10/16・須磨寺・網敷天満宮

三重塔、親子地蔵・シベリア満蒙戦没者慰霊碑を見て、「あつもり首塚」
20161016KobeS245s.jpg 小ぶりの五輪塔が、覆屋に守られています。
『謡曲「敦盛」は、戦乱の巷では敵であった者同士が、極楽浄土でともに成仏する運命になったことを主軸にして作曲された修羅物である。一ノ谷の戦いで、少年・敦盛を討った熊谷次郎直実は、無常を感じ出家し蓮生と改め、菩提のため古戦場を訪ねると、敦盛の霊が草刈男の姿で現れ迎える。蓮生はひたすら回向を続けまどろむ夢の中に、華やかな姿で現れた敦盛が、一門の没落の運命の中にも忘れかねる快楽の日があった事や、戦いの有様を物語り、敵蓮生の日々の回向に感謝し、ともに極楽往生のできることを喜びつつ消え去る。直実は、義経の首実検の後、許しを得て遺品「馬・甲冑・弓矢・青葉の笛」と共に、戦死の有様を書き添えて父・経盛に送った。懇ろに弔われた「敦盛首塚」は、今も人が絶えない』

20161016KobeS248s.jpg 五猿の像があった。
『ためにならない態度を見ざる。ためにならない事を言わざる。ためにならない話を聞かざる。ままにならない事を怒らざる。まんまんちゃんは、善い行いも、悪い行いも、見て五猿』

境内の一部の石畳タイルを歩くと、ふんわりと感触が良かった。
おかしいな?と思うと、横に「四国八十八ヶ所霊場お砂踏み 石畳の下にお砂が入っています」と書かれていた。

集合墓塔内を覗くと、引き出しが左右奥に並び、それぞれの引き出しに名字が書かれていた。
墓石や墓所を購入せず、このような方法で先祖のお骨を供養されているようです。
これなら子孫が先祖を感じながら参ることが出来ますね。

須磨寺からまっすぐ海に向かって下り、山陽電車を渡って下っていき、2:26「綱敷天満宮」到着。
菅原道真が、藤原氏の陰謀により大宰府に左遷された道中、この浜に上がった。
漁師が網を円座にして道真を接待した故事により、この名がついた。

20161016KobeS256s.jpg 「祖霊舎・奥津城」の案内板が出ていた。
神式のお墓の案内ですね。
神式の墓石は先が尖り、「奥津城」と刻まれていることもある。

我が家は仏式だが、葬儀一式は神式やキリスト教式の方が、圧倒的に安くあがる。
従兄弟にいろいろ調べて、神式に衣替えすると言ってた者がいる。
家内の実家は、女の子2人だったので継ぐ者がいない。
義理兄が、家内の実家の仏式墓の隣に、兄の実家の神式のお墓を移すと言っている。
姉夫婦は、どちらに入るのだろう?

家内と結婚してしばらくした頃、姉夫婦が転勤族だったので、姉夫婦が墓守しないなら、僕ら夫婦で家内実家の墓も墓守しようと考えていた。
幸い、姉夫婦は家内の実家から援助を得て、実家近くで開業したので、その心配はなくなったが、先祖の供養・自分たちの行く末は、その時以前から、考えておかなければならない。

立派な社務所があり、子供向けの童謡が境内に流れている。
本殿に向かうと、初宮参りと思われる一家がおられた。
20161016KobeS259s.jpg ご夫婦と青い着物を羽織った子、両親の親御さん揃い踏みで、僕らと同じような年齢のご夫婦が2組。

1週間前に、次男の初めての子のお宮参りをした後なので、本殿をバックに笑顔で写真を撮っている様子を、微笑ましく見ていた。
すると、「すみません」と声がかかり、僕がご家族全員集合写真を撮ることになった。
「おめでとうございます」

綺麗な三重塔が建ち、気持の良い天満宮です。
無料貸衣装があり、社務所内に写真スタジオまであるようです。
全国1万社の天満宮内の25霊社の1つと由緒も歴史もあるお宮ですが、宮司さんの経営力も素晴らしそうだ。

20161016KobeS262s.jpg 本殿横に、「波乗り祈願」と書かれたサーフボードを持った道真さん像があった。
大きな波は立たないが、須磨もサーフィン野郎淑女が集まる浜なので、それを狙っているのかも。
敷石にもサーフィン型のがあったし、珍しい。

20161016KobeS265s.jpg 家内が熱心に絵馬掛けを見ている。
学問の神様だけあって、「・・合格」の祈願が並んでいる。
僕は美作菅家党の血を引くので、天神社・天満宮と名がつく神社を見かけると、寄り道したくなっちゃう。
先祖を祀るお宮に、手を合わせたくなっちゃう。
僕が今こうして幸せに生きていけるのも、先祖あってこそです。

20161016KobeS269s.jpg 母子像が立っていた。
『「ひさかたの月の桂も折るばかり、家の風をも吹かせてしがな」 菅原道真公が15才の元服の時、母君が贈った歌とされる。あなたも早く試験に合格して立派な官吏になれよと、我が子への励ましの歌です。菅公の母君に関する物的史実はほとんど残っていません。お姿・お名前も不明で、いつ・どこで出生したかも定かではありません。「家風」という言葉を最初に歌った方
で、大伴家持などを輩出した伴家の出身ということだけわかっています。しかし、夫に尽くし、優しく、我が子を可愛がりながらも、単なる教育ママでない厳しさと賢さを兼ね備えた女性だったという言い伝えが残っています』

生活費から割いて僕に普通に学問を付けてくれた親に感謝だし、僕らも息子たちの学費はケチらなかった。
母親の実家はお金持ちだったが、「女の子に学問は必要ない」時代にも関わらず、女学校・大学まで通わせてもらっている。
家内の母親も大卒なので、子供の教育第一の平安時代文章博士などを生業にしていた菅原家の血が、これからも続くことを願いたい。
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