9/11・近江坂本慈眼堂・滋賀院

2日前の金曜日に続き、琵琶湖での大学ヨット部コーチングです。
金曜日同様バイクで行きたいところですが、車で向かいます。
その大学OBの次男が招聘した日本のトップレーサー2人を迎えた3日間コーチングの最終日なので、駅へ送ることを考えました。

4:30に目覚めたので、8時出艇には早すぎますが、5:00に出発します。
「街道をゆく・叡山の諸道/司馬遼太郎」を読み終えたところなので、坂本の「滋賀院門跡」に歴代延暦寺座主の墓石を訪ねようと考えました。
早朝から、門が開いてるかな?クローズなら、金曜日に訪問した「西教寺」に不断念仏を聞きに行きます。

中国道・池田IC~名神高速・京都東IC、湖西道路・西大津バイパスに乗り、「下阪本ランプ」下車。
R161を走り、「JR坂本駅」を西へr316に入ります。
朝食用にバナナを買おうと、セブン-イレブンに入りましたが、バナナを売っていないようです。
コンビニは、どこでも売ってると思ってた。

「京阪・坂本駅」横を通過し、坂本僧坊群中心地に入り、「観光駐車場」の案内に従ってr47を北に入るが、遠そうなのでパス。
坂本ケーブル近くに観光駐車場があったのを思い出し、r47を逆に南に向かい、6:01坂本ケーブル分岐を過ぎたとこにある無料駐車場に車を置きます。

20160911ShigaS003s.jpg 「滋賀院」の案内板に従って、東に沢沿いを下ります。
西の山側は、比叡山高校です。
甲子園の高校野球にも出場する強豪です。
20160911ShigaS006s.jpg 案内板に従って道なりに歩くと、6:03歴代座主の墓石・無縫塔が並ぶ墓地が見つかりました。

室町幕府成立の戦記「太平記」の準主役「大塔宮」は、比叡山延暦寺の座主でした。
彼は、後醍醐天皇の皇子であったように、歴代座主は天皇の皇子や有力公家の子が就任する門跡寺院です。
要するに、資金付き坊主なので、修行如何にかかわらず、出世して行きます。

20160911ShigaS010s.jpg 「紫式部之塔」「和泉式部之塔」「清少納言之塔」が並んでおり、どういう縁でここに供養塔が立ったのか知りたくなりました。
歴代座主の墓石は、無縫塔の形のものは少なく、五輪塔の形のものが多かった。

20160911ShigaS020s.jpg 1つ1つ見ていくと、「慈願大師」の無縫塔があった。
慈眼大師は、怪僧・南光坊天海のことで、家康側近として仕え、政権アドバイザーとして、徳川政権黎明期に大きな力を振るいました。
「大坂夏の陣」で豊臣家を滅ぼす理由とされた「方広寺の鐘」に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の文字が、徳川家に災いをもたらすとアドバイスしたと伝えられ、家康を祀る東照宮を造った人物です。

僕の最も好きなエピソードは、「僧天海は、実は明智光秀だった」説で、織田信長によって京で討つ手はずだった明智光秀軍が、本能寺の信長宿舎を急襲し、嫡男信忠ともども葬った。
堺から急遽本拠地・三河に戻った家康は、間に合わなかったが秀吉に対抗しようと兵を挙げました。
嫡孫・家光の乳母・教育係として、光秀の片腕・斎藤利三の娘・春日局お福を抜擢し、日光東照宮には明智家の家紋・桔梗紋があしらわれている。
光秀は、室町時代の名門で、美濃守護の名門・土岐家(明智家の本家)の再興を目指していたとか・・・
明智平の命名も天海だ。
など、それを裏付ける逸話に事欠かない。

20160911ShigaS027s.jpg 『阿弥陀如来石像(室町時代) 近江観音寺城主・六角承禎が母の菩提のために郷里・近江鵜川の地に阿弥陀石仏48体を奉安し、そのうち13体を江戸初期、天海大僧正が当地に移した』

その横の方形の僧坊に回ると、滋賀院案内板は、更に下を示している。
20160911ShigaS034s.jpg ここは滋賀院ではなかったのかと、石灯籠が並ぶ方形僧坊に近づくと、慈眼堂でした。

『慈眼大師・南光坊天海大僧正の廟である。徳川家康・秀忠・家光三代将軍に、幕府顧問として遇され、元亀の兵火で全山焦土と化した比叡山の復興に尽力した。
寛永20年、家光の命により建立された。慶安元年、大師号の宣下を受ける』

滋賀院案内板に従って下ると、「天台宗務庁」があった。
全国の天台宗の総元締めですね。
正面横に小ぶりな宗祖・伝教大師像が立ち、『一隅を照らす、是れ即ち、国の宝なり』の有名な一節が、石碑に刻まれ解説されていた。

その横が、いよいよ滋賀院門跡です。
20160911ShigaS051s.jpg 西・琵琶湖に向かって、檜皮葺の小ぶりだが雰囲気の良い唐破風の門がある。
車止めがされており、日頃は使われていなさそう。
案内はなかったが、勅使門かもしれない。

『滋賀院門跡 元和元年(1615)、慈眼大師天海(1536~1642)が、後陽成上皇より法勝寺(京都北白川にあり、六勝寺の1つで、歴代天皇にご受戒する寺として、四箇戒場の1つ)を下賜され、この地に移築された。明暦元年(1655)後水尾天皇より滋賀院の号と寺領1000石を賜り、江戸時代末まで、天台座主であった法親王が代々住まっておられた。
外観は、堂々たる穴太衆積みの石垣に白壁が続いており、滋賀院御殿と言われた名に恥じない異様を見せている。御殿は、明治11年(1878)11月の火災で灰となったが、現在の建物は山上より3塔それぞれ最高の建築を移築したもの』

庭園・襖絵・仏殿・涅槃図・隠し絵襖・徳川家光拝領鎧などが紹介されているが、拝観時間前なので入れない。
20160911ShigaS067s.jpg 東側に門を出ると、穴太積みと白壁が続く姿があった。
東の琵琶湖に向かって、敷石坂がまっすぐ続いている。

石壁に沿って、南に進み、東西の緩やかな坂戸の交差点を、西に登る。
天台宗務庁裏側、叡山学院寮、叡山高等学校山家寮、琵琶湖病院、叡山幼稚園と続いてい
た。
20160911ShigaS074s.jpg 坂の下・東を振り返ると、琵琶湖が広がっていた。


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