10/16・網敷天満宮・那須与一の墓

花壇に、珍しいものを見つけた。
20161016KobeS272s.jpg 浩宮皇太子殿下のお印・アズサ、雅子皇太子妃殿下のお印・ハマナス、敬宮愛子殿下のお印・ゴヨウツツジと書かれた銘板が刺さり、それぞれが植えられている。
皇族には、お印の植物があるのですね、知らなかった。

R2を東進し、r22に左折し、セブンイレブンで昼食休憩します。
家内はお弁当、僕はバナナを食べました。

13:19、阪神高速の高架下の地区駐車場に入れます。
20161016KobeS275s.jpg 目の前の家の2Fの窓が少し開いており、鳩が出入りしています。
鳩小屋になっているようです。
小学生の時、弟が親父に2Fベランダに作ってもらった鳩小屋で、鳩を飼っていました。
親父と一緒に伝書鳩を車に積んで遠くまで行き、離して戻ってくるのを楽しんでいました。

20161016KobeS277s.jpg 「那須与一の墓」を訪ねます。
20161016KobeS278s.jpg 五輪塔がポツンとあるだけだろうと予想したのですが、差に非ず、「源平ゆかりの地・神戸へようこそ」の目印が下がったところに階段があります。

20161016KobeS280s.jpg 『那須与一は、源平合戦に際し、北向八幡宮を守護神として、源義経に従い、数々の先陣に加わった。屋島の合戦で扇の的を射落とし賞賛を得た若武者。晩年、この地へお礼参りに訪れますが、病の得てここで亡くなった。道路を渡った東側に、与一を祀った那須神社と、与一が信仰した北向八幡宮があります』

階段を上がっていくと、予想外に社殿がある。
中を覗くと畳敷で、那須与一御詠歌が下がっている。
もう一段上がるところにも社殿があり、裏は地区の墓地になっている。
「お知らせ ・月・日、与一墓所にふさわしく、当墓所の草刈清掃を行いますので、墓の所有者は必ずご参加願います」の案内板が立っている。
「那須与一公之墓」の銘板が下がる建物で、墓所集会場ということでしょうか。

壁には多数の絵馬が下がっている。
中に入ると、地区当番の女性2人がお喋りをしている。
「ようお参りくださいました」
中央に与一のお墓があり、雨ざらしではなかった。
まずチャリン、お参りして、展示されている資料を読む。

20161016KobeS285s.jpg 『那須家は、下野国(栃木県)那須を所領し、田畑の開墾馬の生産を主に勢力を伸ばした豪族。那須与一は、那須太郎資隆(すけたか)の11子として生まれた。源平合戦には、兄9人は平家に属し、与一は兄・為隆とともに源氏に属しました。当時は嫡男が世襲するのでは必ずしもなく、最も優秀な者が当主となり、また戦乱に対する武門の心得として両陣営に分かれるのは当然のことでした』

那須与一は、大織冠藤原釜足公の後裔だそうで、僕の母方の本家と同じです。
菅原氏の末裔ですが、美作の城を赤松氏とともに足利尊氏に味方したことで、新田義貞軍に落とされ、北関東・下野国に敗走したことから、その地で大織冠の血筋と縁ができたと、先祖の本に書かれている。

「那須与一絵馬・500円」を授かりました。
また我が家の祠に、願いを書いて下げよう。

20161016KobeS299s.jpg 道路を渡り、階段を上がり、『北向八幡宮 大国主命が祀られており、出雲に対しての敬意から北向きに建立した。一の谷合戦で、源義経は村人から、「御神威が高く飛ぶ鳥でさえ社殿の上空を飛べない社があると聞き、那須与一に武運長久を祈らせた。戦乱の後、与一はお礼参りに当社を訪れますが、中風のため当地で亡くなった。境内に与一を祀った那須神社があり、道路を渡った西側に、与一の墓があります』
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