7/15・丹波篠山・諏訪神社~春日神社

20170715SasaS198s.jpg 田んぼが左右に広く広がる一直線農道を東に走り、r140を少し南下し、8:53「諏訪神社」。
ここは立派です。
鳥居の額には、「正一位諏訪大明神」と掲げられている。

『天平勝宝の頃(749~758)、信濃国・諏訪大社の御分霊をこの地に勧請した。御祭神は建御名方神(たけみなかた・男神)・八坂刀売神(やさかとめ・妃神)及び八重事代主神。神意によって、飛の山を神霊が鎮座される所と定めた。
はじめは社殿を設けず、大杉を神木として祀っていた。ある時神々しい大蛇が現れ、飛の山を7巻半し「安産さそう、五穀豊穣、武運長久」と言ったと伝えられている』

『飛の山三四郎稲荷神社 篠山城主・青山忠裕(ただやす)公が幕府の老中であった文政年間のある年、江戸両国の回向院広場での上覧大相撲春場所に、篠山から参ったと飛の山三四郎ら8名の力士が現れ、いつにもなく勝ち進みました。負けず嫌いの忠裕公は大変喜んで、褒美をやろうとしたが何処にも見当たらない。調べてみると、皆領内の稲荷神社の名前でした。殿様は幟や絵馬を奉納して感謝した。勝利守護と農工商繁盛の神として崇敬されています』

建御名方神は、大国主命の子で事代主神の弟です。
武御雷神が大国主命が治めている葦原中津国に降りてきて、天孫に国を譲るよう迫る。
大国主命は事代主神に聞いてくれと言う。
魚釣りをしていた事代主神はOKしたが、次に尋ねられた建御名方神は力自慢だったので武御雷神に勝負を挑み、負けて諏訪まで逃げ「生涯ここを出ませんから許してください」と命乞いをする。
古事記神話の名場面です。
八坂刀売神はその妃です。

20170715SasaS205s.jpg 稲荷社の定番・主鳥居が並ぶ山道を登り、稲荷社にも参った。
20170715SasaS213s.jpg この周りに古墳群があった。
古墳群を巡っていると、「市野真徳翁の墓」という案内板が立っていた。
知らない方ですが、どんなものかと山中を歩き、江戸時代風の小さな墓石が並ぶ一角を見つけた。
20170715SasaS216s.jpg ご夫婦でこの下に眠っておられるようです。

帰宅後調べたら、『篠山藩士でしたが、花火を製作中に爆発し両腕を失った。しかし、不自由になった身体で筆を持つ訓練をし、青山氏の系譜・古史旧記を調査し、考証を加え「仰青録」を著した。足掛け7年全て自らの筆によるものだった』。
立派な方が、いつの時代にもいるものです。

r301に出て東へ走り、旧市街メインストリート「二階町」へ出た。
「JA丹波篠山特産館」にバイクを停め、9:19「春日神社」。
絵馬殿を覗く。

『黒神馬絵馬 慶安2年(1649)3代藩主松平忠国が証に転封の才奉納したもので、縦1.53m・横1.93m狩野尚信筆。筆力雄建・精巧を極めている。この馬が絵から抜け出し、畑の豆を食い荒らした伝説から、一時この馬だけに金網が張られた』『大森彦七絵馬 貞亨4年(1687)篠山藩主松平家の臣・塀和佐内景広が奉納したもので、「大森彦七南朝の雄魂に悩まされるの図」と題する。足利尊氏の幕下・大森彦七が、湊川合戦で楠木正成に詰腹を切らせた報いとして南朝諸雄の霊魂に悩まされたという「太平記23巻」の故事によって描かれた』

20170715SasaS223s.jpg 他の絵馬も見事で、皆見ごたえがあった。
木曽義仲の妻・巴御前が、騎乗し勇敢に戦っている絵馬に最も惹かれた。
この神社には何度も来ていますが、その時により絵馬の印象さえ違う。
面白いものです。

『春日神社能舞台 能の愛好家・13代篠山藩主・青山忠良(ただなが)が、文久元年(1861)春日神社に奉納した。建築は稲山嘉七・永井理兵衛が担当し、能舞台の背景の松は松岡曽右衛門の筆。至れり尽くせりの設備を整え、建てられた当時箱根より西でこのような立派な舞台はないとまで言われた。床板を踏む音を反響させるため、床下に埋めた7個の大瓶の伏せ方の完全なことは、全国能舞台中屈指と言われる』

本殿に上り藤紋が下がっている。
藤原氏の氏宮「春日神社」らしいな。
この社の祭礼は豪華で、9基の鉾山と4基の金神輿が巡航する。
その写真が社殿に飾られていた。


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