5/21・アメリカのフォトスタジオ

長男のお嫁さんから、メールが届きました。
次男・こうくんの1才誕生を記念し、フォトスタジオに家族写真を撮りにいったそうです。
長男も次男も「スタジオアリス」好きなので、子どもたちの記念日には毎回撮りに行っています。

アメリカのフォトスタジオ初体験です。
アメリカでは、日本のスタジオアリスとは違って、お店のカメラマンが赤ちゃんをあやして、大泣きしていても一瞬の笑顔を切り取ってくれることはなく、その分親が奮闘するそうです。
こうくんは、いつもと違う雰囲気を警戒し、大泣きだったらしく夫婦で大汗かきながら奮闘したそうです。

いつものように、クラウドに写真をアップしてくれています。
それをダウンロードすると、背景はホワイトバックだったり、シンプルな柄物バックだったりで、その他の小物は椅子だけでした。
きっとアンパンマンの人形を出汁に笑わせたりしないのでしょう。
ただシンプルバックなので、人物が引き立っていました。

Kamiya407510457-005s.jpg こうくん1人だけじゃなく、兄弟写真、りょうくん1人のジャンプ写真、家族4人写真など、いろいろでした。
スタジオアリスのデコレートしたものとは大違いです。
スタジオアリスのように、子供に特化したスタジオではなく、一般の写真館での写真のようです。

Kamiya407510457-006s.jpg こうくんは、上4下4本歯が生えており、顔も体も引き締まり幼児から子供に変わってきています。
そしてお嫁さんの美貌が更に上がっていました。
日本にいた時から綺麗だったのですが、こうくんにおっぱいを吸われて体重が少し減ったと言ってるからか、20代のはちきれんばかりの若さから、落ち着いた大人の女性の雰囲気が出てきているように見えます。

実は、僕の目に家内が最も綺麗に見えたのは、30代でした。
僕が好きなのは、竹久夢二が描くような華奢な体格で着物の似合う女性なので、あのモデルも30代だったのかもしれません。
結婚し子を産み、旦那を含め家族の安定した食生活・住生活を自分がコントロールしている自信からくる落ち着きが滲むのかもしれません。
Kamiya407510457-011s.jpg お嫁さんが中心の4人の写真が、幸せで安定した家庭を想像させます。
この写真が一番好きです。
やはり人は、自分が役立ってることを感じることに幸せに感じるのかもしれません。

Kamiya407510457-014s.jpg 女性も男性も、結婚し家庭を持ち、愛する人との子供が生まれ、手のかかる5才以下の子がいる時期が、最も人生が充実している時かもしれません。
仕事にも慣れ働き盛りで、1人での自由な時間が少なくても、充実した家庭生活が体から落ち着きと美しさを溢れさせているのかもしれません。
長男が、とってもいい男に見えて仕方ありません。

Kamiya407510457-017s.jpg 子や孫、つまり子孫の笑顔は、人生最高の喜びです。

5/21・新羅善神堂~学生ヨットレース

兄・八幡太郎義家とともに、源氏武将のヒーロー新羅三郎義光は、ここで元服したのですね、知りませんでした。
清和源氏の嫡流から分家を起こした河内源氏が、この2人の登場により、奥羽の役に朝廷から派遣され平定したことから、遠征軍兵士を調達した関東に領地を賜り、関東地盤の桓武平氏(平将門の末裔など)に代わって関東に地盤を持つようになった。
これが河内源氏のその後に大きくプラスし、鎌倉幕府も室町幕府もここを地盤にする源氏の戦の強さから成った。

八幡太郎義家流れから、足利氏や新田氏が出ているが、新羅三郎義光は、武田氏・佐竹氏・小笠原氏・南部氏という名だたる戦国武将の祖です。
新羅三郎のお墓が、新羅前神堂の裏にあったらしい。
案内板がなかったので見過ごしたが、いずれ訪問してみたい。

20170521OsakaS246s.jpg 6:43になったので、早朝史跡探索をお終いにし、r47~R161でヨットハーバー着。
4大学の定期戦2日目です。
今回はうちが主催なので、レースに出る12艇・24人+支援艇含め10名ほど以外の部員は、レース運営に出ます。

