4/2・京都・和風フレンチレストラン・蛸薬師通

20170402AkutaS406s.jpg そこには皆さんがお揃いで・・・のはずが、予想に反しお初の女性が1人だけです。
挨拶し、「あれっ、まだお一人ですか?今までこんなことなかったのに・・・」
掘りごたつのように床が掘られ、長テーブルの部屋です。
畳に座るけど足が楽でいいです。

すぐに皆さん来られ、「あんた、僕らが集合してる横をスタスタ先に入っちゃうんだもの・・・」と。
遅れたと思って、前しか見ていませんでした。
参加者は8名です。

20170402AkutaS409s.jpg ランチプレートを予約しているようで、メニューを見ても考える必要なく楽でした。
自己紹介し、ケーキのような突き出しが運ばれ、あ~だこ~だおしゃべりが始まります。
アメリカに住んでいる長男が、2年後イギリスに移動するかもしれないので、イギリスに住んだことのある方が3人もいて、いろいろ聞けてラッキーでした。

フレンチレストランということだったけど、ご飯と味噌汁があり、メインディッシュのお魚料理とあれやこれや、店員さんが説明してくれたけど、とんと食に興味が無いので、右から左に抜けていきます。

20170402AkutaS410s.jpg 話が盛り上がり、2時間があっという間に過ぎ去りました。
13:30解散です。
この集まりは、現地集合・現地解散のカフェ巡り会です。
まだ聞きたかったので、二次会があるなら参加したいなと思ったけど、「駅まで一緒に帰りましょう」とか話していらっしゃるので、僕はここでサ・ヨ・ウ・ナ・ラしました。

家ごはん好きの僕としては、ご飯があり箸で食べられ楽でした。
ナイフとフォークじゃ、食べた感じがしません。

お店を出ると、パンの美味しい匂いがしており、家内のお土産として買いました。
帰宅後食べましたが、とても美味しかった。
コーヒー風味のパンだったのかな?

「蛸薬師通」を今度は東に進みます。
20170402AkutaS412s.jpg 和服の母娘がいい感じ。
20170402AkutaS413s.jpg サイクルショップが2軒あったので、店内に入ってみました。
20170402AkutaS416s.jpg カバンのお店、お茶のお店・・・京都らしく洗練されています。

20170402AkutaS423s.jpg 「新京極商店街」に突き当たり、そこが「蛸薬師堂」さんでした。
『正しくは浄瑠璃残永福寺といい、本堂に「蛸薬師」と呼ばれる薬師如来の石像が安置している。昔、この寺が二条室町にあった頃、付近に池があったことから、水上薬師または澤薬師と呼ばれ、これが訛ったと言われている。また、この寺にいた善光という親孝行な僧侶が、戒律に背いて病気の母のため、タコを買って帰る所を町の人に見咎められ箱を開けるように言われた。この時薬師如来に祈ると、タコの足が8巻の妙法蓮華経に変わり難を逃れた。その母も全快し、親孝行の僧侶を守った本尊の霊験として、本尊の薬師如来を蛸薬師と言うようになった説もある。病気平癒祈願に参拝する人々で賑わい、参道は蛸薬師通と呼ばれるようになった』

お参りし、新京極を北に歩きます。
20170402AkutaS422s.jpg Tシャツと被り物のお店がありました。

「誠心院」というお寺がありました。
『真言宗泉涌寺派の寺で、才色兼備で知られる平安時代の代表的女流歌人・和泉式部を初代住職とする。関白・藤原道長が、娘の藤原彰子に仕えていた和泉式部のために、一庵を与えたのが起こり。当初、御所東側にあったが、鴨川の氾濫で一条小川に移築し、更に天正年間(1573~1591)豊臣秀吉の命でこの地に移動した。堂内に、本尊阿弥陀如来像、和泉式部・藤原道長像を安置している。境内に、和泉式部の墓と伝わる宝篋印塔及び歌碑が建てられている。またかたわらの梅の木は、式部が生前愛した「軒端の梅」に因んで、
後に植えられたものである』

本堂には、工事ブルーシートがかかり、中に入れませんでした。
20170402AkutaS433s.jpg 宝篋印塔なども確認しましたが、「なるほどね」程度の感想です。
絶世の美女だったらしい大人気恋多き和泉式部は、全国に墓がありますが、元の雇い主が一庵を与えたということは、第一線を退き、悠々自適生活をここで送っていたことが想像され、ここのお墓が最も信憑性が高いのかもしれません。

『新京極 北は三条通から南は四条通に至る500mの通りを「新京極通」といい、平安京の最も東に位置した東京極大路(現在の寺町通)の東側に新しく造られた通りであることに由来する。天正年間(1573~92)、豊臣秀吉が市中の多くの寺院を寺町通に集めたことに伴い、その境目が縁日の舞台として利用され、周辺は見世物や催し物中心に発展するようになった。明治5年(1872)、このことに注目した京都府惨事・槇村正直は、東京遷都で衰えていた市民の士気を盛り上げるべく、寺院の境内を整理して新たな通りを造った。これが新京極通の誕生です。
明治10年(1877)頃、芝居座・浄瑠璃・寄席などの興行や飲食店が並び、明治30年代には、東京浅草・大阪千日前とともに、日本三大盛り場として知られるようになった。上方落語の始祖・安楽庵策伝が住職を務めた誓願寺、和泉式部の寺・誠心院や、西光寺・蛸薬師堂・安養寺・善長寺・錦天満宮・染殿院という由緒ある寺院と1つの神社が通りの歴史を伝えている』
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

main_line
main_line
プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR