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10/27・インカレ1週間前 1/2

コーチしてる大学ヨット部の最終戦「全日本インカレ団体戦」本番1週間前になりました。
「レギュラー+αチーム」は、今月初めからレース海面・「海陽ヨットハーバー」入りして練習しています。
僕は先月このレース海面で行われた「女子インカレ」遠征チームのサポートで、久しぶりのここの海面(風向・風速・ブローの入り具合など)を見ることが出来たので、今月は居残り琵琶湖チームのコーチングに行っていました。

今週末は一泊で海陽遠征チームに合流してコーチングします。
10/26、仕事から帰宅し用意していた一式を車に積み込んで、21:06自宅を出発しました。
R171~中央環状~吹田ICから名神高速に乗ります。
雨が降っています。

21:56、「大津SA」着。
ぶらぶら売店を見ながら休憩。
レストラン・メニューを見ると、ブラックバス料理も健在でした。
家内と食べたことがあり、淡白な白身でアジのフライに似た美味しさでした。
各地で外来魚の大繁殖による在来種の駆逐が心配されていますが、食べちゃえばいいのにと思いました。

陸上での鹿の大繁殖にも言えますが、駆除なんて感覚では減らないように思います。
「駆除」という言葉には「悪者」イメージがあり、きっと太古の昔から食べてきた「食材」としてのイメージを流布しないと・・・と思います。
まあ、鹿肉は猪と違い硬いので、料理方法の工夫をしないといけないでしょうが・・・。

22:12出発し、草津から「新名神」に乗り換え、22:45「新名神土山SA」着。
「セブンイレブン土山SA店」で、「ブルガリアヨーグルト甘橘ミックス180g138円+明治ブルガリアヨーグルトブルーベリー138円+コッペパンいちごジャム&マーガリン118円+プレミアムひねり揚108円=502円」を購入。

コンビニは400gプレーンヨーグルトを売ってないお店もあるのでイマイチです。
半分容量の「ブルガリアヨーグルト」では量が少ないし、甘すぎます。
僕は毎晩プレーンヨーグルトにブルーベリージャムを少し入れて、晩酌のように晩ヨーグルトを食べて寝るのを習慣にしています。
僕はお腹が弱く、生後4ヶ月の時、腸重積症という小腸が大腸の中に入り込む大病をしました。
致死率が80%にもなる大病で、緊急手術するという小児科から、医学知識のある母が「手術に成功しても体力が持たない」と強引に僕を引っ張り合って取り戻し、阪神間基幹病院にタクシーで走りました。
その時お医者さんに「人殺し」と罵倒されたそうです。

朝から痛くて泣き続け、泣く力も弱くなって限界に近づいていた僕は、基幹病院に夕方滑り込みました。
幸運にも、仕事を終え帰宅準備していた小児科医長先生がまだ病院におられ、僕を見た小児科医が「これは大事」と医長先生を呼ばれました。

僕の腸重積症は間欠性で、入り込んだままではなく、時々抜けるようでした。
入り込んだままなら、もうとっくに体力の限界を迎えており、既にあの世の人となっていました。
抜けると痛くないので泣くのが止まります。
「これは間欠性なので、手術しないでも治る」と判断した医長先生は、高圧浣腸装置が用意されました。

ブリタニカによると、『太いネラトンカテーテルを直腸内に深く挿入し,約 1mの高さに保持したイリゲータから 300~1000mlの微温生理食塩水を注入する浣腸の方法。小児の腸重積症の初期治療に重要なもので,これだけで整復できることがある。成人でも,大腸検査の前処置,頑固な便秘,軽度の腸閉塞症状などに用いる』とあります。

ここで研修中のインターン学生達を至急呼び集め、珍しい大病「腸重積症」の僕を生きた見本としてお腹を触診させました。
僕が泣き出すと、医長先生が触診し、「今入ってる、触って確認してみろ」とインターン学生達を代わる代わる触らせたそうです。
小腸が大腸の中に入り込むとゴリゴリしこりが出来るそうです。
消化器系未発達で生まれてきた乳児・幼児が患者のほとんどなので腹筋がなく、触診してその存在がわかるそうです。
それを見ている母は、「早くなんとかして~」と心の中で叫び、気が気でなかったそうです。
なんて思いながら、母も僕のお腹を触り、その存在を確認したそうです。

そして、高圧浣腸ドーン。
肛門から高圧浣腸生理食塩液が注入され、盲腸部分で入り込んでいる小腸を上部・胃十二指腸側に押し出します。
抜けると僕は泣き止み、また「ほら、抜けた。触って見て違いを感じろ」と、またインターン学生達が入れ代わり立ち代わり。
入れば高圧浣腸でポンと押し出すこと数回。
その晩含め数日入院しましたが、その日以降腸重積を起こすことがなく現在に至っています。

僕はお腹が弱く、強くしようと牛乳を飲ませようとしましたが、カゼインを上手く消化吸収出来ないようですぐに下します。
そこで母は、宅配牛乳に僕用にヨーグルト注文し、毎日食べさせました。

それ以降もよくお腹が痛くなり、高温40℃以上の熱が出る弱い子でしたが、小学校で出る給食の牛乳1本は飲めるようになりました。
でも体調の悪い日はダメで、よく友達にあげていました。