8:30出艇予定でしたが風が弱くハーバー待機になりました。
先月入部した1回生たちに声を掛け話しました。
女子マネージャーも5人入部してくれ、頼もしい限りです。
男の性で、女子マネージャーとの会話の方が楽しく長居しちゃった。

隣では、京都府の国体予選が開催されており、ジュニア時代に海外レースに引率したY君が、高校ヨット部の教員・引率者として来ていました。
京都海洋高校ヨット部員とも話しました。
新しくヨット部が出来た高校で、場所さえ知りませんでしたが、宮津湾の東の半島の東海岸にあるそうです。
学校の前が海で、すぐに練習に出れるそうです。
水産科の府立高校だそうで、漁師・船員などになるそうです。

少し風が出てきたので、国体予選のレース艇が出艇し、当方も練習のために出ることにしました。
13:30に陸上のAP旗(レース延期信号)が降下され、14:30にレースがスタートしました。
2m/sほどの風で軽風レースを1レース行い、ハーバーバック。

20170521OsakaS262s.jpg 17:00から閉会式が行われ、定期戦独特の各大学のエールを楽しみました。
2位でした。
D社の壁は厚いです。
合宿所に戻り、ミーティングです。
僕が、気象エマージェンシーのことを天気図を描き、雲の写真を見せ話しました。
急激な気温低下・突然の大雨・突然のど強風が襲う寒冷前線通過の状況を体験を交え話しました。
元コーチ・現監督が話しました。

楽しい夕食です。
カレーライスにプラスし、2回生女子マネさんの誕生日だからかデザート付きでした。
年々、食事が良くなっている。

満腹になり、帰路につきます。
湖西道路~名神で、20:01「桂川PA」
「ガリガリ君レモンスカッシュ75円」で恒例の糖分補給し、20:30頃帰宅。
バイクを片付け、ヨットの用意なども片付けて21時を過ぎましたが、家内がまだ起きており、用意してくれていた夕食を少し食べながら話しました。

5/21・三尾神社~新羅善神堂

20170521OsakaS188s.jpg 20170521OsakaS189s.jpg 20170521OsakaS196s.jpg 境内にも、うさぎの像がある。
拝殿の屋根正面垂れにもうさぎの彫刻がある。

『三尾神社とうさぎ 三尾明神が太古、卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・兎の方角より出現されたので「うさぎ」が神様の使いとされている。御神紋は「真向きのうさぎ」とされ、卯年生まれの方の守り神として崇められている』

拝殿の鈴の前に下る暖簾にまで、ウサギの神紋です。
可愛い神社だな。
20170521OsakaS203s.jpg 本殿を覗くと、左右を武者木造が守護しています。

20170521OsakaS208s.jpg 『参拝の唱えことば 運気上昇 「祓へ給ひ、清め給へ、守り給ひ、幸い給へ」』
神様の存在の有無は知りませんが、神を祀る神社に向かって手を合わせる行為は、自らに向き合うことで、これまでの生活を振り返ることで、自らや子孫の繁栄を願う心が湧きます。
それが明日からの努力につながり、神社への祈りで頂いた根拠のない自信が、行動する勇気につながるように思います。
それが運気を上げることになる。

20170521OsakaS216s.jpg 6:34、三井寺の山門を激写。
「新羅善神堂」に向かうと、6:38、「FURIAN 山の上迎賓館」の暖簾が下がる上品な日本式の門の前に出た。
20170521OsakaS217s.jpg 門前は水を掛けて掃除した後で、感じの良いレストランだなと思い帰宅後調べました。
ガーデンレストラン&ウェディングでした。

道標があり、各史跡道程が書かれています。
「新羅善神堂(国宝)0.1km」
『逢のみち湖のみち山歩みち 大津の散策路 大津京の道 長等神社1.85km 崇福寺跡4.55km 弘文天皇長等山前陵 弘文天皇は天智天皇の第一皇子であった大友皇子で、叔父の大海人皇子(天武天皇)との皇位継承争い(壬申の乱672年)に敗れ、この付近で自害された。日本書紀では、即位は認められていないが、明治3年(1870)に第39代天皇として諡号された』

20170521OsakaS221s.jpg 野生の勘で細道を歩いていくと、木戸が半開きになっています。
そこを入ると右側に玉垣が囲んだ檜皮葺きの社殿が見えました。
20170521OsakaS229s.jpg 社殿前の境内は年季が入っており、社叢に巨木が数本見えます。
とても良い感じです。

