5/21・三尾神社~新羅善神堂

20170521OsakaS188s.jpg 20170521OsakaS189s.jpg 20170521OsakaS196s.jpg 境内にも、うさぎの像がある。
拝殿の屋根正面垂れにもうさぎの彫刻がある。

『三尾神社とうさぎ 三尾明神が太古、卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・兎の方角より出現されたので「うさぎ」が神様の使いとされている。御神紋は「真向きのうさぎ」とされ、卯年生まれの方の守り神として崇められている』

拝殿の鈴の前に下る暖簾にまで、ウサギの神紋です。
可愛い神社だな。
20170521OsakaS203s.jpg 本殿を覗くと、左右を武者木造が守護しています。

20170521OsakaS208s.jpg 『参拝の唱えことば 運気上昇 「祓へ給ひ、清め給へ、守り給ひ、幸い給へ」』
神様の存在の有無は知りませんが、神を祀る神社に向かって手を合わせる行為は、自らに向き合うことで、これまでの生活を振り返ることで、自らや子孫の繁栄を願う心が湧きます。
それが明日からの努力につながり、神社への祈りで頂いた根拠のない自信が、行動する勇気につながるように思います。
それが運気を上げることになる。

20170521OsakaS216s.jpg 6:34、三井寺の山門を激写。
「新羅善神堂」に向かうと、6:38、「FURIAN 山の上迎賓館」の暖簾が下がる上品な日本式の門の前に出た。
20170521OsakaS217s.jpg 門前は水を掛けて掃除した後で、感じの良いレストランだなと思い帰宅後調べました。
ガーデンレストラン&ウェディングでした。

道標があり、各史跡道程が書かれています。
「新羅善神堂(国宝)0.1km」
『逢のみち湖のみち山歩みち 大津の散策路 大津京の道 長等神社1.85km 崇福寺跡4.55km 弘文天皇長等山前陵 弘文天皇は天智天皇の第一皇子であった大友皇子で、叔父の大海人皇子(天武天皇)との皇位継承争い(壬申の乱672年)に敗れ、この付近で自害された。日本書紀では、即位は認められていないが、明治3年(1870)に第39代天皇として諡号された』

20170521OsakaS221s.jpg 野生の勘で細道を歩いていくと、木戸が半開きになっています。
そこを入ると右側に玉垣が囲んだ檜皮葺きの社殿が見えました。
20170521OsakaS229s.jpg 社殿前の境内は年季が入っており、社叢に巨木が数本見えます。
とても良い感じです。

20170521OsakaS238s.jpg 『堂は3間四方・流れ造り、屋根は檜皮葺の美しい建物で、国宝指定されている。暦応3年(1339)足利尊氏が再建した。新羅明神は、圓城寺開祖智証大師の守護神で、本尊・新羅明神坐像も国宝。源頼義の子・義光がここで元服し、新羅三郎義光となったのは有名です』

長等神社の謂れ板に書かれていたように、三井寺圓城寺の鎮守社として新羅前神堂が勧請されたようです。
智証大師と新羅の関係に疑問を持った。
智証大師は最澄・空海などと一緒に唐に渡った学僧の1人ですが、新羅経由で帰国したのかな?

湖西に多く住んだ渡来系氏族出身なのかとも思ったが、朝鮮半島は神功皇后の三韓征伐以来、日本に朝貢する国ではあったが、天智天皇の任那・百済への援軍が、新羅・唐連合軍に敗れて以降は、新羅が朝鮮半島の勝者であり、百済系の渡来人が多かったはず。
どうも智証大師と、新羅の関係が腑に落ちない。

帰宅後調べたら、最澄・空海・円珍ら一行は、豊前宇佐神宮に参拝し、航海の無事を願った。
宇佐の八幡大菩薩の勧めで香春神社の賀春宮で航海の安全祈願する。
途中色々あったが、新羅の商人船で無事大陸に渡れた。
香春神社の祭神は、新羅から渡来した新羅の神だそうで、以来守り神になったそうです。

九州北部は、地理的に渡来人が多く住んだ地域なので、新羅からの渡来人が新羅の神を祀ったのでしょう。
あるいは、海上貿易基地として駐在した新羅人が祀ったのでしょう。
ここに参ることは、新羅貿易船とのコンタクトを取るということでもあったと想像します。

因みに円珍は空海と同じ讃岐出身で、空海の甥ということでした。
湖西の地域柄、湖西に棲む渡来人との関係が想像されましたが、違っていたようです。


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