10/30・播磨・日光寺~柳田国男生家

20161030NomaS189s.jpg 道の戻り、山を目指して走っていると、枯れ木が林立する異様な山が目に入ってきた。
キクイムシの仕業なのか、ヤバイなここ。
山道になり、13:06道路脇の木々が切れ下界が一望できる場所でストップ。
東屋もあります。
20161030NomaS192s.jpg 福崎盆地が一望です。

四輪はすれ違えない道を、カーブでホーンを鳴らしながら登っていくと、目指す「日光寺」と思われる寺院が谷を隔てた中腹に見えます。
20161030NomaS196s.jpg 電波塔がその上に建っています。

13:14、鐘楼があった。
20161030NomaS198s.jpg 「日光寺」は枝道の先にあるようです。
コンクリート舗装路は更に登っており、電波塔への点検路として整備されたようです。
慎重にバイクを停め、山道に入っていきます。

地道との分岐があり、「大善寺2.4km・岩尾神社3km」と書かれています。
そう言えば途中に、気になる神社がありました。
20161030NomaS209s.jpg 『播磨中の本山日光寺由来 大化元年37代・孝徳天皇御代、法道仙人の開基。日光月光万多羅の三寺建立。40代天武天皇白鳳元年、勅命ありて再建。宝暦年間、奈良の僧・了心明道聖人復興業起し、13棟建立。姫路城主代々信仰あり。鬼門除けの守護寺とし、表門建立禄を給う。
小松宮後光明寿院一品太王侍従如月随で来住。世に播磨御室御所尊唱し、瀬戸水運将・河野直賢出家来住するや、多くの財寄進隆盛。明治より3度廃亡、昭和6年現住職僧正・淳明復興業起し、本堂倉裡初め、求聞寺堂研修所鐘堂8棟3度復興す。
 寺宝/本尊千手十一面観音・左甚五郎策大黒天・徳川家康直筆』

『真言宗音室派の中本山で、かつては天武天皇勅願寺、霊元天皇の御猶子隠居所として栄えました。日光寺山から、姫路平野・播磨臨海工業地帯、遠くは六甲山系や明石海峡大橋を一望できます』

石仏や電波塔の写真を撮りながら、景色が良さそうな本堂に歩いていると、何と年配の男性がいました。
山道ですれ違うものはなく、車も停まっていなかったので、人がいるとは思っていなかった。
リュックを背負ったトレッキングスタイルです。

「歩いて上がってこられたのですか?僕はバイクです。凄いですね」
「下から、いえ家から歩いてきました。3時間です」

「お気をつけて」で別れました。
20161030NomaS215s.jpg 本堂前に展望ポイントが整備されており、かなりくたびれておりますが、100円双眼鏡まであります。
秋の晴れた休日、これを目当てにハイカーが上がって来られても良さそうですが、距離が有りすぎるのと、ずっと舗装車道だから人気がないのかもしれません。
20161030NomaS219s.jpg 市川を中心に広がる福崎盆地から市川の河口にある姫路の工業地帯、更に海まで見えます。

バイクに戻り下ります。
13:38、「岩尾神社」
『石造鳥居と石橋 この鳥居は、姫路城主・池田輝政が慶長16年(1611)建立したもので、県指定の重要文化財です。石橋も同じ時期に造られたもので、造り方は簡素で反橋の形式となっている。
建立された時は欄干があったが、今は親柱を差し込んだ跡が残っているだけ。県指定の重要文化財』

鳥居は、慎重の高い人なら頭をぶつけそうに低く、石橋は雑草で半分埋まっている。
20161030NomaS234s.jpg 『岩尾神社本殿 一間社流造・柿葺 創立は一条天皇の正歴2年(991)と伝えられ、慶長年間池田輝政が幕命により、前殿・拝殿・鳥居を修造した。小規模の社殿は、よく保存されている。蟇股などは、極彩色で桃山時代の様式を伝え、絵様彫刻等細部手法も、その頃の手法を示しており、貴重な遺構である』

