽った小保方さんへのバッシングは酷いものでした。
最先端研究なので、ミスや勇み足は付き物です。
長男によると、ネイチャー論文でも、多くは再現性がなく確立されたものではありません。
たまたまの偶然でウマく行ったことを発表し、それをヒントに他の研究者が研究を上書きし、段々と再現性のある確立したものになっていくのが研究の世界です。

小保方さんはどうしているのだろう。
理化学研究所という、日本一の研究機関という環境でもっと研究できていれば、再現性のあるSTAP細胞を作れるようになっていたかもしれません。
論文執筆のときは、連名で名を載せたのに、マスコミバッシング後の再現実験では女の子1人に任せ、なんちゅう研究所やと憤慨しました。
男として、かっこ悪いです。
いずれ再現性のあるSTAP細胞が脚光を浴びると予想しています。

話が随分逸れてしまったけど、長男は最新研究学会などで何度もプリンストンに出張していました。
それを含め、毎月のようにアメリカ・ヨーロッパに出張していました。
アメリカには世界の知が集まっており、世界的学会も多いので、アメリカ赴任になりました。
長男は、プリンストンを拠点に、相変わらず世界中を飛び回っているようです。
アメリカブランチの責任者なのに、腰を落ち着けず、彼の話好きで明るく前向きな性格からして、楽しんで仕事をしているのが想像できます。

僕らが行く時に、できるだけ休めるよう仕事のスケジュールを組んでくれているのでしょう。
有り難いことです。
長男のお嫁さんが僕らを車に乗せて引き回してくれると思うので、「まな板の鯉」「老いては子に従え」でいようと思います。

夏になれば、僕のパスポートを復活させなければなりません。
家内は人生初めてのパスポート取得です。
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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