5/1・阪堺電鉄沿線・歴史散策2 北畠顕家墓~阿倍王子・安倍晴明神社~天神森天満宮~阿部野神社

『北畠顕家公 後醍醐天皇の王政復古の理想により、鎌倉幕府を支配していた執権北条氏を新田義貞他の諸将の協力により討滅し、建武の中興が成った(1333年)。
当時参議左近衛中将だった北畠顕家は、武芸とは無縁の公卿の身でありながら、後醍醐天皇の命により、16才の若さで陸奥守に任ぜられ、皇子・義良親王を奉じて、父・親房と共に奥州に向かい、その地の鎮護に当たった。
2年後、鎌倉にいた足利尊氏が天皇に反して京へ攻め上ったので、顕家は天皇の命で奥州・関東軍を率いて、長駆攻め上り、足利勢を九州へ敗走させる。
京都を確保した後、奥州へ戻ったが、尊氏は九州で勢力を盛り返し、京都に攻め上がってきた。これを迎撃した楠木正成は湊川で戦死(1336)、尊氏は京都に攻め上がったので、後醍醐天皇は神器を持って吉野に逃れ、南北朝が始まった。
吉野に遷都された天皇は、再度顕家の西上を促され、顕家は奥州の霊山を出発し、鎌倉に入り、伊勢・奈良と進撃し、足利方大将・高師直軍と摂津で対戦、天王寺阿倍野に転戦したが、戦利あらず次第に押され、出発時6万を数えた軍勢が、最後は身辺を護るわずか二十数騎となり、戦場の華と散った。享年21才。花将軍と謳われた悲運の貴公子である。
当墓は、「太平記」などの伝承により、江戸期の学者・並川誠所の提案で、1720年頃建てられた。 北畠顕家公・顕正会 事務所・阿部野神社社務所』

我家の庭よりよっぽど手入れされた立派なお墓が、公園の片隅にひっそり佇んでいた。
僕みたいな歴史好き以外訪問する者はいないだろう。
『別当鎮守府大将軍・従二位行権中納言兼右衛門督・陸奥権守・源朝臣・顕家卿之墓』

8:46、「阿倍王子神社」
『伊弉冉尊・伊弉諾尊・素盞鳴尊・品陀別命(八幡大神)の四柱を祀り、仁徳天皇のご創建と伝えられる。また往古この地を本拠にした阿倍氏の創建ともいわれている。平安朝より熊野詣が盛業するや、99王子の第2王子として阿倍野王子と称せられ、一般参詣者の礼拝・休憩の用に充てられた』

20160501HankaiS053s.jpg 隣に「安倍晴明神社」があった。
ご神木のクスノキの巨木が数本、参道に立っている。
20160501HankaiS065s.jpg 摂社の稲荷社の覆屋に守られた本殿が、素晴らしく歴史を刻んだ風格を漂わせていた。

20160501HankaiS066s.jpg 次の神社を探していると、9:10阪堺電鉄「天神ノ森駅」に出くわした。
ちょうど青/黄色ツートンの1両電車がやってきた。
サイドにデカデカと「岡崎屋質店」の描かれている・・・ド派手。
もう少し南に行くと、路面電車になるので、ここも駅員も改札もない出入り自由オープン駅です。
時刻表を見ると、20分に1本の運行です。

20160501HankaiS070s.jpg 9:14、駅の横が鎮守の森で、「天神森天満宮」
菅原道真の血が流れる母親の家系故、僕は「天満宮」を見ればやたらに寄ります。
『天神森天満宮・天下茶屋天満宮・子安天満宮・紹鴎天満宮 祭神:菅原道真 末社:天照皇大神・猿田彦命・倉稲魂大神(稲荷大明神) 祠:白雪龍神・白髭龍王・白龍大明神 道真公が筑紫に左遷されたおり、住吉明神への参拝の途中、この地で休息された。その後祠が建立され、京都北野天満宮の分霊を奉斎し、現在の本殿は1702年建設された。
「子安石」は古くから安産の神として信仰され、豊臣秀吉も淀君懐妊の時参詣し、安産祈願された。「紹鴎森」、樹齢600年を超えるクスノキの森は、「天神ノ森」と呼ばれ、茶道中興の祖・武野紹鴎(千利休の師)がこの森の一隅に茶室を作り、風月を友として暮らしたので、「紹鴎森」とも呼ばれた。秀吉公が堺政所に往来の途中、天満宮西側の茶店で休息、この付近の風景を褒めたことから、「殿下の茶店」・・・「天下茶屋」と称することになり、「天下茶屋天満宮」と呼ばれることになった』

8月に次男の子が無事生まれますように、手を合わせた。前述の龍関係の名が刻まれた大石が並んでいる。
龍は水と関係があるので、雨乞い神事をした場所だろうか、雰囲気として井戸や湧水の場所だったように想像した。

20160501HankaiS095s.jpg 9:34、「阿部野神社」をやっと見つけた。
小高い丘の西縁で、西向き参道・鳥居があるので、かつては海が迫っていたのだろう。
南北に走る阪堺電鉄のライン沿いに神社が並んでいる。
海の神・住吉大社も少し南に並ぶ。かつては神社から直接海が望めた風光明媚な磯岡だったはずです。

『祭神:北畠親房公・北畠顕家公 北畠親房公は後醍醐天皇の信任厚く、吉野遷幸後は、吉野朝の中心人物として、伊勢・常陸に於いて、京都回復の計画を進めた。後醍醐天皇崩御後は、後村上天皇の帝王学の教科書として、常陸・小田城で「神皇正統記」を著した。後、吉野に帰り、後村上天皇を助け、1354年亡くなられた(62才)。
顕家公は・・・21才で戦没された。現在地は顕家公が足利軍と戦った古戦場で、明治15年「阿部野神社」と号して創立。明治23年別格官幣社に列せられた』
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