8/6・堅田・那波加神社~浮御堂~堅田源兵衛の首~伊豆神社、小野・小野妹子神社

バイクに戻り、R161を北上。
20170806OnoS072s.jpg 「苗鹿3丁目」交差点で枝道に入り、5:57「那波加神社(なはか)」。

20170806OnoS077s.jpg 『祭神は天太玉命(あめのふとだま)。太古この地に降臨し、天智天皇7年(668)英社。垂仁天皇の皇子「小槻氏」の始祖「於知別命(おちわけのみこと)を祀る。老翁となった天太玉命の農事を助けるため、鹿が現れ稲の苗を背負ったので、「苗鹿(なはか・のうか)」の社名・地名となる。延喜式に名を連ね、天台宗の根本法華経を護る守護神として信仰されている』

20170806OnoS087s.jpg 再びR161に出て北上。
堅田「仰木口」交差点を右折し、湖岸方面へ。
6:15「天台宗・妙盛寺」。
その隣に「神田神社」。
『湖族祭で堅田っ子金管バンドクラブが演奏します』と掲示されている。
『祭神:鴨玉依姫命(賀茂御祖神社御分霊) 往古、この地は京糺の森・賀茂御祖神社(下鴨神社)の御厨として栄え、諸祭礼に漁産物の新撰の供御を行ってきた。天暦3年(949)堅田西の切の氏宮として、分霊を勧請奉祀された。神紋は下鴨社同様「双葉葵」である。新撰供御人行列という堅田の行事として、葵祭に鯉・鮒寿司等の献饌を行っている』

この地で造船業を営み、琵琶湖観光船の建造をした知り合いがいますが、代々ここの住民で湖族の末裔の方です。
先祖は、琵琶湖南湖と北湖を区切るように西と東の岸が狭くなったこの地は、交通の要衝で、琵琶湖の水運を握り、日頃は漁業に従事しながら、時には海賊まがいのことをしたり、戦乱時は与力したりした。

少し「浮御堂」に近づくと、『本願寺奮址・本福寺』があった。
20170806OnoS115s.jpg 蓮如・実如という浄土真宗中興の祖が、比叡山を追われ一時ここで布教したことから、「奮址=旧址」と彫られているようです。

20170806OnoS124s.jpg 6:31「浮御堂」。
観覧時間前だったので入れなかったから、横の道を湖岸まで出てみた。
沖にはバスボートが数隻出ていて、釣りをしていた。
20170806OnoS131s.jpg 「伊豆神社」に向かう途中、堅田の風情に溶け込んだ「岡本医院」という医院を見つけ緊急停止。
とても感じが良い。

その横に「都久生須麻神社」があった。
どう読むのか閃いたのが「いつくしまじんじゃ」の当て字。
現代人より学力が低かった昔は、漢字の意味より音が優先され、故意に非故意に当て字され現代に続いている地名などが多い。
これは、「つくぶすまじんじゃ」と読み、琵琶湖北湖に浮かぶ竹生島で浅井比売命を祀る「都久夫須麻神社」と対になっているらしい。
湖賊として琵琶湖の制海権を握った堅田衆が、竹生島の祭神を勧請したものと想像した。
制海権を形にしたものでしょう。

竹生島同様「弁財天」が祀られていた。
湖岸まで行け、岡本医院の敷地も湖岸まで伸びていた。
20170806OnoS141s.jpg 湖岸は小さな公園になっており、手入れされた芝生が広がっている。
私設のような桟橋があり、船も繋がれている。
岡本医院さんは、生活する家として最高のシチュエーションです。

20170806OnoS147s.jpg 芝生まで降りると、別の桟橋が見え、『湖族船競争会場』と垂れ幕が下がっている。
地元の子族末裔達の覇を競う大会日のようで、準備されているようだ。

6:43、一休和尚修養地「祥瑞寺」。
ここもサルスベリが満開。
路地を走ると「堅田源兵衛之首」と書かれた「浄土真宗大谷派・光徳寺」があり寄り道。
『蓮如上人の御世、堅田に源右衛門という漁師がいた。上人に帰依し無二の信者だった。
文明3年(史実では寛正6年1466)上人は祖師の御影を三井寺に預けて廻国する。
同12年に山科本願寺を建立の際、この御影の返却を求める。しかし三井寺は生首2つ持って来ねば返さぬと難題を突きつける。源右衛門は、倅の源兵衛の首を打ち落とし三井寺に持っていった。自分の首と合わせ受け取ってくれと言った。三井寺は感心して御影を返した。上人は歌に曰く「あひがたき教へを受けて渇仰のかうべはここに残りこそすれ」』

20170806OnoS157s.jpg 源兵衛の墓石があり、『御首級は本堂に安置 拝観ご希望の方は、庫裡までお申し出ください』と書かれていた。

20170806OnoS165s.jpg 6:50「伊豆神社」。
『祭神:大山祇命・賀茂玉依姫命 寛平4年(892)草創。宇多天皇寛平年間諸国行脚の法性坊尊意僧正により、三島明神分霊を勧請した。村上天皇天暦3年(947)山城加茂大神を勧請し、神田大明神伊豆大権現の2神を祀り、堅田大宮と奉称され、堅田全域の総鎮守として崇敬されてきた。当社を中心に、宮座(自治組織)があり、殿原衆と全人衆の会議制で運営された。主祭神は大山祇命で、御神徳は農林・鉱業・海運・漁業・酒造等海運の神。
当社奥に、伊豆の霊石、幸運を呼ぶ石がある』

湖族衆本拠地の総鎮守だけあって、周囲に堀が切られている。
当時は浮島として軍事拠点にもなっていたのでしょう。
20170806OnoS180s.jpg 「幸運を呼ぶ石」は、ハート型をしていました。
『霊石を擦ると幸せになる。また恋しい人・逢いたい人にその想いが叶う』
ということなので、家内・息子達家族の幸せを願いながら擦りました。
20170806OnoS183s.jpg 
堅田の枝道をキョロキョロしながらゆっくり走り、R161に合流。
7:15、「セブンイレブン琵琶湖大橋西口店」で、ブルガリアヨーグルトブルーベリー3種138円+フルーツ10種類ヨーグルトフルーツミックス162円=300円で朝食にする。
毎晩プレーンヨーグルト450gを食べて寝るので、僕の体はヨーグルトで出来ている。

R161を北上し、「小野」に入り枝道に逸れ新興住宅地を登って、7:23「唐臼山古墳」。
『石棺が露出し、県内に3例しかない規模なので、大和朝廷の官人のものと想像され、被葬者は小野妹子と伝承されている』。

大きな古墳で、琵琶湖が一望できる。
20170806OnoS189s.jpg 古墳上には「小野妹子神社」があった。
『外交・華道の祖神 祭神:大徳冠位小野妹子命 推古朝の廷臣。607年、聖徳太子が随と外交を開くに当たり、遣隋使となり国書を持って渡海する。それには「日出ずる国の天子、日没する国の天子に書をいたす」と記され、大国隋と対等の外交交渉を開き、日本の力を海外に示した。今も外交官・駐在員の参拝が多い。
また妹子は華道の創始者として、今も「池の坊」によって免許の授与が受け継がれている。社殿は古墳上にあり、裏の石垣の跡は、妹子の墓・唐臼山古墳である』

20170806OnoS196s.jpg 南側に展望台があり、琵琶湖大橋から遠く大津・瀬田まで見える。
古墳の周囲は新興住宅地になっている。


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