9/9・近江坂本・西教寺1

数日前、次男から電話がありました。
要件は2軒。
大学ヨット部の臨時コーチとして、ジュニア時代からの友人を呼んだので、サポートお願い。
もう1件は、大学の先輩から譲ってもらった1人乗りヨットを、ヨット部に寄付したい。

ヨット部へのヨット寄付は、葉山女子インカレに後輩が出場するので、そこまで次男が運び、そこから琵琶湖までは、レース艇運搬に便乗させてもらったらどうかと決まった。
僕からキャプテンにも連絡を入れた。
息子からは、同期の監督に話が行ってるので、後は部員が何とかするだろう。
タダで練習艇が増える機会を逃すはずがない。

臨時コーチI君は、次男がジュニア時代競い合った少し年下で、親御さんとも親しくさせてもらっていた。
I君は、僕の大学ヨット部の後輩だし。
東京オリンピック出場目指してチームを組んでるHくんは、Iくんと高校ヨット部が一緒です。

コーチング初日・金曜日の午前中、僕が行ってヨット部員と顔つなぎをすることにした。
日曜日も1日、彼らのコーチングを見させてもらい学びましょう。
彼らは紛れなく、日本のトップレーサーで、今年もワールドカップでトップ10入りしたり大活躍している。

4:30頃目覚めた。
バイク装束に着替え、「招き猫CB400SB」にライフジャケットとカメラを乗せ、5:28出発しました。
中国道~名神で京都東IC下車。
湖西道路に乗り、「滋賀里ランプ」下車。
r47に乗り、京阪電車「穴太」駅を過ぎ、「坂本」へ。
「日吉大社」前を通り過ぎ、6:23「西教寺」

ここには、次男がジュニアヨット時代、琵琶湖でのレースで何度か宿泊させてもらった宿坊があります。
古刹なのに、宿泊で利用させてもらっただけで、一度も見学したことがありませんでした。
朝一番なのでクローズかもしれいけど、寄ってみます。

駐車場にバイクを置き、案内板を見ます。
山門脇に、「明智光秀公と一族の菩提寺」の石碑が立っています。
「沢庵禅師の碑」もある。
江戸時代、沢庵禅師(1573~1645)が、1614年42才の時、近江を巡歴し、紀行文「石山行記」の中に書かれている一文で、京都~石山寺~三井寺~坂本・西教寺と巡ったそうです。

『西教寺総門 天正年間に、坂本城主・明智光秀が、坂本城門を移築したもの』

『西教寺と護猿(まもりざる)の由来 西教寺開山・真盛(しんせい)上人が、善男善女とともに日夜6万遍の念仏を唱え「念仏の功徳」によって民衆を救った。
それ以降、西教寺の念仏は栄え、不断念仏の道場として五百有余年絶えることなく今日受け継がれている。明応2年(1493)、西教寺に法難が押し寄せた時、手白の猿が念仏の鉦を打ち、上人の身代わりを勤め西教寺を護った。それ以降、身代わりの猿は、護猿と言ってあらゆる災難から守ってくれます。上人の恩徳により、護猿(ござる)の猿として親しまれ、五猿(客がござる・福がござる)と商売繁盛のお守りとされている。五匹の猿が念仏を唱える姿がお守りとされる』

『文学ゆかりの地 小説「細川ガラシャ夫人」三浦綾子著 昭和48年から執筆した初めての歴史小説。小説の中に、光秀が坂本城主になってから、西教寺の不断念仏の鉦が鳴る本堂へ、妻・煕子(ひろこ)、末娘・玉子(細川ガラシャ)、左馬之助光春、郎党を連れての参詣が描かれている』

20160909SaikyoS009s.jpg 山門をくぐり、本殿に続く緩やかな坂を登っていきます。
お参りの男性と、朝の挨拶を交わします。
道の両側に、僧坊がいくつもあります。
「近江国野洲組・蒲生組」「伊勢国」など、宿坊の脇に国名が書かれています。
お伊勢参りのご贔屓宿と同じ名残でしょう。

「教学総合センター」・・・ここにいつも泊まっていました。
ジュニアスポーツということなのか、とてもお安く宿泊を提供いただきました。
山門からの道の正面は、天皇からの特使のみ通ることが出来る「勅使門」がありました。
寺院の格を感じます。

『西教寺は、聖徳太子が、仏法の師である僧慧慈・慧聡の為に開創した寺で、推古天皇26年(618)大窪山の山号を賜り、天智天皇8年(669)西教寺の号を下賜された。天台座主・慈恵大師良源大僧正、恵心僧都が念仏道場とした。その後、比叡山で修行した真盛上人が文明18年(1486)入寺し、不断念仏の根本道場として、西教寺を再建した。明治11年(1878)明治政府によって別派独立が公許「天台宗真盛派」の本山となった。昭和16年(1941)に、天台三派合同となったが、終戦とともに、延暦寺(山門)・三井寺(寺門)・西教寺(盛門)が分離独立、今日に至っている』

20160909SaikyoS047s.jpg 『宗祖大師殿 天台真盛宗・宗祖・圓戎国師・慈摂大師・真盛上人の木造を祀るお堂。嘉吉3年(1443)伊勢国一志(いちし)・郡小倭大仰(こおりおやまとおおのき)の里に出生(三重県一志郡一志町大字大仰)、14才で出家、文明18年(1486)西教寺へ入寺され、堂塔と教法を再興、19才から20年間、比叡山中に籠り、日課6万遍の称名念仏を収め、朝廷・公家・武士・庶民へ持戒と念仏の布教を行い、戎称二門不断念仏の根本道場とした。堂内には、昭和天皇より下賜された「慈摂」の勅願が、掲げられている』

20160909SaikyoS044s.jpg 振り返ると、琵琶湖が一望できる高台だった。
唐破風の屋根が綺麗で、琵琶湖に向いている。
築地屋根には猿の瓦が乗り、唐破風屋根の彫刻が見事です。
20160909SaikyoS054s.jpg 獏・麒麟・獅子、蟇股には龍。
20160909SaikyoS055s.jpg 開いている板門扉には、「三羽雀」紋が彫られている。
門を入ると、同じく唐破風屋根の大師殿があった。
重厚感があるが、門の方に惹かれる。

『記念植樹・橘の木 平成6年5月宗祖・真盛上人500回記忌大法会記念 真盛上人の父は、小泉左近尉藤能(ふじよし)と言い、小泉家は紀氏の末裔で、上人は紀貫之から数えて17世あるいは21世と言われている。小泉家は、「丸に橘紋」であることから、橘の木が愛木とされている』

『宝珠丸(真盛上人幼形像) 幼名・宝珠丸で、母が地蔵菩薩から宝珠を授かったと夢見て上人を身ごもったので、名付けられた。7才の時、伊勢川口郷の光明寺の盛源律師の弟子となり寺に移り、14才で剃髪出家し真盛と改めた。この幼少像は、出家時の幼形で、晩年の上人像から骨格を調査し、京都教育大学山崎正義名誉教授が制作した』


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