4/23・播州寺社巡りドライブ 「多聞寺」

小さなお寺なのに、駐車場が充実しています。
30台は停められそう。
この日は僕1台です。

20170423HarimaS223s.jpg ここは、この日一番訪問したかったメインディッシュです。
黒田官兵衛配下の「黒田24騎」の1人で、真田幸村と共に大阪の陣を戦った「大坂城五人
衆」でもある後藤又兵衛の菩提寺で位牌を供養しています。

20170423HarimaS224s.jpg 黒田官兵衛と恋仲だった娘が、赤松内部の抗争で死にますが、一説にはその娘と黒田官兵衛の間の子ではないかとさえ言われています。
後に黒田家当主となる息子の黒田長政とともに育て、長政の参謀にしようとしたが、反りが合わず、勘兵衛没後に黒田家を離れます。
長政が他大名に奉公構を出され、浪人の身となる。

20170423HarimaS225s.jpg 起死回生を狙った大坂の陣、冬の陣では徳川軍を撃退したが、堀を埋められた翌年の夏の陣に至り、道明寺の戦いで討ち死にした。
武士らしい生き方をした人で、今でも多くの人に好かれている。
戦国末期、信長・秀吉・家康が活躍した時代のバイプレイヤーです。

山門前に、「禁葷酒」と刻まれた大きな石柱が立っている。
禅宗のお寺だなあと見ると、曹洞宗となっていた。

20170423HarimaS236s.jpg 『大坂夏の陣・河内道明寺の戦いで後藤又兵衛が討ち死にした翌年・元和2年(1616)、又兵衛三男・佐太郎が、父と兄を弔うため、岩本官兵衛から土地の施しを受け、又兵衛の一周忌に合わせて多聞寺を建立した。現在も又兵衛の真牌(位牌)を本堂に奉安している。西隣の大村町には、三男佐太郎の末裔の方が、現在も住んでおられる』

20170423HarimaS239s.jpg 位牌は見られなかったが、写真が載っていた。
『法名 西照院殿夏安道蓮大居士 住職いわく、「院殿」は殿様しか着けられない法名。大坂から見て西方向で活躍「西照」し、大坂「夏」の陣「道」明寺の戦いで、「安」らかに眠られたという思いが込められている』

位牌の裏には、『大織冠鎌足公苗裔鎮守府将軍藤原秀郷23代後裔、播磨国住人後藤又兵衛尉基次、元和元年5月6日於河内国道明寺戦死。行年53。孝子太郎正方識之』と書かれている。

20170423HarimaS240s.jpg 葬式仏教のお寺という構えの何処にでもあるようなお寺ですが、本堂の蟇股の彫刻がなかなかのもので、播磨の寺院は彫刻にお金をかける文化があるのかと思った。
20170423HarimaS242s.jpg 本殿には、NHK大河ドラマ「真田丸」のポスターはじめ後藤又兵衛関連のポスターた案内・パンフレットが貼ってありました。
裏の墓地も巡ってみましたが、江戸時代からの新しいお寺でもあり、めぼしい掘り出し物はありませんでした。

r43に乗り、また南へ北条鉄道を渡ります。
R372に乗り篠山方面へ、今度は北条鉄道を北に渡ります。
r23に乗り、JR加古川線を渡り、加古川を渡ります。
R175を渡ります。
ハナミズキの街路樹に白い花が咲いています。
r75にチェンジし、13:41「浄土寺」。

『奈良東大寺を再建した重源(ちょうげん)上人によって、鎌倉時代・建久年間に建てられた。東の丘陵から伸びる尾根先端を、寺院の場所として選んでいます。
浄土寺から見れば西が開け、大きな空が広がっています。夕方になると美しい夕日が望め、仏の住む国・西方浄土が実感できるように工夫されている。周囲には水田が広がっていますが、かつては浄土寺を本寺として、それを守るように塔中寺院と呼ばれる寺院が多数存在していた。現在は歓喜院(南寺)・宝持院(北寺)の2院となっていますが、14院あった』

平安末期、何かと強訴してくる南都勢力を抑えるため、平清盛の命で南都攻めが行われ、東大寺の多くの伽藍も灰となりました。
それを再建したのが重源上人です。

20170423HarimaS249s.jpg 奈良のお寺のような素朴な屋根様式が見えます。
20170423HarimaS254s.jpg 境内に入ると、藤棚が紫になっており、藤が下がっているほどではありませんが、咲いています。

『国宝・浄土寺浄土堂 重源上人が入宋して学んだ「天竺様」建築技法を用い、建久5年(1194)上棟された。天井を張らない化粧屋根裏、太い円柱に差し込まれた肘木、それにかかる虹梁、鼻隠板を打った軒などにその特徴が伺える。東大寺南大門とともに、「天竺様」を伝える貴重な建物で、お堂としては日本唯一のものである』

『国宝・阿弥陀如来・両脇侍立像 三尊とも快慶の作。浄土堂の本尊で、観音・勢至菩薩を両脇侍として立つ丈六の巨大木像である。好天の日には、堂背の蔀戸(しとみど)から射し込む西日が床に落ち、その反射を背景に、西方浄土から雲に乗り、早来迎される阿弥陀三尊のお姿を拝することが出来る。「天竺様」-「大仏様」ともいわれる』

拝観料500円払って、早速本堂内へ。
前回、ツーリングマップルに「国宝」とあったので寄った場所ですが、あまりに凄い仏像に度肝を抜かれて、播磨生まれの家内に見せようと思っていました。

この本堂は一度も焼けたことがなく、雨ざらし状態になったことも、何度もリニューアルを受けていますが、鎌倉初期のままの姿を保っています。
三尊はまだまだしっかりと金箔が残り、金色の姿を見せています。

前回、「この金箔はいつリニューアルしたものですか?」とお聞きしたのですが、「当時のままです」との答えにたいそう驚きました。
800年も金箔が落ちすに残っているなんて信じられず更に聞くと、東大寺の大仏などは煤払いと称して払うから、その度に金箔が落ちてしまい金箔の落ちた渋い姿になっておられるが、ここ浄土寺三尊は一度も煤払いをしていないので、金箔が落ちないんだと説明して頂きました。

奈良のキトラ古墳の内壁に彩色が残っているのと同様、昔の技術者の腕は、現代人のそれを凌駕しているように思えてなりません。
この金色の仏像の背から、床に反射した夕日が射すのだから、「これぞ後光」という姿になられるのかもしれません。
一度観たいものです。
床に座り、7分間のテープの説明を2度の聞き、大満足でした。

20170423HarimaS257s.jpg 前回リニューアル中だった境内の八幡社が完成しており、じっくり見させてもらった。
鐘楼を見て、家内は北側に石段を降りていきます。
北の宝持院を見て、家内はそのまま北に歩いていきます。
「ははあ、迷子になってるな」と思い、「車こっちだよ」と明後日の方向を指差すと、「あれ、そうなの?」と笑っています。
家内の方向音痴は、いつも笑わせてくれます。
宝持院は九曜紋でした。


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