4/10 京都東大路界隈巡り7 霊山護国神社3

『水戸藩招魂社 明治維新時に国事に倒れた水戸勤王殉難烈士1785柱が合祀されている。元治甲子の変1074柱、安政の大獄7柱、桜田門外の変21柱、東禅寺の変11柱、坂下門の変5柱、越前敦賀の殉難345柱、その他322柱。合祀祭人は、水戸市回天神社境内の忠魂塔にその氏名が刻んである』

神道式の先の尖った墓石が並んでいる。大東亜戦争で亡くなった方の石碑も多く立っている。
20160410KyotoS201s.jpg 『山口藩招魂社』『霊山招魂社』『長州勤王烈士墓』、まとまって各藩の志士の墓石が並ぶ。

『禁門の変(蛤御門の変) 1864年7月19日、長州兵3方面より御所を目標に進んだが、互いの連絡協力の余裕がなく、3ヶ所で勝手な戦いとなった。福原越後の伏見勢は北上して、藤ノ森で大垣兵、竹田街道で彦根兵と新選組にあっけなく敗走。国司信濃の天竜寺軍は一挙に御所西側をついたが、会津・薩摩軍のために蛤門で撃退された。増田右衛門介の山崎軍は南から堺町門に迫りながら、越前兵に潰滅させられた。その際に、来島又兵衛・久坂義助・寺島忠三郎・入江久市・真木安臣外数十名の志士が戦死する。ことごとく霊山に眠る』

20160410KyotoS206s.jpg 墓所の一番高いところに桂小五郎・幾松の墓があった。
『維新三傑の一人、桂小五郎。容姿端麗にして神道無念流の達人。吉田松陰門下生で理性もあり流血に縁遠い。一生人を斬ったことがないと言われ、北辰一刀流免許皆伝の坂本龍馬と似ている。勤王芸妓第一人者・三本木の幾松とのロマンスは、文久元年、桂小五郎28才・幾松18才、相思相愛の仲になり、激動の時代の中で苦楽を共にし結ばれた。
勤皇の志士たちの最後は大方悲劇に終わるが、明治10年1877年5月26日45才で病没するまで、動乱の幕末を駆け抜け、維新後も活躍し、陽の当たる道を歩んだ幸運児とも言える。幾松も同じで、維新の大業成るや正二位侯爵・木戸孝允夫人となり、従四位を賜る程の女傑。ここ霊山に建立されている勅碑からも伺え知る事ができる』

「内閣顧問・勲一等・贈正二位木戸孝允墓」と墓石に刻まれている。
「明治34年5月26日特旨被追階・従一位」の碑が横に立っているので、死後四半世紀経って、従一位まで上ったようです。
「贈正二位・木戸孝允妻・岡部氏松子墓」が、正式な市松の名のようです。
氏族名が入るところが、明治の国民皆苗字になってなお、江戸時代の慣習の名残りを感じます。

20160410KyotoS210s.jpg 『熊本藩招魂社 明治3年(1870)熊本藩主により創建され、宮部鼎蔵ら同藩出身の志士を祭神とし、昭和43年・明治百年記念に、河上・樋口・堤の3柱を合祀、昭和61年横井小楠を合祀した。 祭神18柱』

『岐阜県招魂場 明治3年1870染川星巌の碑が門人により建てられ、戊辰戦争で戦死した徴兵7番隊の川田敬蔵・家村半三郎・中川源八郎・水野定吉らの碑が建ててある。平成2年所郁太郎の碑を建立』

20160410KyotoS223s.jpg 『福岡藩招魂社 明治3年1870年3月、福岡藩主により創建され、平野次郎国臣はじめ福岡藩出身の勤王志士を祭神とし、久留米藩出身の真木和泉守他を合祀。祭神数215柱』

『鳥取藩招魂社 明治3年鳥取藩知事・池田慶徳公によって山頂近くの32坪に建立され、維新を見ることなく散った幕末・戊辰戦争殉難祭神87柱を合祀したものである。この中には、鳥取藩付属として従軍した丹波山国郷(現京都市右京区京北山国)の山国隊7柱が含まれる。大政奉還の日・10/14を慰霊日と定め、戦前までは国費で、戦後は京都鳥取県友会が参行している。
幕末殉難者11柱(三像の梟首事件・本圀寺事件・生野挙兵事件・天誅組大和挙兵事件)。戊辰戦争殉難者76柱(関東の戦い・磐城国の戦い・越後の戦い、羽後の戦い)。合祀されいない殉難者(幕末殉難者17名・戊辰戦争殉難者22名)』

20160410KyotoS233s.jpg パール判事の碑を見ようと下に降りてくると、『金鵄勲章の歴史と鎮魂の賦 金鵄勲章は、明治23年明治天皇により制定され、武功抜群者に授与された国家最高勲章で、日清・日露戦争より大東亜戦争に至るまでの受賞者は、94万余名に上るが、大東亜戦争の受賞者は全て戦死者であり、他の戦役でも戦没の受賞者が大多数を占めている。
特に靖国神社、護国神社に合祀された英霊(特攻隊戦死者を含む)の大半は金鵄勲章受賞者である。大東亜戦争終結後、新憲法施行により、金鵄勲章に関する制度は廃止されたが、本人一代に限り公用着用を認められ、宮城参賀・総理観桜会・その他公式行事に着用し得ることとなった。
回顧すれば、はるか支那事変に始まり、国運の浮沈を賭けた大東亜戦争において、米英を主とする列国より強力な経済封鎖の抑圧を受け、座して死を待つを潔とせず、祖国の自衛自損と東亜の開放と安定のため、敢然と起って死中に活を求めて列強に挑んだ戦いを「八紘一宇の聖戦」と心から信じて、祖国の防人として戦野に空に、そして海において悪戦死闘の末ついに鬼神、壮烈悲惨なる玉砕の悲運を喫した。殉国の英霊に対し、心から感謝と鎮魂の祈りを捧げ、その抜群の武功を顕彰するとともに、ここに不戦の誓いを込めて、世界の恒久平和を祈念するものである。 終戦51周年記念・紀元2656年・平成8年 日本金鵄連合会/京都府金鵄会生存者一同』
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