7/23・岩間寺

次何処に行こうか地図を見ていて、「岩間寺」が目についた。
R1~R422~r106を経て、山道に入っていきます。

枝道に「奥宮神社」と書かれていたので、そちらに入ってみた。
舗装が荒れだし、コンクリート舗装になり勾配が急になった。
途中から更に勾配が増したので、危険が危ないと思いUターン。

もとに道に戻り、13:42「岩間山正法寺」。
昼食としてバナナを1本食べる。
「入山拝観料500円」と書かれていたが、本堂で払うようになっている。
20170723OtsuS199s.jpg 『白姫竜神 開山泰澄大師が、加賀の白山で修行中、白馬に乗った妻女に会った。「白山妙理大権現である」と言われ有難く感じた。大師は当岩間山に白姫龍を勧請された。
女人がこの神を崇めると美女に成ると伝承されている』

白山を開山したのも・・・と帰宅後調べるとビンゴ!修験道の僧でした。
20170723OtsuS202s.jpg そこから眼下に展望が広がっていた。
20170723OtsuS204s.jpg 『岩間山正法寺(通称岩間寺) 真言宗 本尊:秘仏千手観世音菩薩立像 創建は養老6年(722)越前生まれの泰澄大師が、時の女帝・44代元正天皇33才の厄年の病気を法力により治された褒美に勅命により建立。本尊は、当地の桂の木より刻んだ千手観音像で、胎内仏として元正天皇より賜った千手観音をこめた。現在の本尊は、その元正天皇の御念持仏・千手観音立像で、丈4寸8分(15cm)、三国伝来ノエンブダゴン(インド・エンブ川より取れる砂金)の金銅仏で通称「汗かき観音」「雷除観音」「厄除け観音」と呼ばれる。汗かき観音とは、日没とともに厨子を抜け出し、毎夜135地獄を駆け巡り、苦しむ衆生を済度し、明け方お帰りになる。時には汗びっしょりになられることに由来する。
また大師が七堂伽藍建立の際、度々雷が落ち堂宇をことごとく焼失した。困り果てた大師は、自らの法力で雷を捕らえ、仏弟子にしたところ、雷は2つの約束をした。「当山に参る善男善女には雷の難を及ぼさないこと」「岩間山に千年万古つきることのない水を湧かせること」。これが雷除け観音の由来。境内には、雷自ら爪で掘ったという「雷神爪堀の霊泉」があり、現在も絶えることがない。元正天皇の「湧き出ずる 岩間の水は いつまでも つきせぬ法の み仏のかげ」が伝えられる。後白河帝・後宇多帝・正親町帝など歴代の天皇の尊崇篤く、日本三大霊場の1つとして隆盛していた』

大師堂があった。
『泰澄大師 白鳳11年(682)越前生まれ。俗姓は三神氏、父は安角、母は伊野氏。幼少の頃より神童で、常に十一面観音を念じ、僧侶となってからは荒修行をし、その名声は早くから中央に知られていた。大宝2年(702)鎮護国家法師になり、養老6年(722)元正天皇病気平癒のため、奈良の都に来た。
同年、加賀白山を開く途上、元正天皇の勅命で、当山を開く。神護景雲元年(767)86才でこの世を去る。弘法大師 真言宗の開祖。宝亀5年(774)~承和2年(835)』

久しぶりに4文字元号を見た。
4文字元号は奈良時代の聖武・孝謙・淳仁・称徳天皇(重祚)の期間、俗に言う天平時代にのみ使われた年号で、天平が付かない唯一の4文字元号です。
2文字以外は天平時代の4文字5つのみです。

20170723OtsuS213s.jpg 『稲妻龍王社 当山護法善神で、この銀杏の大樹に住む。水を司り、雷難・水難を除き大魔から護り給う』

20170723OtsuS216s.jpg ガマの草がバケツにたくさん採集されていた。
法事に使うのかな?
『不動堂 寛政・文化・昭和年間に再建を繰り返しているが、虫害ひどく現不動堂は平成5年に再建。不動明王・二童子像(平安中期・重文)。不動明王は、大日如来の使者、または大日如来が教化し難い衆生を救うために、恐ろしい姿をとる。二大童子は、不動明王の使者八大童子の1つ。薬師如来坐像(藤原期)阿弥陀如来坐像(藤原期)』


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

main_line
main_line
プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR