5/1・阪堺電鉄沿線・歴史散策3 阿部野神社~帝塚山古墳~妙国寺

2人の生涯が細かく書かれ貼りだされている。
南向き副参道には、板塀にずらりと生涯が書かれている。
流石に大量の文字過ぎて、謂れ板好きの僕としても半日は掛かりそうな文字量です。

『征露戦役記念碑 東郷平八郎著』の石碑があった。
天王寺村出身者の従軍兵士の記念碑として、東郷平八郎が建立したそうです。
お稲荷さんの拝殿に入ると、『ご自由に中に入り、椅子に座り、商売繁盛の稲荷祝詞を奏上され、心ゆくまでご参拝ください』と書かれていた。

20160501HankaiS114s.jpg 椅子の前に祝詞がふりがな付きで置かれていたので、声に出して読んでみました。
子供の頃から聞き慣れた祝詞なので、神官さんのような節回しに自然になった。
面白いな。

『向鶴の由来 勲宮ご祭神・南部師行(もろゆき)公 奥州八戸根城南部10代・南部光経が、戦陣で戦勝祈願した時、夜明けの空に2羽の鶴が舞い、九曜の星が空から降ってくる夢を見て、大勝利を収めた。これに因み「2羽の鶴が向かい合い、胸に九曜の星をつけた「向い鶴紋」を南部家の家紋と定めた。
奥州八戸根城初代・南部師行は、後醍醐天皇に忠誠を誓い、北畠顕家公の忠君として足利方の大群と戦い、1338年大阪市堺市石津付近で、顕家公とともに戦死。
ここ「勲宮」に祀られる』

「帝塚山学院旧校歌」「大阪府阿倍野高等女学校・校歌」「住吉中学校・校歌」「阿倍野学園幼稚園・園歌」の歌詞が書かれた、プレートが立っている。
20160501HankaiS129s.jpg 拝殿両サイドには、『神は人の敬によって威を増し、人は神の徳によって運を添う』と書かれている。

20160501HankaiS132s.jpg 10:06「帝塚山古墳」
『4世紀末~5世紀始めの古墳。当初全長120m・後円部直径57m・高さ10m・前方部幅50m・高さ8m、周濠の跡も確認されている。埋葬者不明ですが、住吉に居宅があった大伴金村の墳墓とする説がある。明治31年、明治天皇が陸軍大演習を帝塚山から見たという碑が墳丘上に建っている。住吉村常磐会が、境界柵を設け、清掃を行っている』

10:28「日蓮宗・妙国寺」
幕末の堺事件の被告・土佐藩士が切腹した寺なので、その名残りでも感じたいと思いやってきたが、唖然の近代的寺院に雰囲気を感じることが出来なかった。
境内に立派な玉垣に囲まれた慰霊墓があった。
20160501HankaiS145s.jpg 中央に日蓮宗独特の字体で刻まれた石碑が建ち、左右に『土佐藩11烈士之英霊』『仏国遭
難将兵慰霊碑』が建てられている。

大阪湾測量中のフランス艦が堺港に入港し、兵が婦女子を冗談半分にからかったのを、警護の土佐藩士が無礼討ちした事件で、江戸時代の武士が刀を抜くときは、よっぽどの覚悟を持って抜いたので、それを頭に入れて想像すれば、フランス兵の冗談は、当時の日本では受け入れがたい侮辱だったのだろう。
銃撃戦の末、フランス兵13名が死傷した。

幕府役人も、同じ時代を生きた者なので、被告にするには忍びなかっただろうが、国力の差を感じて、フランスの怒りに従わざる終えなかったのだろう。
当初20名の土佐藩士に切腹の沙汰が下ったが、検分役のフランス兵が12名の切腹までしか見られず、切腹中止になり残りは土佐に流刑処分された。

「妙国寺永代納骨堂」があり、扉に手を触れると開いた。
ロッカーのように扉付きの納骨棚が並んでいた。
「・・家」と名札が下がったロッカーはまだ少なかったが、共同墓としてこういうのもアリだと思う。

道には、「土佐11烈士墓所」と刻まれた石碑が矢印しているので、それを探す。
「本受寺」に、西宗真(キリスト教名ルイス)の大きな五輪塔があった。
『肥前大村の家臣として1596~1615年にかけ、徳川幕府のもとで海外渡航の朱印を受けて度々渡航し、徳川家康に海外の様子を報告していた。1616年より堺に居住し、菩提寺となった』

20160501HankaiS159s.jpg 墓所は、「高野山真言宗・宝珠院」内にあった。
しかし「宝珠学園幼稚園」敷地内なので施錠されており、近くまで行けない。
「御用の方はインターホンで・・・」と書かれていたが、たった数分のためにご足労願うのも気が引けるのでパス。

『明治維新に起きた堺事件で切腹した土佐11烈士の墓がある。堺事件とは、1868年2月15日夜明け、大阪港内を測量中、堺へ上陸したフランス軍艦デュプレー号水兵と、堺を警護していた土佐藩士とが衝突し、フランス兵十数名の死傷者が出た。フランス側は、事件に関わった者の処刑、15万ドルの賠償など5ヶ条の謝罪を要求した。政府は、警備隊長・箕浦猪之吉以下20名の土佐藩士に切腹を命じ、妙国寺境内で、フランス軍士官立ち会いのもとに行われた。しかし、壮絶な切腹光景にフランス軍士官は、11名が切腹し終えた時点で中止を申し入れました。11名の遺骸は、前藩主・山内容堂らにより当寺に葬られ、手厚く葬られました』
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