20170521OsakaS238s.jpg 『堂は3間四方・流れ造り、屋根は檜皮葺の美しい建物で、国宝指定されている。暦応3年(1339)足利尊氏が再建した。新羅明神は、圓城寺開祖智証大師の守護神で、本尊・新羅明神坐像も国宝。源頼義の子・義光がここで元服し、新羅三郎義光となったのは有名です』

長等神社の謂れ板に書かれていたように、三井寺圓城寺の鎮守社として新羅前神堂が勧請されたようです。
智証大師と新羅の関係に疑問を持った。
智証大師は最澄・空海などと一緒に唐に渡った学僧の1人ですが、新羅経由で帰国したのかな?

湖西に多く住んだ渡来系氏族出身なのかとも思ったが、朝鮮半島は神功皇后の三韓征伐以来、日本に朝貢する国ではあったが、天智天皇の任那・百済への援軍が、新羅・唐連合軍に敗れて以降は、新羅が朝鮮半島の勝者であり、百済系の渡来人が多かったはず。
どうも智証大師と、新羅の関係が腑に落ちない。

帰宅後調べたら、最澄・空海・円珍ら一行は、豊前宇佐神宮に参拝し、航海の無事を願った。
宇佐の八幡大菩薩の勧めで香春神社の賀春宮で航海の安全祈願する。
途中色々あったが、新羅の商人船で無事大陸に渡れた。
香春神社の祭神は、新羅から渡来した新羅の神だそうで、以来守り神になったそうです。

九州北部は、地理的に渡来人が多く住んだ地域なので、新羅からの渡来人が新羅の神を祀ったのでしょう。
あるいは、海上貿易基地として駐在した新羅人が祀ったのでしょう。
ここに参ることは、新羅貿易船とのコンタクトを取るということでもあったと想像します。

因みに円珍は空海と同じ讃岐出身で、空海の甥ということでした。
湖西の地域柄、湖西に棲む渡来人との関係が想像されましたが、違っていたようです。


5/21・長安寺~長等神社~三尾神社

20170521OsakaS108s.jpg 20170521OsakaS112s.jpg 20170521OsakaS120s.jpg 小野小町の供養塔があった。
『謡曲「関寺小町」 老衰した小野小町がなお優秀な歌人として風雅で上品な気質であることを描いた老女物。関寺の住職が、稚児を連れて山かげにむ老女の許へ歌物語を聞きに行った。老女の歌物の言葉から彼女が小野小町であることがわかった。小町は昔の栄華を偲び、今の落魄を嘆いた。寺の七夕祭に案内された小町は稚児の舞に引かれて我を忘れて舞った。牛塔は日本で最古最大の宝塔で、芸術上からも立派な重要文化財です。その他残るものはないが、かえって老女小町の隠棲地にふさわしく思える』

本堂前の賽銭箱の上に牛の置物が載っている。
本堂内は見えなかったが、『牛仏(迎葉仏) 関寺遺跡 時宗・長安寺』となっていた。

「関蝉丸神社下社」は、きっと線路の反対側からアプローチするのだろうと思ったが、今回はパスして北上することにした。
6:05「長等神社」
20170521OsakaS141s.jpg 参加地の大津絵のお店が健在です。

20170521OsakaS146s.jpg 『長等神社 祭神:建速須佐之男大神・大山祇大神・宇佐若宮下照姫大神・八幡大神・市杵島姫大神 天智天皇が大津宮に遷都(667年)の際、鎮護として建速須佐之男命を滋賀の長等山岩座谷の地に祀られた。天智天皇が669年5/5、宇治山科からの帰途当社に弓矢を奉納され、大友興多王(天智天皇の孫)が祭日と定めて以来、今も5/5を例祭としている。貞観2年(860)三井寺を開祖された智証大師(円珍)が日吉山王神を勧請し、一山の守護神として祀られ、新日吉社または新宮社と称するようになった。天喜2年1054)、現在地に遷宮され、この地を神出と称することになった。
永保元年(1081)白河天皇が勅使を参向せられ、平安を祈願された。延元元年(1336)南北朝の戦乱によって社殿・楼門その他が焼失した。興国元年(1340)足利尊氏によって再建され社殿壮麗にして12の回廊や楼門その他多くの建築物があり、湖南の大社と言われ、皇室を始め武将や多くの民衆から崇敬され隆盛をきわめた。明治37年(1904)鎌倉時代様式を基本に、平安・室町時代の和様建築の粋を取り入れ、現在の楼門を復興した』