『鳥居は凝灰岩製で、沓石がなく、直接地中に埋められている。各部材が細く、柱に内転がないこと、全体に背が低い事など古い様式を持っている。柱の断面が隅丸方柱状で、この地方の特徴をよく表している。高さ3.5m・柱間3m。柱に刻銘が有り慶長16年(1611)に造られたことがわかる。
石橋は、全長6.2m・川底からの高さ3.1m。架橋手法が簡素で、古調を帯びることから、鳥居と同時期頃造られたと考えられ、近世初期の神橋形式を知る上で貴重』

14時が近づき、タイムリミットの15時が近い。
16時になると暗くなってくるので、それまでの帰宅を考えると、もう余裕がない。
笠形山周辺の林道、千ヶ峰周辺の林道を前回断念した夏時期ツーリングでは計画していたが、とても無理です。
日没が早くなると寂しいな。

TMを見ると、柳田国男生家が近い。
r23に出て、13:53生家到着。
駐車場が満車に近い。
どうせ藁葺き屋根の家がポツンとあるだけと予想していたのに、意外に人気です。
小さな子連れの家族が多い。

学問成就の道というのがあり、そちらに歩いていると橋を渡った。
下に池があり、鯉が泳いでいる。
池の畔に、河童の銅像が建っている。
さすが歴史民俗学の大家だと、謂れ板を読む。

『河童の河太郎と河次郎 福崎町には、市川という大きな川が流れています。この川の岸に、駒ヶ岩という大きな岩がありますが、そこには以前河童の兄弟が住んでいました。2匹は、川へ遊びにやってきた子供の足を掴んで引きずり込み、「尻子玉」を抜いてしまうのです。やがて子供たちは遊ばなくなり、2匹は後悔しました。ある日の夜、柳田国男先生に謝ろうと、生家のあるこの辻川山公園にやってきたのです。柳田先生に会いたくて、毎日この池で待っていました。兄の河太郎は池の畔で、弟の河次郎は池の中で何年も待ちました。とうとう河太郎は頭の皿の水がなくなり、池の畔で固まって動けなくなったまま、今も巌橋の方を見て、柳田先生の帰りを待っています。弟の河次郎は、今でも池の中から出てくることがあります。池の中をずっと覗いていると、尻子玉を抜かれるかもしれませんよ? *この物語はフィクションです。 河童の出没時間は、駐車場公衆便所前の掲示板にてお知らせしています』

あ~、ここだったんだ。
ネットで、河童が池から出てくるのを見たことがあります。
だから子供が多いのですね。

20161030NomaS241s.jpg 「尻子玉」を帰宅後調べてみた。
『肛門付近にあるとされた架空の臓器で、これを抜かれると腑抜けになると伝えられている。 これは、人間が溺死すると肛門括約筋が弛緩して肛門が大きく開き、あたかも玉を抜かれたようにも見えることから、「河童が尻子玉を抜いた」と言われる』




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No title

こんばんは~
これはまた、すごい山奥探索ですね~
城跡攻め、山寺攻めと歩きの距離も多く健康的です。
池からカッパが出てくるのはテレビのニュースで観たことあります。
今でも子供に人気なんですね。

最近は夕方5時を過ぎると暗くなってきますね。
私は目が悪いので夜の走行が苦手で
ナイトツーリングなどはほとんどしません。
できれば、日が落ちる前に帰りたいものですが
いろいろ寄り道したい誘惑と戦うのが大変ですね(笑)


No title

まんとさん
歴史好き・絶景好きなので、バイクは細道でも入っていけるから、足として最高です。
山城攻めを結構な頻度でするので、ツーリング&ウォーキングになることが多いです。

僕は、暗いと危ないので、陽のあるうちに帰宅したいといつも思っています。
これからの季節、日没が早いので、ツーリング探索時間が減るので残念です。
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