6/5・京都寺社巡り1 養源院

先週に続き、「京都一周トレイル」の2回目、東山コースの「銀閣寺~比叡ケーブカー駅間」トレッキングを、計画しました。
週間天気予報では「くもり」だったのに、前日・土曜日の夜から雨になり、安全のために中止しました。
京都寺社巡りに変更です。

夜明け頃、目を覚ましましたが、屋根を打つ雨音が聞こえます。
予報では10時には雨が上がり、午後は晴れてくるそうです。
当初の出発予定6時、そして7時と外に出て観天望気しましたが、まだまだです。
8時になり、雨の勢いが落ちてきたので、出発することにしました。

まだ小雨が降っているので、カッパを着て、通勤リード110にタンデムし家を出ます。
8:56、御用達の伊丹産業エッソで給油、158km/3.94L=40.1km/L。
家内をJR北伊丹駅に下ろし、僕はR171で一路、京都を目指します。

小雨は高槻に入る頃には止みましたが、少々肌寒いのでそのまま着ているのが快適です。
天王山を越え、京都に入ると、再び小雨が落ちてきました。
小雨といってもカッパを着る程でもない。

待ち合わせのJR京都駅・八条側に到着し、電話を掛けると、家内は既に着いており、頼んでおいた京都の地図をコンビニで買っている最中でした。
母親が買った京都観光ガイドブックのページに書かれている地図を、ずっと利用しており、この日も持ってきましたが、昔ながらの1枚ものの蛇腹地図を購入することにしました。
一見して、目的地の位置関係がわかって便利です。

タクシー乗り場が拡張され、一般車両の待機場所がありません。
困ったなとタクシー乗り場を隔てた道路脇に停めていると、家内の紅いカッパが目立ち、家内も僕を見つけたようで手を振っています。

難なく家内をピックアップし、八条通を東進し、竹田街道でJR線をまたぎ、七条通で鴨川を渡り、三十三間堂の角を南に入り、「養源院」前にバイクを停めました。
10:51、平家物語の準主役「後白河法皇」の御陵に参ろうと思ったら、土日祝日は、参道のゲートが閉門だそうです。
ガッカリです。
自らが作った三十三間堂の隣に、天皇時代に住んでいた御所・内裏を出て、ここに建立した「法住寺」に住み、院政を敷きました。
平家物語では、幾度も登場する重要な地です。

20160605KyotoS002s.jpg お隣の「養源院」に入ります。
20160605KyotoS003s.jpg 既に観光バスが6台も入っていた「三十三間堂」横なのに、こちらは団体さんが来られないから、静かです。
20160605KyotoS006s.jpg 石畳の参道に若葉紅葉が覆いかぶさり、秋が綺麗に紅葉しているでしょう。
でも若葉の季節の紅葉も好きだよ。

20160605KyotoS007s.jpg 本堂入口に、徳川家の菩提寺らしく「三つ葉葵紋」の「のれん」が下がっています。
20160605KyotoS008s.jpg 拝観料500円×2を払って中に入り、ちょうど始まった説明案内グループに入りました。
ここは、「関ヶ原合戦」の前哨戦があった伏見城の戦いで、石田三成軍に包囲され、全滅した徳川家康と一緒に育った側近中の側近・鳥居元忠の血塗りの床天井で有名です。

説明があると、とても良くわかります。
養源院は、秀吉の側室・淀君が、父・浅井長政と祖父・浅井久政の供養のために、秀吉にねだって建ててもらったお寺だそうです。
大坂夏の陣で、豊臣氏が滅んだ4年後、火災で焼失した。
それを、徳川2代将軍・徳川秀忠の正室になっていた淀君の妹・江が再建し、大坂夏の陣で自刃した姉とその息子・豊臣秀頼の菩提を弔った。

豊臣氏を弔うのに寺院再建という大きな出費が伴うので、鳥居元忠以下、伏見城で徹底抗戦し武運なく討ち死・自刃した将兵を弔う徳川家菩提寺という形で再建した。
説明によると、鳥居元忠自身の血で魚拓のように残された伏見城に床は、リアルな染みになっていた。
床天井には、明らかに指の形に見えるものなど、多くの染みが残っている。

2000名の将兵で守っていた伏見城に、石田軍4万が囲み、多勢に無勢。
ですが、10日間以上持ちこたえ善戦します。
最後に残った300名を集め、「これまで」と将兵の自刃を見届けた後、鳥居元忠自身も自刃したとのこと。
その200名ほどの床板がここの天井として、葬られているそうです。

その他の床板は、京都を囲むように幾つかのお寺に、床天井として葬られており、「徳川氏に奉公したら、末代まで大切に祀るよ」と、天下にしたそうです。
紹介された幾つかのお寺の中には、既に訪問したお寺がありましたが、血天井はスルーしていたようです。
血天井をしっかり紹介しているのは、「養源寺」のみだそうです。

俵屋宗達筆の「像の襖絵」「麒麟の襖絵」なども、丁寧に紹介されました。
僕の好きな聖天歓喜天を祀る部屋があり、その前の提灯には、代名詞の「大根」が染め抜かれていました。
聖天歓喜天は、男女和合の仏で、インドから伝わった像の顔を持ったガネーシャが変化したものです。
それで、それを祀る部屋の襖絵が像なんだと合点しました。


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