6/22・三田/藍丸山砦跡ツーリング

3:30に目を覚ましたので少々ゴソゴソし、明るくなりだすのを待って、春秋用バイク装束に着替えました。
4:29出発。
長尾山トンネル~r325~r33~r68~r49から千丈寺湖畔を走りr309。
「須磨田」交差点からr310。
この道は広くて交通量が少なく、家内のバイク練習道No1お気に入りです。

右折してR176を北上開始します。
宝塚からR176でも来れるのですが、佐曽利カルデラが作った北摂里山地帯を走った方がすっと楽しいから、いつもこちらのルートを利用します。

R176を北上し、JR藍本駅横を走り、5:28「藍丸山砦」。
R176から丘の上にある東屋が見えていましたのですぐ見つかりました。
バイクを置き、砦攻めです。
20180622AiS0008s.jpg 標高差もちょっとなので走れば30秒で山頂です。
20180622AiS0109s.jpg 砦風東屋があり、内部に謂れ・動植物・砦建築などの写真があり、訪問帳に感想など書きました。

『日出坂・丸山四方山話 日出坂は古くから開けた村で、摂津名所図会によると大阪天満橋から日出坂峠まで13里15町余り(52km)とあり「国を出る時涙が出たが、藍の日出坂唄で越す」と唄われ、峠の途中には茶店が軒を連ね、こんにゃくに味噌をつけて焼いた田楽が旅人に好評で、日出坂名物が藍の名物となった。
この地、丸山には応仁の乱(1464年)には既に砦が築かれており、その後赤松教康の子・千童丸が軍功により義尚将軍に仕え、藍氏を名乗り藍岡山城を築きました。初代城主伊勢守康則となり、丸山は出城(砦)として使われました。2代目が加賀守、3代目が出雲守で、出雲守の頃は戦いに明け暮れる戦国時代で、三田地方でも戦いがありました。摂津・丹波国境を固めていた出雲守の軍勢も、一国一城の主を目指した伊丹の有岡城主・荒木村重の軍門に屈し、天正7年春、丸山出城も消失しました。
西前方の山は虚空蔵山で、日本三体の1つとされている。山麓は古くから桜の名所として知られ、西山桜と呼ばれ天然記念物に指定されていました。このヤマザクラは明治32年の阪鶴鉄道の開通時には樹齢300年にたっし、日出坂トンネルを通過する汽車と桜を楽しむため多くの人がここを訪れました。
藍村小唄にも「北は日出坂、さくらが丘よ、花のトンネル、国境よいとこ美里の藍村よ・・・」と唄われている。
このヤマザクラも、昭和のはじめ営林署により老木数本が伐採されるに至り、日出坂部落民全戸署名による中止申請で中止されました。その後戦時中の燃料不足から伐採され、炭として焼かれ、数本が昭和30年後半まで名残りをとどめていましたが、40年には消滅しました。
私は、自然保護のさきがけとなった日出坂の先人達の思いに感銘し、場所は違いますが日出坂の中央に位置するこの丸山に桜を植樹しました。頂上の祠には水の神様である弁財天女神が祀られています。この弁財天にまつわる話に「丁子源蔵物語」があります。
落ち武者・丁子源蔵は、藍に来て武を誇りに勢力を張った。もと今田城主であった三村但馬守は、清水寺の戦いで油井の酒井氏に敗れ、藍本庄に来て三村と名乗り土着帰農した。その時より何かと武を誇る源蔵と対立し、ついに2人の大決闘となったが源蔵はこの決闘に敗れ、それを恥じて武庫川の淵に一夜の雨に散っていった哀れな物語である。
時は慶長9年3月で、以後この淵を誰言うこともなく「丁子淵」「源蔵が淵」と言うようになったと言われる。その後、日出坂は年間幾度となく洪水に襲われることとなり、村人たちは多量に流れた土砂を取り除き「おどり場」といわれた所に運び上げ築山となし、その上に水の神様をお祀りした。同時に丁子源蔵の供養石碑も丁子淵に祀られた。
明治28年、県道建設(現R176)により弁財天や供養碑は移され、この地に祀られるようになった。
参考文献:「三田史話」児玉尊臣著、「駅路・藍の里」橋上清著、「郷土の城ものがたり」兵庫県学校厚生会、「有馬郡誌」 文責:谷口誠司』

20180622AiS0114s.jpg 朝霧の薄い雲を通して朝日の輪郭が見える。
これが好きなんですよね。
20180622AiS0121s.jpg 「ハリボテ砦」の横に「弁財天」があった。
バイクに戻り、枝道を南下する。
武庫川を渡る細い橋上に止まり川面を激写。
川の草の生え具合が、「ホタルがいそう」。
更に進むと未舗装農道になり、ここから国道に繋がっていそうになく、時のUターン。

R176に出て、JR藍本駅の方に入ってみる。
横を通過し、「酒滴神社」前も通り、r75に出て、6:24「藍岡山城跡」。
城攻めに入ると、村落の墓地があり、「天明年間(1781~88)・文化4年(1807)」のたぶんご夫婦のお墓があった。
とっくに無縁仏になっているだろうに、利用価値のない山懐なのでそのまま健在になっている。
中世の山城要素は、江戸時代以降の利用により喪失しており、堀切跡と思われる場所を特定できる程度だった。
道に戻ると、田んぼの奥に続いていく舗装路が気になった。
西の低山の峠を越え次の集落に続いているのかも?地図では、r75は更に南に向かい、虚空蔵山の裾野を迂回するようにして東の東条川に抜けている。
峠越えの道かもしれない。

バイクに戻り、早速峠越え出来るかチャレンジするが、あっけなく未舗装路になり、Uターン。
r75に戻り、あぜ道を走りR176に出て南下します。
「波田」の武庫川蛇行地に入ります。
「藍丸山砦」の謂れ板に書いてあった「堀相模守館跡」があったようです。
20180622AiS0170s.jpg 山城ではありませんが、天然の水堀が三方を囲み守るのに易い地だったのでしょう。

20180622AiS0172s.jpg 周囲を探り、6:50地蔵祠を見つけ、バイクを置きここから突入。
20180622AiS0173s.jpg 突入してすぐ、キツネに遭遇した。
鹿や狸はよく見かけるし、イノシシにもたまに出会うが、キツネは珍しい。
「堀相模守館」の守り神なのかもしれない。
一家族生息しているのかな?
僕の不審な物音に気づいて、オスが偵察に出てきたのかも?
キツネを追ってゆっくり道を歩いていくと、右手に墓地があり、更にその奥に入ろうとすると、上空からギャアギャアと鳥の鳴く声が聞こえてきました。
どうやら、サギのねぐらがあるようです。
カメラで下から巣を捉えるのは難しいが、墓地の方に入り上空をカメラで狙うが、幼鳥?成鳥?が羽ばたくのがちらちら見えるだけで、聞こえるのは鳴き声だけでした。

館跡の痕跡を見つけたかったが、藪こぎ必須になってきたので諦めてバイクに戻った。
武庫川沿いの道を走り、R176を渡りr310。「須磨田」からr309、千丈寺湖を渡る橋で、いつものように鷲と野鳥を狙う一眼レフ大砲持ちの方が2人構えておられました。
水鳥も狙え、ナイスなポイントです。

r308~千丈寺湖沿い~r49、「志手原」交差点からr37~r323、「波豆川口」から南に入り、r68を渡りr33~r325~長尾山トンネルを抜けて、8:11帰宅しました。




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