7/24・吉野~大峯奥駈道~洞川~みたらい渓谷~東吉野ツーリング1 吉野

家内もお休みでしたが、まだ長男一家が帰省するまで2週間あるのに、彼らが泊まる実家の掃除をするそうです。
ツーリングクラブにイベントがないので、船に乗ろうかと思い、ヨット部仲間に一斉メールするが、誰も暇じゃない。

ということで、ソロツーリングすることにしました。
和歌山・三重県境の中世の山城攻略を計画しましたが、総走行距離500km超えしそうで、家内に言われた「お買い物に連れてって」の時間に帰宅できそうにない。

奈良吉野~洞川の「大峯奥駆道」~R309みたらい渓谷~大台ケ原~ザンギリ峠という、高所山岳道4連発に行くことにしました。
総距離は400kmで、距離/速度で単純計算すると12時間。
高速道路区間が140kmほどあるので、それで稼ぐ時間を絶景激写時間に当てれば、早朝4時出発で、帰宅が夕方16時なので、買い物にも行けそうです。

目が覚めたら、2:30でした。
十津川村の天気予報をチェックすると、「午前中曇り、午後から夕方まで晴れ、気温もそれほど暑くない」という願ってもない気象条件でした。
予定より早いけど、二度寝したら予定より遅れてしまうので、出発することにします。

バイク装束に着替え(下着の上に、プロテクターメッシュ上下)、いつものミラーレス一番・ソニーNEX3の他に、パナソニック一眼ルミックスG2も用意する。
カメラの2台体制は、宿泊ツーリング仕様です。
ミラーレスは首にかけ、ヒップバッグに入れ即応体制で、ルミックスには、45~200ミリズーム(35ミリ換算90~400ミリ)レンズをセットしてリアボックス搭載で、あらゆるシーンに即応します。

3:15、「招き猫CB400SB」に荷物を積んで出発。
中国道・豊中IC~近畿道~南阪奈道路~大和高田バイパスで橿原に入ります。
R169を南下し、4:33「ファミリーマート高取清水谷店」で休憩します。
やっと空に朝の気配がするぐらいで、まだ暗い。
最も夜明けが早かった1ヶ月前より、30分は遅く朝が始まるようになりました。
早起きの僕には、まだ夏真っ盛り前なのに、朝の遅い冬の足音が聞こえます。

「チョコバリ・129円」を朝食代わりにします。
「味付海苔エビマヨ・120円」を緊急食として確保。
20160724YoshinoS013s.jpg コンビニに、『高取城跡 高取土佐町並み 観光案内所・夢創館』と書かれた看板が立っています。
家内と城址に登った時、この道を走ったことを思い出します。

「芦原トンネル」吉野川側に出て、r222でショートカットし、吉野川沿いのR169に合流します。
吉野川を南に渡り、r15で吉野山に登って行き、5:05「吉野神宮」裏門。
20160724YoshinoS024s.jpg 表門の方に回り、バイクを停めて参拝しようと思ったら、『日没から夜明けまで参拝停止中 参拝の方は、ここで遥拝してください』との看板が大鳥居の下に置かれています。
仕方なく、手を合わせただけで退散。
建武の中興を成したが、足利尊氏と仲違いし、京を追い出されて、吉野で南朝を開いた後醍醐天皇を祀っています。

吉野は何度も来たことがあるので、サクッと通過し、主目的の山岳路を楽しむ予定だったのに、これで寺社・史跡巡りの血が騒ぎ出しました。

5:18「村上義光公墓」
『村上彦四郎義光は、信州埴科(さらしな)の人で、早くから大塔宮に従い北条幕府と戦いました。1333年吉野城が落ちた時、大塔宮の身代わりとなって、蔵王堂前二大門の高櫓の上で腹を切り果てた。義光を検分した北条方が、大塔宮でないことを知り、ここに捨てたのを里人が弔って墓とした。義光の子・義隆も、父とともに死のうとしたが、大塔宮を守って落ち延びるよう諭され、高野山に向かう途中、追ってきた敵と戦い、ここから2kmほど隔てた山中で討ち死にした。
義隆公の墓は、勝手神社の南西1kmのところにあります。忠魂碑は、1773年大和高取藩士・内藤景文が義光の戦功を讃え建てた』

太平記の名脇役です。
後醍醐天皇が、鎌倉幕府転覆を図って、笠置山に籠もって敗れる。
この時、楠木正成などの地方豪族や悪党が参集する。
笠置山が落ち、後醍醐天皇が最も信頼した皇子・大塔宮をサポートした赤松などと行動をともにする。

太平記では、大塔宮が十津川山中を逃走中、土豪に「幕府への面子を立てるために錦の御旗を寄越せ」と対立した時、赤松の策「兵の消耗を防ぐためにも旗を渡そう」に決し、御旗を渡して難を逃れる。
大塔宮に合流しようと追っていた義光は、豪族が御旗を持っているのに驚き、大立ち回りでそれを取り戻し、大塔宮に追いついた。
豪族は、あまりの怪力に驚いて、御旗を返した。
ということが、太平記に書かれています。

20160724YoshinoS036s.jpg 階段で上がった所に、石囲いされた宝篋印塔が立ち、横に忠魂碑がありました。
五月人形鎧が墓も前に置かれています。
信奉者が、立派に息子が育ったお礼に奉納したのかな?なんて、想像しました。


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