8/6・小野・小野道風神社

住宅地内を適当に走り、GPSに見えてきた「小野道風神社」に7:41着。

20170806OnoS199s.jpg 『神社本殿は流造形式が多い中、小野神社飛地境内社「道風神社本殿」は全国的にも稀な切妻造・平入本殿で、県内重文としては、小野神社境内社「篁神社本殿」と近隣の「天皇神社本殿」を合わせ3棟のみです。正面桁行3間・側面梁間2間・前面に1間の向拝。小野神社は延喜式に名神大社として記載され、道風神社は小野神社の南500mに鎮座します。南北朝時代・暦応4年(1341)の建築。平面は、前方1間を外陣、後方1間を内陣とし3室に区切っている。切妻破風や桁隠の懸魚(げぎょ)、軒の茅負(かやおい)、向拝廻りの部材・縁、脇障子廻、外陣正面側の建具は後世の改造を受けていますが、内部は建立当初の姿をとどめ、唐草彫刻を持つ向拝柱上の手挟も当初の材となります。
祭神:小野道風(894~966)は、平安中期の書家で、小野篁(たかむら)の孫に当たります。藤原佐理(すけまさ)・藤原行成(ゆきなり)とともに「三蹟(さんせき)」と呼ばれ、和様の書の基礎を築いた人物』

20170806OnoS206s.jpg 『書道・学問の神 祭神:小野匠守道風命 父は大宰大弐を勤めた葛紘(くずお)。
醍醐・朱雀・村上3朝に歴任。柳に飛びつく蛙を見て努力し、文筆の極致に達し、日本三大文筆、三蹟の1人として文筆の神と崇められている。書風は、これまでの中国書風を放れ、穏やかな整った和様、日本的な書の典型として長く後世まで尊ばれている。また、菓子の体型を創造されたことにより、匠守の称号を賜られ、菓子業の功績者に匠・司の称号を授与する事を勅許されていた。菓子の匠・司の免許は現在絶えているが、老舗の屋号に匠・司が使用される事は現在もその名残である。匠。司称号が祭神から出ていることを見ても、遠く祖神が饗を作られた小野一族からの継承が窺える。小野神社の祭神が、我が国の文化・特に華道・菓道の創生発展に努力してきたか知ることが出来る。建物は旧国宝・現在重文』

20170806OnoS212s.jpg 旧国宝の本殿は、柱に虫食いの跡が無数にあるものの、蟇股に獅子の彫刻が入っていたり、ユニークな感じを受けた。
国宝指定が切れ保存資金が少なくなったのか、保存状態が良くなくなったから重文に降格したのか、ちょっと残念な感じがする。

小野道風の兄に、小野好古がいる。
クーデター「天慶の乱」を起こした藤原純友を鎮圧する追捕将軍として西海に打ち破った。

僕は、平清盛より前に武家政権ができたかもしれない東の平将門と、西の藤原純友が好きだ。
双方、あと一歩の所で鎮圧されてしまったが、源平が覇を争う直前の平安時代の朝廷・貴族政治の矛盾を変えようとした雄です。

小野好古は藤原純友の乱を鎮圧した将軍ですが、きっと彼の名前にあやかり父が贈ったのだろう秋山好古が、日露戦争の騎兵隊長として大活躍した。
日本海海戦を大勝利に導いた作戦参謀・秋山真之は弟で、司馬遼太郎「坂の上の雲」で有名になった。
僕の母方の爺ちゃんは、近衛騎兵隊長として日露戦争に参戦し金鵄勲章を得たので、親しく感じている。
僕も息子たちに名前を授ける時、祖先や戦国の武将の名を頂いたので、この兄弟の父と同じ思考のようで、ここにも親しみを感じる。


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