9/9・近江坂本・西教寺2

20160909SaikyoS068s.jpg もう一段上がると、本堂でした。

『萬日法会の歴史 真盛上人が比叡山に登ったのが19才。20余年専心修行され、恵心僧都の往生要集によって、末代の仏教に念仏一途と心に定め、慈覚大師が中国の五台山より伝えた不断念仏を継承され、文明18年44才で西教寺に入り、不断念仏の道場とし、弥勒菩薩が慈尊仏として世にでられる50億年が来るまで、不断に念仏を相続しようとの大請願を立てた』

本堂では、念仏の声が聞こえている。
不断ということは、交代制でお坊さんが昼夜問わず唱え続けているということ・・・びっくりポンです。

更に上にある墓地入口には、『当墓地近隣では、猿が出没し甚大な被害を被っています。屋根瓦破壊・庫裏荒らし・墓地荒らし・墓石倒壊が重なり、維持管理に困っています。猿は、お供物と色花を目的に出没し、食べ物がなくなると建物や墓地を荒らします。お供え物を、持ち帰って下さい』とありました。

戦国武将の墓が並んでいました。
20160909SaikyoS080s.jpg 坂本城主・明智光秀公と一族、光秀公の妻・煕子の墓・・・。
猜疑心・信長を倒した常識人・光秀好きなので、長年ここに手を合わせたいと思っていました。

『濃州妻木(明智)一族と西教寺 本能寺の変・山崎合戦・坂本城攻防戦と続く戦乱の中で、妻木城主・妻木藤右衛門広忠の兄弟3人が討ち死にした。一族郎党も多数討ち死にした。広忠は、天正10年(1582)、坂本城落城後、明智一族に殉死した人々を西教寺に埋葬し供養した後、煕子(広忠の娘)の墓前で自刃した』

美濃の明智光秀生誕地を2ヶ所訪問したことがある。
慰霊碑に、西教寺の名を見て、今まで続く明智ネットワークを確認できた。
明知鉄道沿いを走り、明智を堪能した旅でした。
それを思い出しした。

『月さびよ 明智が妻の 咄(はな)せむ 松尾芭蕉』
妻木煕子と光秀の結婚について、逸話が残っています。婚約成った後、煕子は痘瘡を患い、顔に跡が残ってしまった。婚約を破棄したくなかった妻木は、瓜二つの妹を嫁にやったが、光秀はそれを見破り、改めて煕子を迎えた。光秀は斎藤道三に与し、斎藤義龍に攻められ本拠地を失い、浪人することになる。信長のもとで出世するまで、自分の黒髪を売ってまで、光秀の仲間内での体面を保った。「糟糠の妻」として有名です。光秀より先に死ぬのですが、多忙な光秀自身が看病し、この寺に弔った。光秀は側室も置かなかったと言われ、僕の理想の夫婦です。

『坂本城主・明智光秀とその一族の墓 織田信長が元亀2年(1571)9月、坂本・比叡山を中心に、近江国の寺院をはじめ大半を焼き討ちした。西教寺も全山類焼の厄に遭った。その後再興に尽力したのは、信長の将・明智光秀で、坂本城を築城、坂本一帯の復興に当たり、西教寺の大本坊(庫裏)を築造した。天正2年(1574)仮本堂を完成し、現在の本尊(重文・丈八の阿弥陀如来)を迎えている。
それ以来、光秀との由縁深く、元亀4年(1573)2月、光秀が堅田城に籠もった本願寺光佐を討った時、戦死18名の菩提のため、武者・中間の区別なく、供養塔を寄進した。早逝した内室・煕子の供養もされ、墓が安置されている。天正10年(1582)本能寺の変の後、山崎合戦で敗れ非業の最期を遂げた時、光秀一族とともに当時に葬られたと言われている。後に坂本城の城門の1つも当寺に移された。
以来、光秀の菩提を毎年6月14日に光秀忌を営んでいる』

『明智光秀公辞世句 「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」 
修業の道は順縁と逆縁の2つがある。しかしこれは2つに非ず、実は1つの門である。究極のところ、人間の心の源に達する大道である。わが55年の人生の夢も、醒めてみれば全て一元に帰するものだ』

20160909SaikyoS096s.jpg さらに階段が続き、真盛上人の御廟があった。
本堂横に、雰囲気の良い客殿がある。
20160909SaikyoS104s.jpg 本堂内からは、念仏の声が聞こえ、拝観料500円で内部に入れるようですが、時間がないのが残念です。
不断念仏なので、24Hオープンで念仏の世界に身を置く事ができるのかもしれない。
鐘楼塔がある。
ここで帰路に着く。

20160909SaikyoS118s.jpg 念仏を聞きに、また来そうです。
朝の誰もいない時間帯が良さそう。
すれ違い下って行かれた数人の男性は、これが目的なのかもしれません。
静かに、念仏が流れる本堂に入り、静かに出ていく、ただそれだけでも、心が洗われるのではないだろうか。

バイクに戻り、r47を戻る。
「日吉大社」前を過ぎた所で、何となく坂本ケーブル駅に寄り道したくなった。
20160909SaikyoS129s.jpg 7:01、ケーブルカーがいる。
まだ営業前だと思うが、職員さんが始業点検をしている。
京阪坂本駅との間にバス運行があるが、営業時間帯のみ1時間に2本でした。
家内と以前来た時は、穴太衆の石垣を見ながら歩いた。
20160909SaikyoS130s.jpg レトロな駅舎は健在で、掃除が行き届いているので、重厚感があって気持ちが良い。

20160909SaikyoS136s.jpg 「ケーブル坂本駅・海抜170m、ケーブル延暦寺駅・654m」
「片道860円・往復1620円」

『土佐日記と南国市 坂本ケーブル裳立山停留所より、尾根伝い500mに紀貫之公の墳墓があります。南国市比江は、奈良時代から平安時代まで国司官舎があった場所で、紀貫之は48代国司でした。土佐の地で4年の任期を終えた承平4年(934)帰京の際の船旅で記した見聞紀行日記「土佐日記」を世に発表したことで、土佐との関わりがより深くなった。紀貫之公を敬慕し、比叡山鉄道の尽力に預かりながら毎年団参を重ね大津市・御地史談会・観光協会・京都高知県人会との交流が始まった』


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