小学生時代の目標は「1ヶ月皆勤賞」で、よく学校を「お腹痛&発熱」で休みました。
小児科で必ず打たれるブドウ糖注射が嫌でたまりませんでした。
まともな食事が食べれないので、白ごはんがお粥になり、ひどい時は重湯になりました。
重湯やおかゆを何度食べただろう・・・数え切れないほど食べました。
普通の方は、お鍋の後大喜びで白ごはんを入れおかゆにして鍋の締めとして喜んで食べられますが、僕にとって、「おかゆは病気食」でしかありません。
よって今でもおかゆは嫌いです。

3・4年生の時、慢性腎炎になりスポーツは2年間ドクターストップになりました。
体育の時間は見学で、とてもつまらない時間でした。
父は中学の時、剣道と駅伝の選手で、母は小学校~女学校まで、短距離で学校代表として県大会に出るランナーでした。
その遺伝なのか、僕は走るのが早く、小学校時代はサッカー部と家庭科部で楽しみました。

中学受験当日も「お腹痛&高温発熱」になり、母は「休んだら良い」と言いましたが、猛勉強してきたのにチャレンジも出来ないのが嫌で、僕は「受験する」と言い張り試験会場に臨みました。
2日目の体育試験では、垂直ジャンプも遠投も力が入らず全然ダメでショックでした。
でもペーパーテストの方は上手くいき、得意な算数は2日間とも100点満点で、合格出来ました。

中学に入っても身体は弱く、2年1学期終了直後の学校が所有している瀬戸内海の無人島キャンプに参加できませんでした。
楽しみで、枕元に用意したリュック一式を置いて寝たのに、朝目が回っており、またお腹痛と40℃超え高熱発熱で歩くことさえママなりません。
とても残念な思い出です。

今でも中学の仲間と会うと話題に出る無人島キャンプですが、僕は話題に入れません。
大人になって、学校からヨットを教えて欲しいと大学ヨット部OB会に依頼があり、勇んで出かけまし
た。
私語以外の公式会話は全て英語で、朝礼・食事前のお祈り・キャンプファイヤーなど、頑張って英語を使う中学生を頼もしく見ました。

この時は虫垂炎の痛みと熱で、手術することになりました。
夏だったので腹膜炎が併発する危険があり、薬で痛みを散らせました。
9月に入り気温が下がったところで人生初の手術に臨みました。
お医者さんから、「見るかい?」と言われ「はい」。
お腹だけの局部麻酔で頭はしっかりしています。
手術台の上の鏡で切られていく僕のお腹を見ながら手術を受けました。
貴重な体験をしました。

暴れん坊なので、小中学生時代に、目の上・脇の下・スネと3ヶ所も怪我をして縫っています。
スネの時は骨が見えており、うお~と思いました。
それを見た友達は怖くてすぐに帰りましたが、僕は平気で母に「怪我をした、骨が見えてる」と泣きもせず冷静に伝えることが出来ました。

やはり腹膜炎を併発し、1ヶ月の入院になりました。
2週間ベッドから起き上がることも禁止され、歩いてトイレに行って良い許可が出て歩きだそうとした時、足の筋力が落ちて立つことさえできなくなっていることに愕然としました。
毎日僕の病室を見舞い、学校の勉強ノートを置いていってくれた級友Kくんは、今大学教授をしています。
これは助かりました。
復学しても、なんとか勉強についていけたのは、ベッドで勉強出来たからです。
彼には今でも感謝しています。

この虫垂炎手術長期入院が、身体が弱い僕の最終章で、それ以降病気をしない子になりました。
「身体が弱い」が僕の代名詞だったので、大人の会話から「二十歳まで生きられるかな~」「結婚なんて出来るんだろうか?」と漠然と感じていました。
中学のクラスメイトの僕に対するイメージは、「ひょろひょろとしたおとなしい子」です。

スポーツ好きで割合なんでもこなすのですが、虫垂炎腹膜炎併発により、また1年間スポーツをドクターストップさせられました。
入部したサッカー部も退部することになり帰宅部をして過ごしました。

高校でサッカー部に入ろうと思ったけど、中学で一緒に入部した友達は皆上手くなっており、変わったクラブに入ろうと思いピックアップしたのが、馬術部とヨット部です。
最初にヨット部の部室を昼休みに訪問すると、地元のプロテスタント教会で日曜礼拝で一緒になっていた市内の先輩が3人もいました。
小学校の時の家庭教師が一緒だったKさんもいました。

ヨットなんてする子は少なく、次は馬術部の部室を訪ねようと思っていたのに、4時限目終了すぐにヨット部員が僕の教室前に待機しており、僕を拉致してヨット部室行きの毎日になりました。
ヨットが走る原理・ルールなど教えてもらい、授業終了後はまた拉致されバスに乗りヨットハーバー近くで下車し、ハーバーまで走る毎日になりました。

初めて乗ったヨットは、エンジン音もなく滑るように水面を走り出し大感動しました。
こんな僕を、「入部してくれないとクラブの存続が危ない」なんて言われ、必要とされているのが有り難く入部することにしました。

入部届を出し母に報告すると、「あんたは甲子園浜に散歩したら、沖を走る白い帆をずっと見て動かなかったから。三つ子の魂百までもだね」と笑っていました。
僕は甲子園にあった父の勤める会社の社宅で生まれました。
幼児時代のお散歩コースで気に入ったところが2つあり、国鉄甲子園口駅と甲子園浜でした。

甲子園口駅では蒸気機関車がお気に入りで、ポポーの汽笛や、白い蒸気を横に出している姿を見つけると動かなくなったそうです。
幼稚園のマークに選んだのがSLで、母から見ると「やっぱり」だったそうです。
恐ろしや三つ子の魂。
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