あの時は、給水車のお世話になった

小学生の頃は、自宅前を基地から出てきた自動小銃を肩に担いだ二列縦隊の小隊が、訓練をする近所の公園に向かっていた。
戦車でさえ、我が家の前の一般道を走って演習地に向かっていた。

そんな光景が基地内だけに封じ込まれ、少し身近な存在ではなくなった。
出勤する隊員の迷彩服や制服姿だけになったのが、残念です。

フェンスの外から見える国旗掲揚・降下の時、自衛官が一列に並び、国旗を丁寧に扱っている姿が清々しい。
以前は、ラッパも鳴らされていた。
その日での定年退職者がいると、アナウンスされ、隊員に送迎を促す。

休日に駐屯地の外で楽しむ隊員を見ると、海上保安庁を描いた「海猿」の若者そっくりです。
頭髪が整い、茶髪やルーズパンツなど皆無・・・ダサいと言う人もいるだろうが、僕には好ましい。

僕が小学生の頃は、「反自衛隊基地」闘争が激しかった。
メーデーになると、バスなどで大きな赤旗を持った人たちが大勢やってきて、正門や駐屯地を取り囲んでシュプレヒコールが姦しかった。
基地に隣接し、どのクラスにも必ず数人隊員の子供がいて、宿舎にも遊びに行く環境で育った僕としては、知らない人が特定の日だけやってきて批判するのが不思議だった。
何も悪い事していないのに・・・
メーデー赤旗団体さん達が帰った後には、いっぱいゴミが落ちており、私の親も含め地元住民が出て家の前の道を片付けて綺麗にしていた。
学生運動が激しかった頃は、ヘルメット被った人も大勢いて怖かった。
大声を張り上げたりしている自衛隊員なんて皆無なので、赤旗さんの方がよっぽど暴力的です。

沖縄一周ツーリングした時、北部訓練場を櫓を立て双眼鏡で覗いてる反対派さんを見つけ、バイクを止めた時、ギョロリと一斉に睨まれ、僕に向かって数人が近づいてきたので、慌ててエンジンを掛けて逃げた。
自衛隊基地を取り巻いていた赤旗さんと同じものを、沖縄米軍基地反対派さんに感じた。
それ以来、沖縄の米軍反対運動は、地元のまともな人がやってるんじゃないと確信した。

メーデーの大騒ぎが収束していき、静かな時間が流れ、イラクに日本最初の部隊がこの基地から出発していった。
地元の家には、隊員たちの無事の帰還を願う「黄色いハンカチ」が掲げられるようになった。

そして、大きく変わったきっかけになったのが、阪神淡路大震災でした。
震度6強の揺れに襲われ、TVはひっくり返り、棚の本は全て落ちた。
コップやお皿が割れ、室内なのに土足で歩き片付けを開始した。

僕はそれを家族に任せ、近隣の状況を把握するためにバイクを走らせた。
震災が1/17・5:45。
夜明けにはまだ早く、世間は真っ暗だったが、倒壊した阪急伊丹駅舎に驚いた。

電車が今にも落ちそうになっている。
ここで、1Fの派出所に詰めていた警察官が亡くなっていた。
この現場に、自衛隊の車両がすでに待機していた。

地元の伊丹市には、隊員が対の判断で出動し、住民を助けたらしいが、社会党の首相は他人事のようにのんびりし、兵庫県知事は緊急出動要請しなかった。
緊急出動要請がなされていれば、より多くの人を助けられただろう。
電気・ガス・水道のインフラが止まった。
水道が復旧するまで1~2週間、自衛隊の給水車のお世話になった。

その後、新聞で、同じ日本人が同胞を助けるためなのに、自衛隊の独自判断で動けない現状規制をしり、おかしいなと感じました。
お隣の家から火が出たら、誰だって一目散に助けに行くだろうし・・・。
自衛隊が、まるで殺人集団のように見られ、がんじがらめに行動を縛られているのに疑問を持った。

この反省から、自衛隊を取り巻く環境が大きく変わった。
国民の見る目が変わった。
東日本大震災では、基地に飛来し、飛び立っていくヘリコプターが日常になり、「災害派遣」と横断幕を下げた自衛隊車両が、列を成して出動していく。
熊本地震の時も同じで、高速道路でそれらの車両にすれ違うと、「行け!頑張れ!」と運転しながら拳を握った。

どんな仕事でも、誰かの役にたって、その対価としてのおひねりをいただき、それで生活する。
全ての仕事は美しい。
TVニュースで自衛隊の活躍が報道される度に、これが戦前だって戦中だって同じ日本軍の姿だと思った。

「軍人を中心にした軍国主義者の暴走によって敗戦し、多くの民間人を死に追いやった」との歴史観に違和感を感じる。
徴兵されボルネオ島で戦った父から、戦争の恨みを聞いたことが無い。
同時代を生き、ゼロ戦を作っていたという母からも、「無謀な戦争」だったという恨み節を聞いたことが無い。
職業軍人や当時の政府への不満を聞いたことがない。
村長・町長をやってた祖父からは、「武運がなかったが、よく戦ってくれた」と、戦場に出た若者をいたわる言葉が何度か聞いた。

日本には戦前から、イギリスに習った二院制の議会があり、現代と変わらぬ民主主義が機能していた。
母方の本家からも、明治時代に衆議院議員を出している。
独裁国家でも天皇の王政国家でもない。

米軍の圧倒的な物量の圧迫でも、状況を打開しようと戦った戦士がたくさんいる。
自らの命を捧げ、米戦闘艦に体当たりしていく若者がいた。
戦艦大和は、沖縄戦に突入していった。
「沖縄住民は、軍とともに勇敢に戦った。沖縄に対し、どうぞ格別の配慮を・・・」との言葉を打電し、玉砕していった将兵がいる。
現代の自衛隊隊員とて同じです。

当時の軍部に責任転嫁し、自衛隊を白い目で見るのではなく、日本国民全てが選択した結果だ飲み込み、戦前同様自衛隊に国防を預け、ともに日本国として歩み、次世代にバトンタッチして行きたい。

何故こんな昔のことを思い出したかというと、アマゾンプライムビデオで「有川浩原作・空飛ぶ広報室」の結婚式のシーンを見たからです。
「阪急電車」「植物図鑑」「レインツリーの国」「県庁おもてなし課」「図書館戦争」・・・いろいろ読んだし映画も見た。
適当に「恋愛物」、適当に「軍事オタク」、適当に「制服好き」、そして「本好き」・・・こんなところが好きな作家さんです。
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