8/10・琵琶湖湖東・兵主大社へ

コーチしてる大学ヨット部の年中行事「琵琶湖周航」に参加します。
この行事は、ヨット部発足時から続いているので既に81年間続く伝統行事です。
僕がコーチするようになってから10年以上にあなりますが、一度も参加したことがなく楽しみです。

当初、1日だけ伴走するレスキューボートに便乗させてもらって、周航中の各種イベントをカメラに収めるつもりでしたが、1回生が多く定員オーバーで便乗は無理でした。
僕はカメラ班でもあるので、一眼レフで撮った写真やビデオをインターネットクラウドであるグーグルドライブにアップし、部員や親御さんなど関係者が見れるようにしています。
クラブの成績は、関係者の想いの強さに比例するので、親御さんにヨットを知ってもらい、クラブの活動を知って貰う一環です。

バイクで行き、琵琶湖畔の寺社歴史探索しながら、湖上のヨットが見えれば写真に収めればいいやということに切り替えました。
2回生女子マネージャーMさんと連絡を取り、10時長浜近在出艇~13:30海津大崎キャンプ場着艇というタイムスケジュールを得て、寺社巡りしながら出艇30分前に長浜近在に着く計画を立てました。
この行事は、ヨット部発足時から続いているので既に81年間続く伝統行事です。

ところが、前日になり周航隊長の2回生Sくんから電話があり、「陸上部隊のエスティマのステアリングオイル漏れでハンドルが重くなってしまいました。車を出していただくことは可能でしょうか?」とのお願いがありました。
もちろんノープロブレムなので引き受けました。
オイル漏れで油圧で動くパワーステアリング機能を失い、低速でのハンドル操作がメチャ重になったようです。
故障はそこだけですので、リタイヤさせず荷物車として出発場所から到着場所への移動のみに利用するそうです。

前日さっさと床に入ったので、3時に目を覚ましました。
予定より1時間早いですが、出発することにします。
10時長浜までの寺社訪問メニューをいつものように多くしましたが、全てクリアできるかもしれません。

身だしなみを整え、荷物を車に積み込み、ブーンと出発。
中央環状線を走り、3:59エッソGSで給油。
隣接の「セブンイレブン豊中緑丘2丁目店」で、朝食・昼食用に「プレミアフレッシュバナナ・213円」を購入。

吹田ICから名神高速に乗り、京都東ICで下車し、湖西道路に乗って北上しました。
「真野IC」で下車し、R477を東進し琵琶湖岸に出て、そのまま琵琶湖大橋を渡ります。
追い越し車線がメロディーラインになっており、琵琶湖周航のメロディーが聞こえました。
「琵琶湖周航の歌」が出来てから100周年だそうで、滋賀県はこれにまつわるイベントが多くなっています。

東岸にある料金所で150円手渡す。
このゲートはまだETC利用不可です。
交通量が多いので、機械化すると利益が増しそうなのに・・・。

ゲートを出て最初の信号を左折しr559・湖岸道路を走ります。
左手に琵琶湖が見え気持ちが良い。
広大な水田地帯を枝道で抜け、R477に乗り換え、野洲川を渡る。

GPSに導かれるままに、r32経由で5:07「兵主大社(ひょうずたいしゃ)」。
ツーリングマップルには「兵主神社」とあったので、各地にある同名の神社同様のものを想像していたが、「兵主大社」だった。
20170810BiwaS001s.jpg 「大社」の名前通り、圧倒的規模の参道に驚かされた。

20170810BiwaS003s.jpg 参道の先の大きな石鳥居横にバイクを止めましたが、そこに謂われ板があった。
20170810BiwaS002s.jpg 『条理の郷 野洲市五条自治会 五条の地名の由来は、古代律令の条里制の名残りとされる。文化2年(646)中大兄皇子が下した「改新の詔」中の「班田収授の法」により、従来豪族等の私有地を公用地とし、6才以上の男子に2反(20アール)女子にその1/3を貸与し、耕作に従事させた。この区分された土地を「口分田」と称し、土地区画制度を「条里制」と呼んだ。南北方向を「条」東西方向を「里」で区画し、1条1里は各6町(600m)四方だった』

懐かしい小学校の社会の教科書を読んでいるようだった。
「覚えたな、こういうの」と懐かしさを覚えるとともに、ここが天智天皇の時代既に陸地だったのに驚いた。

20170810BiwaS004s.jpg 琵琶湖大橋が掛かるほど琵琶湖のクビレのように狭くなっている所で、対岸の堅田にもたくさん歴史遺産があるけど、アチラは後背に比叡山の山々があり、断層があるので地形的に堅い気がする。
でも東側は、広い平野部になっている。
これは野洲川の流れによって作られた沖積平野であることは容易にわかる。

琵琶湖の最深部は湖西寄りにあり、海溝のように湖西の海岸線から一定距離に東西に伸びている。
湖西はすぐに急峻な山になるが、湖東は広大な平野が広がり有数の耕作地になっており、湖東の山から遠い。

1500年代の信長の時代、安土城は半島の先の湖岸から離れた島で、城の側から巨船を発着できたのに、500年後の現在は平野の中の小高い山になっている。
つまり湖東の平野部は、川の運んできた土砂により西に広がり、琵琶湖を小さくしていっている。
もっと昔のことを言うと、バイカル湖などに並ぶ世界有数の古代湖で、伊勢・大和国境から西に移動して現在に至る。

このことを考えれば、琵琶湖に最も出っ張ったこの地は、堆積平野の最先端とも言える。
今から1400年前、この地に律令制が敷かれたということは、湿地ではなく立派な土地として人々が生活していたということです。

ここに大社と呼ばれるほどのお宮が造営されたということは、ここがまさに琵琶湖に面していたのかもしれないと、いろいろ脳内想像が駆け巡りました。
地図を見ると、ここから湖岸まで3kmです。
野洲川は、1400年で3km河口を西に移動させたのかもしれない。

コーチしてるヨット部の合宿所横を小河川が流れている。
僕と同年代のOBさんに聞いたら、現役時代は小河川の河口が横にあり、合宿所前が湖岸になっていた。
合宿所1Fの艇庫からその砂浜に船を出して出艇していたそうです。

次男が部員だった頃は河口が2~30m先に伸び、艇庫から出したヨットを小河川の流れに入って下り、湖岸の浜に並べないといけない。
そして今、その河口が更に先に伸びつつあり、新たな陸地ができそうになっている。

OBさんの時代砂浜だった合宿所前は、今樹木が生い茂っている。
樹木が生い茂る下を小河川の枝河川に入り、本流に入って河口横の砂浜に出ないといけない。
不便になったので、現在はヨットハーバーに艇庫を借り、上回生はそちらから船を出し、1回生が1人乗りに乗る期間だけ、合宿所下から船を出し小河川を運び練習している。

こんな琵琶湖の現状を知っているので、湖東の広い平野の湖岸近くこんなに大きな歴史ある大社があったことに驚いた。


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