『大津市指定文化財 長等神社楼門 3間1戸・屋根入母屋造・檜皮葺。技師・安藤時蔵、技術員・青地安太郎の設計のもと、明治37年5月起工・38年8月竣工。比較的小型ながら、上下の均衡が美しく、左右の広がりも適度で、各部の曲線も美しく、優れた姿をしています。室町時代の様式に則った秀作で、明治時代の楼門の代表作です。建築に関わる棟札や図面などの史料がよく保存されている』

『さざなみや 志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな 平清盛の弟・平薩摩守忠度の詠んだ歌は有名で、平家物語や千載和歌集にみえる。忠度は訪れたであろう長等の春を清盛を思い起こして、平家都落ちの際に詠んだのではないか。
この歌碑は、長等山の山上に建てられている碑を、より多くの人に見ていただくために、その歌碑を模して当社境内に建てたものである』

20170521OsakaS157s.jpg 本殿・拝殿ともに檜皮葺で美しく、朝早く僕の滞在中にお散歩がてらのお参りの方が2人おられただけで、落ち着いてお参りでした。
いつも通り、「私の人生をありがとうございます」「そして子供たちや孫達の健康を御守ください」です。

摂社の「稲荷神社」と「馬神神社」にも参った。
20170521OsakaS175s.jpg 馬神神社には、馬主さんからなのか「・・号」と競馬の勝利を願うような札が掛かっていた。

6:20「琵琶湖疏水のトンネル」
琵琶湖から流れる人工運河の琵琶湖側トンネル入口の上です。
ここから三井寺の下を通り、蹴上まで疎水を流し、発電したり、哲学の道を潤したりして、京都盆地に豊かな水の流れを作っています。
明治の大工事に頭が下がり、設計監督が大学を出たばかりの若者であり、彼に任せる京都市の度量にも感心します。
若い時代でした。

6:23、「三尾神社」
破風の神門が立派です。
うさぎの口から手水が流れている。

『祭神:伊弉諾神命 太古伊弉諾神命が、この地に降臨され、長等山の地主神として鎮座されたのを創始とする。この神は、常に赤・白・黒3つの帯を着し、その形が三つ尾を引くのに似ているので「三尾明神」と申し上げる。貞観元年(859)圓城寺開祖・智証大師が琴緒谷に社殿を復興され、以来篤い崇敬を受ける。応永年間足利将軍現存の本社を再興し、慶長年間豊臣秀吉も社殿を修理し、社領を寄進するなど、世に崇敬されてきた。明治9年本社を琴緒谷から遷し今に至る』

5/21・蝉丸神社~逢坂山弘法大師堂~関蝉丸神社・上社~長安寺

公衆トイレが、旧跡らしく「厠」となっていました。

『大津市は京都に隣接していることから、歴史の舞台に何度も登場してきました。世界遺産・比叡山延暦寺、三井寺、石山寺などの歴史遺産を有し、全国で10番目に古都指定されました。日本一大きな琵琶湖など、美しい風景と自然を四季を通じて楽しむことが出来ます』

『逢坂の関 初出は平安遷都翌年・延暦14年(495)に逢坂の関の前身が廃止されたという「日本紀略」の記述です。そのご、京都を守る重要な3関(鈴鹿関・不破関・逢坂関)の1つとして重要な役割を果たしましたが、平安後期以降、形骸化していきました。その関の位置は、現在の関蝉丸神社(上社)から関寺(現在の長安寺)だったと言われています』

20170521OsakaS007s.jpg この関は、平家物語なので、公家や皇室の収入源として書かれていたと記憶しています。
20170521OsakaS010s.jpg 関を京都側に歩いていくと、「日本一うなぎ処・かねよ」のお店がありました。
20170521OsakaS011s.jpg 20170521OsakaS015s.jpg お店を過ぎると「蝉丸神社」がありました。

