6/26・大津歴史探索&インカレ個選 百穴古墳群~志賀大仏

20160626SuhukuS041s.jpg 「崇福寺跡0.5km」の他に、「百穴古墳群」の案内板があり、山中を指している。
半竹林の山に入ると、石仏が立ち、古墳の口が見える。

20160626SuhukuS052s.jpg 『注意してください 百穴古墳群内の各古墳は。自然の状態で残っています。石組みを触ったり、上に乗ったりすることは大変危険です。むやみに近づかないようにしてください』

『百穴古墳群は、今から1400年前(古墳時代後期)に造られた墓が多く集まったところです。大きな石を上手に積み上げ造られた横穴式石室を、土で覆ったものです。石室は、玄室(死んだ人を納める場所)と、外を結ぶ通路に分かれています。表から見ると、通路の入口が穴のように見えます。この穴がたくさんあることから、「百穴」という名がつけられました。石室の壁の石は、天井に向かうほど少しづつ迫り出して積まれているため、天井はドーム状になっています。石室内には、2~3の人が葬られており、時には金のイヤリングや銀のブレスレットなどで飾られ、木や石の棺桶に入れられました。石室内には、多くの土器(土師器・須恵器)も一緒に納められました。この中には、お祭り用のミニチュア炊飯具セット(かまど・かま・こしき・なべ)も含まれています。古墳時代後期、古墳群は全国各地でたくさん造られましたが、この百穴古墳群のように、石室の天井がドーム状で、ミニチュア炊飯具セットが納められているという特徴は、大阪・奈良・和歌山の一部にも見られますが、ほとんどが大津市の坂本から錦織にかけての地域だけに見られます。現在までの研究では、これらの特徴は中国や朝鮮半島からやってきた人たちと、深く関係するのではないかと考えられています』

下草が生えておらず、湿度が高い森の中ということもあり、苔に覆われた石が露出する一帯は歩きやすいし、見通しが良い。
20160626SuhukuS057s.jpg あちこちに石室の穴があり、中も覗けます。
緻密な石組みが完全に遺った石室もあり、戦国時代・江戸時代に全国の城の石垣・石積みに特殊技術をもって貢献した穴太衆は、朝鮮大陸式のお墓造りで培った技術集団だったのではないかと、その技術の源泉を見つけた感じがした。

20160626SuhukuS063s.jpg ここから、緩やかな「際川」沿いの道を登っていきます。
20160626SuhukuS066s.jpg 6:33、大きな石仏があった。
『石造阿弥陀如来座像(志賀の大仏) 高さ3.5m・幅2.7mの花崗岩に、厚肉彫に掘り出した高さ3.1mの阿弥陀如来坐像です。13世紀頃に造られたと考えられ、上半身に彫刻の主力をおいた、ゆったりとした雰囲気の漂う石仏です。この石仏の横を通る道は、崇福寺跡から山中町を経て、京都・北白川へ抜ける旧山中越(志賀の山越)で、大津側の入口に位置する。この場所と、山中町の西教寺門脇、京都北白川に石仏があり、いずれも山中越を利用した旅人が道中の安全を祈願したとも云われている。現在、地元で「大仏講」が作られ、大切にお守りされている』

竹箒やちり取りが下げられており、石仏を拝むお堂もよく清掃・手入れされている。
延々、徒歩移動だった時代は、山越えに安全を祈らずにいられなかっただろう。
大仏を謳った御詠歌が掛かっている。

更に先に進み、崇福寺分岐まで登るが、道の舗装部分が狭く、バイク駐輪があれば四輪は離合不能です。
20160626SuhukuS069s.jpg 四輪が上がってくる気配、というか物好きな旧志賀越(旧山中越)ハイカー以外来そうもないが、一旦大仏前まで降り、バイクを置いて徒歩にする。

20160626SuhukuS072s.jpg 石垣が遺り、薪が整然と置かれている。
20160626SuhukuS077s.jpg 6:44、「志賀峠1.5km」と崇福寺との分岐。
琵琶湖から見上げる比叡山山系の峠まで、ここからたった1.5kmなんだとびっくりする。

ここまでは、急坂はない。
崇福寺の全景詳細図があった。
講堂跡・金堂跡、小金堂跡・塔跡、弥勒堂跡が、3つの尾根上に東向き平行に立っていたようです。
塔に登ると、琵琶湖が一望できたんじゃないかな?

『崇福寺は、天智天皇が大津京遷都の翌668年、宮殿の北山中に建立した寺院。幻の宮殿を探る手がかりとして注目され、昭和3年(1928)発掘調査された。滋賀里西方の谷を隔てて南北に並ぶ丘陵上にあり、南丘陵からは講堂・金堂、中央丘陵からは小金堂・塔、北丘陵からは弥勒堂の遺構が見つかっている』

『東海自然歩道 東京の「明治の森高雄国定公園から、大阪の「明治の森箕面国定公園」まで1300kmあり、美しい自然や文化財を結んでいます』
東海自然歩道は、よく目にしますが、東京から大阪まで結ぶ道だったのですね。

20160626SuhukuS087s.jpg 6:46、金堂と小金堂との分岐。
『金堂跡・塔跡200m、弥勒堂跡400m』
『塔跡の心礎から国宝舎利容器が発掘され、近江神宮に保管されています』
20160626SuhukuS091s.jpg 金堂の方を見上げると、中世の山城跡同様の郭がいくつか見えます。
それぞれに小堂が建っていたのか、僧侶の住まいがあったのかでしょう。
よこの「際川」の流れは、とても細くなっています。
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No title

こんばんは~
またまたすごくマイナーなところ探索されていますね(笑)
古墳群や大仏などもあって探索し甲斐のありそうなところです。
地図で確認しましたが、隣町が穴太になるんですね。
石垣が美しいのもうなずけます。

No title

まんとさん
超マイナーです。
こんな所に、志賀大仏なるものがあるとは知りませんでした。
渡来系の特長あるお墓群があり、石組みに長じた穴太衆の技術の流れが見えました。
歴史好きには、かなり有意義な探索になりました。
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