6/19・京都寺町~高瀬川散策7 料亭・幾松~佐久間象山・大村益次郎

20160619TakaseS234s.jpg 20160619TakaseS236s.jpg 「RIVER SUITE 迎賓館」という洒落た外観のお店?ホテル?がありました。
大きなリースが外壁に飾ってあり、「結婚式場!」と見た。
帰宅後調べてみると、ビンゴ!

「御池通」に出ました。
中央分離帯に噴水が上がってる。
西を見れば、和服の市長さんがいる「京都市役所」の建物が、街路樹越しに見える。
東は、東山が霧雨に霞んでる。

交差点角に、「栞屋蕉庵」というお店があった。
外観ではお店の内容はよくわからないが、京料理レストランのような気がする。

20160619TakaseS247s.jpg 10:41「幾松」
『京の夕涼み 鴨川納涼床』と書かれた提灯が下がっている。
鴨川床の料亭を営業されているようだ。
『昼食5658円(弁当)7200円(ミニ会席)10000円(昼懐石)、夕食14400~1000000円(京懐石)要予約』
法事会席ならまだしも、さすが幾松、夕食としては、かなりの高額。

そんなことより、『桂小五郎・幾松・寓居跡』と彫られた石柱が重要でしょう。
幾松は、京都の芸者で、長州藩の重臣で、京の長州藩士を束ねていた桂小五郎(改名して木戸孝允)の危機を幾度も助けた。
桂小五郎は、天皇を味方につけ、一発逆転を狙った長州藩が起こした「蛤御門の変」に失敗し、兵庫県豊岡市出石まで逃げて、武士を捨て町人になった。
免許皆伝の剣の腕前なのに、「逃げの小五郎」と言われるほど逃げ足が早く、とても多数の部下を失った長州に、かっこ悪くて帰ることが出来なかった。

そこを幾松が見つけ出し、「あんた、何やってんねん」と一括し、強引に長州に連れて行った。
蛤御門の変に敗れ、多くのリーダーを失った長州藩は、桂を不問とし、何もなかったかのように重臣に返り咲かせた。
明治維新が成り、木戸孝允の奥さんになった豪快な女傑芸者です。

この料亭内に「幾松の部屋」があり、何度も反長州勢力に踏み込まれたので、抜け穴や除き戸などが遺っているそうです。
桂小五郎が三条橋の下に隠れ、幾松が食べ物を差し入れに行く、ドラマでは定番お場面が蘇る。
ここから三条橋まで、50mぐらいかな?
料亭の裏手・鴨川側からは、直接橋の下が見えるはずです。

隣には「維新庵」という大正近代建築に似せた建物があった。
「IKUMATSU」と書かれていたので、リーズナブル料理を提供する別館でしょう。
『長州御膳2060円~』

20160619TakaseS255s.jpg 「佐久間象山・大村益次郎遭難之碑」
高瀬川の対岸に、立派な碑が立っている。
『元治元年1864/7/11、木屋町通を馬に乗って通りかかった佐久間象山(1811~1864)は、刺客に斬られ絶命した。信濃松代藩士で、洋学・砲術を学び、開国論を唱え、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰ら多くの俊才を教育した。幕府の命で上洛し、海防の相談に当たるとともに、公武合体を進めていた。池田屋事件直後で、いきり立っていた攘夷派は、学者象山の説を受け付けなかった。
それから5年後の明治2年1869/9/4、木屋町通東側にあった宿所で、大村益次郎(1825~1869)が刺客に斬られ、その傷がもとで、11/5大阪の病院で亡くなった。
周防国長州藩士で、家は医者であったが、医学とともに西洋兵学を学び、兵学の第一人者となって、幕末の長州軍を率い、戊辰戦争の指揮に活躍した。明治政府の兵部大輔となり、近代兵制(国民皆兵など)の創立に努力した。そのため、不平士族に襲われた』

佐久間象山の思想から、ペリー来訪から揺れに揺れた国家存亡の危機を回避できた明治維新に繋がる。
一時、土佐・武市半平太や長州・久坂玄瑞などのハードランディング尊皇攘夷急進派にまで動いたが、結局佐久間象山・勝海舟・坂本龍馬のソフトミディアムランディングの路線で、時代が変わった。

佐久間象山の仕事は、ここで暗殺されても十分成されたとも言えるが、もっと生きていれば、その後の日本を割った流血劇はソフトランディングされていたかもしれない。

1864年は、僕の歴史年号暗記のランドマークです。
東京オリンピック1964年のちょうど100年前で、天皇を長州までさらい、一気に時代を動かそうとした長州藩が、「蛤御門の変」において京都警護の会津藩・薩摩藩に敗退した。
長州は、イギリス・フランス軍艦と砲火を交え、自らの実力を知った西国雄藩の薩摩と長州が土佐の坂本龍馬の介在で手を結び、1868年の明治維新まで、怒涛のごとく内戦の波乱の時代に突入する。

20160619TakaseS258s.jpg 10:45、「高瀬川・一之船入」
高瀬舟が高瀬川の流れの中に、荷を載せて鎮座していた。
『この立て札の後方の入江を、一之船入という。舟入とは、荷物の積み下ろしや船の方向転換を行う場所で、二条から四条の間に9ヶ所作られた。国の史跡のこの場所を除いて、すべて埋め立てられている』
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