6/26・大津歴史探索&インカレ個選 桐畑古墳群

コーチしてる大学ヨット部のインカレ個人戦予選の日です。
8時出艇なので、それまで歴史探索しましょう。

合宿所横を流れる際川の流れを調べていると、近江~京の旧街道「山中越」ルートはここを通っていたことがわかりました。
現「山中越」を走るたびに、京都側の「山中」から山中に分岐して行く道が気になっていました。
旧道だろうと想像がつきましたが、地図では途中でルートが消えています。
山歩きウェブサイトから、廃道化しつつある旧道を歩かれた方の日記を見つけ読んでいると、際川上流・近江側にあった廃寺・「崇福寺」の遺構に興味を惹かれました。

朝ここを探り、レース終了後から夜のミーティングまでの間の時間で、明智光秀の「坂本城址」を中心に、周辺の寺社を探索する予定を立てました。

目を覚ますと3時前、あまりに早いので二度寝したら、4:30に目覚めちゃいました。
予定より30分遅れです。
天気予報をチェックすると、朝曇り・午後晴れでグッド。
ゴソゴソレース観戦グッズを用意し、夏用メッシュ上下を着こみ自宅を出ます。

この日のお供は、「招き猫CB400SB」です。
燃料計を見ると、「残量半分(18L×0.5=9L)・走行距離200km」、あと200kmは走れるので、琵琶湖往復は問題無いでしょう。
GS給油時間がもったいないのでパスしました。

豊中ICから中国道に乗り、名神高速にチェンジし、朝食・昼食用のおにぎりを買おうと「桂PA」に寄りましたが、売店はまだ準備中でした。
仕方なくトイレのみで再び走りだし、「京都東IC」下車。
湖西道路に乗り、「南滋賀ランプ」下車。

ここは、現「山中越」県道直結です。
側道を走り、6:08川沿いにあったお堂に寄り道。
「不許薫酒肉入山」の禅寺特有の石柱が立っています。
20160626SuhukuS002s.jpg 「千躰地蔵尊」というお堂でした。

「東海自然歩道 百穴古墳0.2km・崇福寺跡0.7km、大津京跡0.8km」の道標が立っています。
禅寺らしい建物がないので、地図で枝道の先を見ると現「崇福寺」がありました。

20160626SuhukuS004s.jpg 興味を持って枝道に進入し、6:13「滋賀山寺・岩屋不動尊」
20160626SuhukuS009s.jpg 琵琶湖を望む比叡山系への中腹にあるので、湖面が見渡せる。
20160626SuhukuS012s.jpg 大津市中心部の大津港、瀬田の大津プリンスホテル、対岸の近江富士まで見えます。

寺内に足を踏み入れると、すぐに古墳がありました。
『桐畑古墳群(熊谷古墳群) この古墳群は、百穴古墳群と同じ丘陵に北側尾根東斜面に位置し、6基の円墳から構成されている。いずれも古墳時代後期(今から1400年前)の古墳で、3基から横穴式石室が見つかっている。石室の壁面がドーム状になっていることなどから、渡来人達の墓ではないかと考えられている。中でも東端に位置するこの第1号墳は最大で、丘陵斜面を利用し、直径20mの墳丘が築かれている。石室は東に開口する両袖式の平面を持ち、壁面は持送りに寄ってドーム状になっている。天井石はなくなっていますが、通路から玄室(遺体を納める部屋)に至る横穴式石室の構造がよく分かる古墳です。現在は、玄室に不動尊が奉られており、人々の信仰の対象となっている』

20160626SuhukuS019s.jpg 石室内に入ってみる。
20160626SuhukuS020s.jpg 多数の石仏が壁に立てかけられており、信長の比叡山焼き討ち後に、散乱した石仏を集めたのかもしれない。
20160626SuhukuS022s.jpg 天井がポッカリ開いており、森の木々からの光が届いている。
20160626SuhukuS023s.jpg 滝打たれの行に使うのか、小さな流れが滝に細工されている。
紫陽花が咲き、小さな池があり、獣道程度の山道が続いている。
他の古墳を巡れそうだ。

普通の民家に近い風情のご寺院の方に行くと、普段着姿のご住職が出て来られた。
「えっと、なにか御用で」
「いえ参拝です」
僕の首から下るカメラを見て、「あ~写真ですね、ごゆっくり。どちらからですか?」
「伊丹からです」
「遠くから、ご苦労さまです」

ご住職は獣避け柵をくぐって畑の方へ行かれた。
「鹿が出ますか」
「はい、よくやってきます」

20160626SuhukuS038s.jpg バイクに乗り、交差点まで戻り、ゆっくり上ります。
6:25、墓地と石仏が両側に見えてきて三叉路で停車。
20160626SuhukuS037s.jpg ここにも石仏が集合しています。
以前坂本から比叡山ケーブルで上がった時、「天台宗総本山の他に、浄土宗の法然・浄土真宗の親鸞・曹洞宗の道元など、多くの仏教諸派がこの山から巣立っていった。山中に無数に石仏があったが、信長の比叡山焼き討ちで、多くの石仏さえ谷に落とされるなど被害を受けた。それを今でも集めている人がおり、集合した場所がある」と聞いた。
その一部なのかな?と思う。


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