8/10・「多賀大社」~「天寧寺」

20170810BiwaS142s.jpg R307を少し走り、7:51「多賀神社」
参道の駐車場に入れた、500円。

『当神社は「古事記」名が記され、「延喜式」には「多何(多賀)ノ神ノ社二座」とあり古くから鎮座していたことがわかる。社殿の造営は、古代から造替・修理が繰り返され現在に至る。江戸時代には、寛永の大造営(寛永10年から5年間)行われた。本殿・拝殿・庁屋・摂末社・本地堂・僧坊・書院・鐘楼・三重塔・日向社、故宮神社・大瀧神社・千代神社におよぶ大規模なものでした。しかし、安永2年(1773)の大火災によって、本社をはじめ諸堂社全て焼失した。その後、らだちに復興にとりかかり、翌年には書院が完成し、最小限ながら必要な建物が再建されました。文化5年(1808)には三間社流造の本格的な本殿が造られた。この本殿は、昭和の造営に際し豊郷町の白山神社に移築されて現存しています。
明治期に入り、神仏分離令により仏教的な建築物は取り除かれた。その景観は明治28年(1895)の「大日本帝国淡海多賀大社全図」に見ることができる。明治以降、建物の再建・撤去が無計画になされ、社殿配置に統一性が欠けた。そこで、大正8年(1919)明治神宮造営局技師・大江新太郎が境内を「神聖」「神厳」「清厳」「清雅」「自由区域」に分け設計した。本殿・祝詞舎・幣殿・神饌所の4棟を国費で行い、内務省技師・角南隆が総監督にあたりました。国費以外の神社直営工事は、前記の大江新太郎が設計監督となり、昭和8年「昭和の大造営事業」がついに完成しました。これが現在の社殿です。
表門から本殿まで、参道に沿って一直線上に配置された建物は巧妙に計算され、なかでも拝殿から本殿にかけて段々状に重なった桧皮葺屋根は、華麗で変化に富んでまとめられ、気品ある神々しさを醸しだしております。近代につくられた神社建築の中でも、最も優れた社殿として高く評価されています』

まだ朝早いので開いているお店は疎らですが、門前町も統一された雰囲気になっています。
20170810BiwaS149s.jpg 太鼓橋を渡って境内へ。
地図にはたくさんの社殿や摂社が書かれており広そう。

『多賀大社の「そり橋」 太閤秀吉が当社に寄せた信仰から「太閤橋」とも呼んでいるが、実際は「太鼓橋」である。築造は江戸初期寛永15年、徳川幕府の助成もあり、大僧正慈性により本殿以下諸堂の造営が行われた。その際に築造された。
例祭にはお神輿が渡る』

『夫婦桜 昭和7年「昭和の大造営」に際し、延命長寿・夫婦和合の御神徳に因み植えられた。県内屈指の早咲きのしだれ桜で、3月末に絢爛と咲き誇る』

20170810BiwaS161s.jpg 『祭神:伊邪那岐大神・伊邪那美大神 男女2柱の大神は、初めて夫婦の道を起こされ、我が国土と万物の神々、主宰神としての天照大神をお生みになった。我が国の祖神と仰がれ、古事記には既に淡海の多賀にご鎮座と記されている。
延命長寿・縁結び・厄除け霊神と仰がれ、天正天皇・俊乗坊重源・太閤秀吉の母大政所の延命祈願、武田晴信(信玄)の厄除け祈願など多数の社伝が伝わる。4月の多賀祭り(古例大祭)の騎馬40頭に及ぶ御神幸は天下に名高く、節分祭・お田植え祭り・万灯祭・9月古例祭・七五三なども賑わいを見せる。
室町時代以来の由緒を持つ全国各地の多賀講は有名で、近年は崇敬会に加入し神縁を結ばれる人が増加している。本社の左奥にある参集殿では、これらの人々のお食事、あるいは結婚式の披露宴なども行われる。春のしだれ桜・秋の紅葉・国の名勝である奥書院庭園も見事で、年間を通じて170万人の参拝者を数えている』

20170810BiwaS169s.jpg 整った拝殿本殿が美しく、さすが大社です。
本殿には、神職さんの多くが昇殿され、蝉しぐれのBGMをバックに祝詞を上げておられました。
朝のお勤めのようです。

20170810BiwaS175s.jpg それが終わり、皆さんが持ち場に戻ります。
20170810BiwaS166s.jpg 社務所を覗くと、「恋みくじ」がある。
絵馬掛けに掛かっていた杓文字の絵馬「合格祈願合格御礼杓子絵馬」があったので、それを授かりました。

綺麗な御朱印袋が目についたので、朝一番でどうかなと思いながら「御朱印い授かれますか?」と聞くと、OKでした。
この日一番早く御朱印を授かったかもしれません。
お盆に帰省する次男の娘すみれちゃん1才と、弟の娘・高1へのプレゼントにしましょう。
御朱印帳と袋を2セット授かりました。
初穂料は全部で3000円行かなかったので、お安いなと思いました。

近江鉄道「多賀大社前」駅~r224~r330・名神高速側道~R306を経て、8:29「天寧寺」。
20170810BiwaS185s.jpg 五百羅漢で有名なお寺だそうですが、拝観時間前でした。
『木造釈迦・十大弟子像・十六羅漢・五百羅漢像 彦根藩主11代井伊直中によって建立された曹洞宗寺院で、本堂は文化8年(1811)、仏殿(羅漢堂)は文政11年(1828)に建てられた。羅漢堂には、本尊「釈迦如来坐像」・十大弟子像・十六羅漢像・五百羅漢像527躯が安置されている。これら仏像も直中の発願により造像され、京都七条西仏所の仏師・駒井朝雲(こまいちょううん)等により制作された。全て寄木造・内刳りで玉眼がはめられ、彩色されている。羅漢像は、鎌倉時代に禅宗が伝えられて以降、仏道修行の安泰を願って造像された。五百羅漢に詣でると、必ず思慕する故人の面影を見出す事ができると言われている。当寺の五百羅漢は近世の造像ですが、527躯全てが欠けることなく今日まで残っているのは全国的にも珍しく、年記や仏師名の墨書が記されており、近世彫刻史を考える上で貴重な資料です』

20170810BiwaS187s.jpg 境内に、幕末に桜田門外の変で襲われ命を落とした幕府大老・井伊直弼公の供養五輪塔が立っている。


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