4/2・京都・高瀬川~亀岡「神蔵寺」

20170402AkutaS438s.jpg ぶらぶら歩き、14:10高瀬川沿いの彦根藩邸跡に戻った。
20170402AkutaS439s.jpg 高瀬川を見ると、2羽の鴨が水浴びしている。
繁華街のど真ん中でありながら、清い水が流れ鴨やサギがいつもいるのが、京都の魅力です。

下流に目を転ずると、高瀬舟がお客さんを載せ移動していた。
20170402AkutaS443s.jpg 高瀬舟に椅子を載せ、そこにお客さんが座っている。
船頭が舳先に乗り、竿で川底を探っているが、左右に脇までの長靴を履いたお兄さん人夫が船を持って動かしている。
まあ、これが実態だね。
水面は膝下程度です。

橋まで来て、激写タイムしています。
20170402AkutaS446s.jpg 小さな筏が川底の紐にくくられて、定位置にとどまっている。
その上に花が飾られ、風情を出している。
高瀬舟乗り場には、次のお客さんがパイプ椅子に座って待っている。
無料のようです。

20170402AkutaS449s.jpg ちんどん屋さんがやって来ました。
懐かしいな、僕が子供の頃は、日曜日の商店街ではいつも賑やかにちんちんどんどんやってたな。
20170402AkutaS450s.jpg 旧高倉小学校前に、「鴨川桜まつり」と書かれた提灯が下がっている。
ここがイベント本部のようです。

バイクに戻りました、11:01~14:27「先斗町バイク駐車場」中大型350円。
亀岡周りで帰ることにしました。
木屋町通を南下し、四条を西に走り、河原町通を南下し、五条通に乗ります。

ここからひたすら西へ。
道なりにR9になり、「沓掛」で京都縦貫道に乗ります。
風が強く、ブローで150kgで軽いVTR250が振られるので、75km/hほどで巡航します。

亀岡ICで下車し、R372に乗り西進。
分岐を「湯の花温泉」方面へ左折し、更に案内板に従って枝道に入り、15:22「神蔵寺」
ツーリングマップルに黒字で書いてあったお寺です。
お寺の前で舗装路が切れ、その先に未舗装の広い駐車場がありましたが、舗装路最後の分岐で少し広くなっている所にバイクを停めました。
横には大きめの農業用溜池があります。

20170402AkutaS453s.jpg 山門に続く「朱色の橋」手前に、入山料300円を入れるポストが立っていましたが、「入山料は受付へお願いします 只今、小鳥の巣箱になっています」と書かれた紙が貼られていました。

『亀岡の自然100選・神蔵寺』の杭が打たれています。
『朝日山神蔵寺(亀岡市稗田野町) 延暦元年(782)、伝教大師最澄が比叡山修行の時、ここに開基した天台宗の行場であった。一条天皇の正暦年間(990~994)には、仏道伽藍塔頭を造営し隆盛を極めた。治承4年(1180)5月、源頼政が以仁王を奉じ平家に敵対し兵を挙げた際、当寺僧徒はそれに加勢し、大津三井寺と呼応して宇治川に馳せ参じた。しかし頼政は敗れ、当寺は平家に寺領を没収されて荒廃した。嘉禎元年(1235)、達玄の再興により旧観を復し、僧坊26を数え遠近老若男女の篤い信仰を得て数百年経た。天正3年(1573)、明智光秀の兵火により焼失、薬師本尊と両菩薩は岩山に隠し難を逃れた。その後承応2年(1653),浄土宗・願西法師が鐘楼本堂阿弥陀堂を建立復興、延宝元年(1673)亀山藩主・松平忠昭の帰依により妙心寺派の高陰玄厚を招いて中興し、現在の臨済宗となった。収蔵庫に安置されている木造薬師如来は、開基最澄自ら比叡山根本中堂の薬師秘仏と同木で作られたものと言われ、藤原期の優美な尊容で、国の重要文化財に指定されており、脇侍の日光月光両菩薩も同時代の作と鑑定されている。現在は、口丹波佐伯薬師として、西国薬師霊場第43番札所になっている』

禅寺のようです。
明智光秀が、織田信長の命を受け、近江坂本から丹波に進出し亀岡に丹波平定の拠点を作った時の兵火に遭ったようです。
平家物語の平安時代から清盛の時代を経て、鎌倉幕府成立前夜の時代にも頼政に味方し敗れた歴史を持っていました。

三井寺に呼応したとは、大した勢力だったようです。
都まで1日の距離なので、北西の位置から僧兵を抱え勢力を張っていたのでしょう。


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