『天慶9年(946)、蝉丸を主神に祀られた。蝉丸は盲目の琵琶法師で音曲芸道の祖神として、平安末期の芸能に携わる人々に崇敬され、当宮の免許により興行したものです。万治3年(1660)現在の社が建立され、街道の守護神・猿田彦命と豊玉姫命を合祀してお祀りしています』

20170521OsakaS018s.jpg 石段下両側の提灯に明かりが入っている。
早朝ですので、夜中も灯が入っているのかな?
20170521OsakaS020s.jpg 石段を登ると、蔵の扉が開いており、神輿が見えています。
20170521OsakaS021s.jpg これは素晴らしい、菊の御紋と五七桐紋が入った神輿がスタンバイしています。
20170521OsakaS028s.jpg 目を転じれば、境内に焚き火がたかれ、数人の氏子が椅子に座って駄弁っています。
前日から神輿を整えに来ているように見えます。
20170521OsakaS027s.jpg 神輿を載せて引っ張る台車もスタンバイしています。

境内周囲の提灯にも火が入り、境内中央舞台には奉納清酒が並んでいます。
20170521OsakaS035s.jpg 太鼓が柱にくくられ、舞台内にも小ぶりの神輿が鎮座しています。
本殿に幕が張られ、椅子が並べられている。

20170521OsakaS041s.jpg 拝殿にお参りする。
20170521OsakaS048s.jpg 神輿のある舞台を見ると、琵琶が置かれており、「神宝御琵琶」と墨書された立て札が、その横に「神宝御杖」も。
蝉丸が使った琵琶や杖のようです。
ラッキーな日に来ました。
手を伸ばせば触れますが、もちろんそんなことはしません。
帰宅後調べたら、次週5/28に「芸能祭」があるそうです。

バイクに戻り、R1を大津側に下ります。
5:22「逢坂山弘法大師堂」
5:25「関蝉丸神社上社」
20170521OsakaS059s.jpg ここの提灯にも火が入っています。
20170521OsakaS060s.jpg あの神輿がやってきそう。
20170521OsakaS061s.jpg 石段を上がっていくと、夜のお祭りの写真がたくさん貼られています。

20170521OsakaS065s.jpg 『嵯峨天皇弘仁13年(822)近江守小野朝臣、逢坂山山上山下に祀り、坂神とする。上社祭神:猿田彦命・蝉丸霊 下社祭神:豊玉姫命・蝉丸霊。文徳天皇天安元年(857)「逢坂の関」開設し、当社関所の鎮護神となる。円融天皇天禄2年(971)論旨を給い音曲芸道道祖神となり、明治維新まで免許状を下附する』

20170521OsakaS075s.jpg 更に石段を上がると、トタン屋根に「蝉丸本宮」と書かれていた。
20170521OsakaS084s.jpg イマイチだなと覗くと、トタン屋根は覆屋で瓦屋根の本殿があった。
木鼻の象に玉眼が入っているようだ。
境内一面を杉苔が覆い、いい感じです。

更にR1を下り、R161に乗り換え、京阪電車の踏切手前を枝道に入ります。
目指すは「関蝉丸神社下社」ですが、GPSで真横を通ってるのに神社がない。
いい感じの山道ですが、どうやら神社が崖の下のようです。

5:39「弁財天」
20170521OsakaS099s.jpg 近松寺・善光寺があった。
次の目的地「長安寺」も崖の下のようで、適当に枝道を下ると、京阪電車「上栄町駅」横の踏切に出た。

ここにバイクを置き、徒歩探索です。
線路沿いを歩くと、「長安寺踏切」があり適当に登っていくと「長安寺」がありました。
『重要文化財・長安寺宝塔 高さ3.3m、角型の基礎石の巨大なツボ型塔身を置き、笠石を付けたもので、鎌倉時代初期に作られた日本を代表する石造宝塔です。一般に関寺(昔この辺りにあった)牛塔と呼ばれ、霊牛の供養塔です。万寿2年(1025)「関寺縁起」によると、天延4年(976)の大地震で破損した関寺を修復する時、資材を運搬した1頭の牛が仏の化身であるという噂が立ち、多くの人が関寺に参拝した。万寿2年、霊牛は関寺の工事が終わると死にました。その霊牛を供養し祀ったのが、この牛塔』
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プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

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