8/10・「苗村神社」~「甲良神社」

20170810BiwaS059s.jpg 子安像・神馬像が立っている。
20170810BiwaS061s.jpg 『重要文化財・神輿庫 桁行4間・梁間2間・切妻造りの軽快な建物で、正面及び北側面に各1ヶ所の出入口がある他は柱間のすべてを板壁とした簡素な外観である。建立は天文5年(1536)正一位の神位を受けた時、勅使の装束召替仮殿として建て、後に神輿庫に用いた。装束召替仮殿の用途は限られた期間であり、平面が出入口の他開口部がないことは、当初から神輿庫あるいは御供所などの倉庫的な再利用を企図して建てられたものと考えられる。全国的に類例の少ない遺構として貴重である』

外見的に何の変哲もない建物なのに、重文指定されており、よくわからないが学問的に貴重なようだ。
境内中央に絵馬殿があると見に行くと、これが拝殿のようだ。玉垣のうちに檜皮葺の本殿があり、手前に幣殿が建っている。
その周りの摂社も大きく整っており、寄り道にしては豪華な社殿を拝見できた。

『(重文)境内社十禅師社本殿 山王21社のうち上7社の1社十禅師の分霊社で、天台宗護法社の1つであるから、大蜜勢力のもとに苗村神社社域に勧請された社である。1間流造・檜皮葺。蟇股などの装飾を施さない古式社殿で、母屋内部は1室で、正面に弊軸板扉を設け、他の3面を板塀とする。室町時代1430年に建てられた』

20170810BiwaS063s.jpg 『国宝・西本殿 社蔵される棟札から徳治3年(1308)再建されたと考えられる。
3間社流造で、前面は一段低い床張りとし、菱格子を入れて前室を作り、更に1間の向拝を出し、檜皮葺とした形式は相対的に鎌倉時代後期の特質を表している。
殊に左右相称の透彫を施した正面2個の蟇股は美しい。殿内の厨子は小規模で簡素であるが手法が優れ、本殿と同時期の作とみられ、共に国宝となっている。社蔵される棟札は、近在に見られない古物品で、当時の修造の様子、活動人士、神事の有力担当者などが明記され、社歴を知る貴重な資料である』

『重文・境内八幡社本殿 建立年代は明らかでないが、東本殿・楼門と同時期に、境内整備に伴い建てられたと考えられ、その様式からみて室町時代1430年頃の建立と考えられる。1間流造・檜皮葺。特徴は、側面に弊軸板扉出入口を設けていることで、我が国でも数が少ない。母屋3面・向拝に美しい蟇股を飾りつけている』

社紋は、「州浜(すはま)紋」という関西には珍しい紋で、巴紋のように幾何学模様紋です。
いろんな所に見えます。
県道を渡り、苗村神社東本殿に向かいます。

20170810BiwaS076s.jpg 鳥居に「長寸神社」と浮彫りされた扁額が下がっています。
両側に石灯籠が整然と並んだ参道を行くと、小ぶりな東本殿がありました。

20170810BiwaS079s.jpg 『建立年代は、明らかでないが、向拝の蟇股の様式は、室町時代のものであり、前庭にある永享4年(1432)在銘の石灯寵は本殿の建立と関係があると考えられる。また、正徳4年(1714)には、大半の部材を取替える大修理があり、当初の形式が変えられたが、昭和33年の解体修理で、資料にもとづいて復原整備された。
正面は、格子戸であるが、少し入ったところに幣軸を廻して板縁を建て、東側面にも同様の扉口を設け、母屋の実肘木(さねひじき)を通し材とし、妻飾の扠首(さす)組頂に花肘木を組みいれるなど、西本殿傍の八幡社本殿と共通する点が多い。なお、内外陣境の腰嵌板(こしはめいた)の彫刻格狭間(こうざま)は県下に類側が多いが当時の装飾手法として見るべきものがある』

20170810BiwaS084s.jpg 参道の脇に古墳のような墳丘があるなと思っていたが、やはりそうでした。
『東苗村古墳群 重要文化財苗村神社東本殿がある鎮守の森の中にる。現在は8基の円墳が確認されているが、境内地外側にもかつて多くの古墳があったと考えられます。現存する古墳の大きさは、墳径12~18m、高さ2mほどです。古墳群の造られた時期は、6世紀後半代と考えられている』

20170810BiwaS086s.jpg r541~r14でR8に戻り、r227に入り、7:06「甲良神社」。
『主祭神:武内宿禰命 相殿:田心姫命・市杵島姫命・瑞津姫命 神紋:平四つ目』

『甲良神社権殿 甲良庄の総社。権殿はもと当社の本殿で、明治16年新本殿建築に伴って本殿脇に移動された。建物は寛永11年(1634)に建てられ、1間流造・檜皮葺。小規模ながら蟇股・頭貫木鼻(かしらぬききばな)・虹梁(こうりょう)・大瓶束(たいへいづか)など彫刻を多用し、装飾性に富んだ本殿である。近隣の甲良神社本殿(甲良町法養寺)や大滝神社本殿(多賀町富之尾)とともに、江戸前期の1間流造の好例』

20170810BiwaS089s.jpg 大きな扉が4つ並んだ倉庫がある。山車でも入っているのかな?
『甲良神社 創立は天武天皇の代に武市皇子の生母尼子姫が当地に住み、筑後の国高良大社より希世の長寿の神「武内宿禰命」を勧請された。地名もこの姫に由来する。1000年の昔より長寿の神・水利の神として信仰されてきた。元禄14年、「正一位松宮大明神」の宗源宣旨があり、明治まで「松宮大明神」または「高良大明神」と親しまれていた。明治5年「甲良神社」と改称され、明治16年本殿が造影された。社殿の彫刻などに室町期の作風を伝える旧本殿は甲良神社権殿として正和25年移築解体修理を行い、国の重要文化財指定された』

尼子姫は、筑紫宗像出身で天武天皇寝所付きの女官。
天武天皇との間に生まれた武市皇子は、天武天皇の長男で、父が先帝・天智天皇の皇子・大友皇子(弘文天皇)と政権争い「壬申の乱」した時、軍事司令官として大活躍したが、母の低い血筋ゆえ皇太子にはなれませんでした。
兄たちが亡くなったが皇太子には選ばれず、父の跡を継いだ母「持統天皇」時代、太政大臣として権勢を振るう。

尼子姫は、出身地の「高良大社」をここに勧請し、ここで余生を暮らしたようです。
出身地の宗像三女神を祀っているのにも、なるほどと思った。
天武天皇の御子を産んだので、実家から多くの家人が世話をしに、共に住んだのでしょう。

20170810BiwaS093s.jpg 荘厳で重厚感のある本殿から、明治期の建築が伝わり、今でも古さを感じない。
20170810BiwaS096s.jpg 横に檜皮葺の一回り小ぶりの権殿が建っている。
20170810BiwaS101s.jpg 時間帯も早いですが、朝の落ち着いた空気に似合うお宮です。
20170810BiwaS102s.jpg 千木が水平切り・鰹木が偶数本になっており、女神を祀っているのを表している。
境内前に高いポールが立ち、祝祭日には日の丸が揚がるのでしょう。


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