5/14・和歌山海南・有田ツーリング11 田殿丹生神社~願成寺

14:35「田殿丹生神社」。
20170514KainanS572s.jpg クスノキの大木があります。
『田殿丹生神社・夏瀬の森のクスノキ 幹周7.32m・樹高22m・樹冠東西37m南北35mにも及ぶ大樹で、和歌山県内最大級のクスノキです。樹齢4~500年と推定される。田殿丹生神社のご神木で地域のシンボルです』

20170514KainanS591s.jpg 平安の大洪水で流路が変わり、鎮守の森が持って行かれたのでしょう。
神門を入ると祭の写真が貼られている。
『大神はこの神池・夏瀬の森へ御神幸され、ここを中心に水銀の開発に力を尽くされた。また農業を創始された。神功皇后や応神天皇は、大神を御尊崇し、1600年前に当社を建立された。この頃の夏瀬の森は、はるか南の方にも広がった大きな森で、有田川もずっと南を流れ、社殿も森の中にありました。1000年ほど前の平安期、大洪水のため森はその北部の一角のみとなり、社殿も白山の麓に移されました。現在境内に奉安されている御神木は、その大洪水で土中深く埋もれた楠で、河川工事の際現れた由緒深いものです。また
夏瀬神社の裏にそびえる楠は、足利義満公が金閣寺建立の際、天井の一枚板に使うため切り倒した切り株から生えた。
900年前、真言の僧・幻蔵上人が神社の東・神谷に七堂伽藍・21坊を建て、神谷山最勝寺と名付け両部神道によって奉仕された。その後一時衰えたが、明恵上人が再興され、豊臣氏の頃(400年前)最勝寺は破却され、それ以降は神道で奉仕されている。以前、高野大明神が井口にてお祀りされていたので、丹生社を上の宮、高野社を下の宮と申しますが、現在では高野大明神は本殿(丹生社)に祀り上げています。秋の例大祭には、上の宮と下の宮(御旅所)との間の御渡り祭祀が行われます。田殿の里の氏神様は、産業発展(農業・工業・商業)の神、開運の神、縁結びの神として、広く深く信仰されています。昭和3年、夏瀬の森は県史跡名勝保存顕彰規定により史跡に指定されました』

20170514KainanS598s.jpg 全国各地に「丹生」という地名が残っているが、高野山周辺・和歌山県北部に特に多いように思う。
水銀は、金を抽出する時に必要で、水銀は金と簡単に化合物となり、それを熱すれば水銀が蒸発し金だけが残ります。
石段を上り、本殿にお参りし、屋根のある場所に置かれている土中から掘り出された御神木の楠を参った。

R480を東進し、r18に乗って北上します。
峠越えの道で、僕はゆっくりだけどバイクで走るとなかなか楽しい道です。
峠を越え、海南の平野が眼下に見えだし、下りに入ります。

15:12「願成寺」
寺院に直接上がれると後でわかったのですが、急勾配の枝道が上がっていました。
「君子危うきに近寄らず」で県道脇にバイクを停めます。

20170514KainanS605s.jpg 『850年前、湛慶上人が創建。上人は美福門院(藤原得子)の兄弟で、三上院多田卿にあった千光寺の別当をつとめていた。平安末期・久安元年(1145)待賢門院(藤原璋子)が亡くなった時、その冥福を祈るため千光寺別院として当寺を建立した。「別院」という地名はここに由来する。かつて七堂伽藍が整い、堂塔も24舎を数える大寺院でした。本尊・千手千眼観世音菩薩は、鎌倉時代作で古くから注目され国の重要文化財となっています。所蔵する古文書は県指定の文化財で、裏山からは平安末期の経塚も出土しています。 宗旨:天台宗』

「待賢門院」と「美福門院」2人の美女を巡る争いは、平安末期の天皇・上皇を巻き込んだ大スキャンダルです。
白河院の長い院政の間、孫の鳥羽天皇は白河院の専制に苦しんだ。
白河院が少女の頃から育てた美女・藤原璋子(待賢門院)を后に押し付けられたが、その後も白河院との密会が続いたという。
生まれた顕仁(あきひと)親王(崇徳天皇)も、白河院との子であったらしい。
璋子は男を迷わす美貌の持ち主で、鳥羽天皇もその魅力の虜になってしまう。
やがてその親王が5才になると、白河院の命令で鳥羽天皇は譲位させられてしまった。
まだ21才だった鳥羽院は大いに不満を持ったが、実力では祖父に敵わない。

やっと白河院が崩御し、鳥羽上皇は院政を引き始める。
魅力的だが年上でも有り、祖父のお古だった待賢門院を遠ざけ、これまた美女の藤原得子(美福門院)を寵愛するようになった。
やがて2人の間に体仁(なりひと)親王が生まれる。
親王が3才になると、待賢門院との間に親王が4人いるにもかかわらず、崇徳天皇に譲位を迫り、美福門院との間の若い親王を近衛天皇として即位させてしまう。
崇徳天皇は、まだ23才でした。

これら、2人の美女を巡って、公家は待賢門院方・美福門院方に別れ、天皇と上皇の2つの権力も交え、ドロドロの権力闘争が繰り広げられる。
ここに天皇と上皇のボディーガードを職とする各地方の有力豪族武士達が、有力公家の命令で実力行使の戦闘を繰り広げたのが、「保元・平治の乱」でライバル源義朝を追い落
とした平清盛が、実力で最初の武家政権を打ち立てる。

その後の義朝の子・頼朝・義経、義朝の弟の子・木曽義仲の平家打倒を描いたのが平家物語です。
大長編小説ですが、男の子には権力争い有り、戦闘シーン有りの大スペクタクル作品で面白い。


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