9/11・近江坂本日吉東照宮・坂本城址

r47に戻り、すぐ北に車を停めた駐車場が見える。
20160911ShigaS085s.jpg r47を西に渡って、長い階段を登っていく。
石鳥居が階段をまたいで建っているが、更に階段が登っています。
朝のお散歩のお父さんと挨拶。

やっと上まで上がれました。
r47から3分。
20160911ShigaS092s.jpg 『日吉大社・末社・東照宮3棟 桁行3間・梁間3間・一重・入母屋造・銅瓦葺の本殿と、その前面にある桁行5間・梁間2間・一重・入母屋造・銅瓦葺の拝殿とが、桁行3間・梁間1間・一重・両下造(まやつくり)・銅瓦葺の石の間(相の間)によって繋がれた建物で、権現造という形式の典型です。この社殿は、日光東照宮に先立って、寛永11年(1634)天海僧正によって営まれたもので、前面の向背には、軒唐破風がつき、その後方に千鳥破風がつき、蟇股の彫刻は精巧にできています。また内外とも装飾が華やかで美しい。正面入口の四脚唐門と周囲に巡らされた透塀(すかしべい)も美しく、社殿とよく調和しています。大正6年(1917)4月に、国の重要文化財となりました』

20160911ShigaS095s.jpg 『日吉東照宮 ご祭神:徳川家康公・日吉大神 創建:元和9年(1623)その後再建着工寛永11年(1634)正遷座(現社殿) ご利益:出世開運・武芸上達 天海上人が唱えた山王一実神道により、権現造りの社殿が当面して建てられ、薬師如来(本地仏)を祀る本地堂も、石階段下北東の地に造営されました』

20160911ShigaS096s.jpg まだ彩色が鮮やかに残り、隙間を通して垣間見える社殿も美しい。
20160911ShigaS097s.jpg 拝観料払っても、入って間近で見てみたい社殿でした。

20160911ShigaS109s.jpg 階段を下りだすと、寮から出てきた野球部の部員が、歩いて上がってきます。
「おはようございます」と挨拶して、社殿横から比叡山高校野球部グランドの方に歩いていきます。
グランドからは、元気の良い練習の声が聞こえています。
20160911ShigaS103s.jpg 自宅から離れ、寮生活しながら甲子園目指して野球に打ち込んでいるのでしょう。

車に戻り、r47~r316でJR坂本駅も通りすぎて東に下り、R161に出て南下します。
途中のコンビニによるが、バナナはありません。

6:48「坂本城址」
20160911ShigaS120s.jpg 湖底にまだ石垣の一部が遺っているらしいので、湖岸まで歩いたが、バス釣りグループがいるだけでした。
20160911ShigaS121s.jpg 唐崎にかけての砂浜の湖岸線が美しく、遠くに大津プリンスホテルも見える。

 『天下統一を目指し、戦国時代を疾風のごとく駆け抜けた織田信長は、元亀2年(1571)比叡山延暦寺を焼き討ちすると、最も信頼する家臣の1人である明智光秀を、京都を要する西近江の要衝・坂本に封じた。築城の名手である光秀は、翌元亀3年、本公園の北方300mの湖岸に、安土城に次いで日本第2の名城と謳われた坂本城を築城した。姫路城のように、大天守と小天守があり、城郭の範囲は、日吉山祭の呼び物の1つ、船渡御の神事が行われる七本柳にまで及んでいた。なお今も、城・城畔・御馬ヤシキなどの字名が残っている』

城域地図を見ると、ここ城址公園は、城域から外れた南側です。
湖畔に遺る石垣の位置も書いてあったので、次回です。
ここは、小河川が2本流れているので、その堆積物で出来た当時なかった陸地かもしれません。

20160911ShigaS113s.jpg 明智光秀の銅像が立っています。
『明智光秀は、北国道(西近江路)と湖上交通の要衝にあたるこの地に、元亀3年坂本城を築いた。琵琶湖に臨む典型的な水城で、豪壮華麗で、安土城に次ぐ名城と言われていた。近江滋賀郡を支配し、民政は行き届いていたという。その後光秀は、丹波を平定し、天正5年頃から亀山城を築き、その城下町が現在の亀岡市の基礎となった。更に同7年、横山城を攻めた後、城の大改造を行い、明智に因んで福知山城と名付けた』

『我ならで 誰かわ植えむ一つ松 心して吹け志賀の浦風 /光秀 明智光秀は、美濃国の名族・土岐氏一族の出身。永禄10年(1567)40才の頃、織田信長の家臣となる。元亀2年(1571)山門焼き討ちの後、光秀は、湖畔に豪壮な坂本城を築城し、以降およそ10年、ここを本拠地として活躍する。優れた武将であっただけでなく、当代一流の文化人と親交を持ち、茶の湯・連歌・詩歌などに造詣が深い文化人でもあった』

「光秀の意地」という歌も刻まれていた。
小川を渡った向こうの湖畔藪の中に、石塔が建っている。
藪漕ぎして湖岸に面した東側に回ってみた。

20160911ShigaS126s.jpg 『行願塔 青森県津軽出身の正井覚蔵氏が、お経の有り難さを知り仏門に入られて、比叡山無動寺の北嶺回峰行者になり、名を正井観順師と改められた。大正2年、正井氏は、地元青森で起きた船の事故で亡くなられた人や水難者の霊を慰めるためにこれを建てた。南北の塔に自分の両親を、真ん中に師匠を祀り、その下には写経が納められている。塔背面の文字は、その経典の題目が書かれている。正井氏は、2555日目の回峰行中、裳立山中腹で倒れ、墓は無動寺にある』

半分草に埋もれ、足で覆っていた草をなぎ倒して読んだ謂れ板には、壮絶な千日回峰行者の姿が刻まれていた。
比叡山延暦寺は、比叡山山中を1日30km・1日60km歩き続ける「千日回峰」の荒行で有名ですが、延暦寺の荒行というより、無動寺谷で修行する一派の荒行です。

千日回峰行者は、無動寺で寝泊まりします。
数年前に亡くなられた酒井雄哉さんも達成者ですが、千日回峰を2回・二千日回峰され、3回目の道半ばで山中に倒れられたようです。
世の中には、すごい人がいるものだ。


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