4/10 京都東大路界隈巡り5 霊山護国神社

20160410KyotoS155s.jpg 8:08「霊山護国神社」
『当神社は、幕末維新に殉じた志士と大東亜戦争に至る京都府出身の英霊73011柱奉祀する。幕末、各藩が東山三十六峰の中心であるここ霊山に、それぞれ殉死者を祀ったのが起源で、明治元年5月に太政官布告をもってわが国初の官祭招魂社とすべきことが決められた。この布告により、各藩は社殿を建設し、7月には盛大な祭典が挙行された。明治10年には皇室より巨費が下賜せられ神域が整備され、全国招魂社のうち最も崇敬を集めた。昭和4年6月には、昭和天皇御即位大礼の建物が下賜せられ、現社殿を整備し、昭和14年に護国神社と改称して現在に至る。霊山神域内には坂本龍馬・中岡慎太郎・木戸孝允・平野
国臣・宮部鼎蔵はじめ蛤御門の変・天誅組の義挙などに加わった志士たちの墓300余柱があり、1356柱が合祀されてあり、この地は明治維新を偲ぶ大霊域・史跡である』

『龍馬演舞場 新しい時代の幕開けを夢見ながらも慶応3年11月15日京都四条河原町・近江屋にて刃に倒れた幕末維新の英傑・坂本龍馬。京都霊山護国神社では龍馬の命日に「龍馬祭」を行い、坂本龍馬・中岡慎太郎・藤吉の3柱の御霊をお慰めています。龍馬の故郷・高知県では、「よさこい鳴子踊り」が盛んに行われております。彼の命日に故郷を伝える「よさこい鳴子踊り」を境内にて奉納し、在天の坂本龍馬にご照覧頂こうとはじめられたのが、「龍馬よさこい」です。京都霊山護国神社境内は、この発祥の地で、この場所を「龍馬演舞場」と名づけ、龍馬を追慕する者たちが、舞を捧げる場所であります』

瀟洒な拝殿にお参りします。
なんだかんだ言いながら、生まれてからずっと平和に暮らせ、国や民族のことは空気と同じように意識せず来れたのは、繁栄する日本という国があったからこそです。
江戸時代でも世界最高の識字率を誇ったという為政者が搾取せず、臣民全体のレベルアップを願ってきた国民性が、脈々と受け継がれて来たからだと思っている。
それは、為政者が時代とともに変われど、天皇家という太古の時代から続く日本民族の心の拠り所である家を頂いているからです。

この家から臣籍降下した多くの氏族から派生し、その氏族と婚姻を重ね血のつながりを持った人々が、現在の日本人の殆どという広い意味で親戚が集まった国家が海で大陸と隔絶された土地に住んでいる特殊事情によるところが多い。
境内に立つ日の丸を見上げながら、この国に生まれた幸運を思う。

明治維新の時代は、欧米列強が海外に進出し、まさに日本も植民地化される寸前の時期だった。
江戸幕府側・新政府側として戦ったが、結果的には軍事力では新政府側を圧倒していた幕府軍が、「天皇」という古代から続く日本の象徴的権威でまとまる形で、割合平和的に多くの臣民犠牲者を出さず、国の統一が成った。
残念ながら、敗戦側の幕府軍の将兵の御霊は葬られてはいないが、その後の日本の大発展と生き残りを成した英雄たちが眠っている。
手を合わせに行こう。

20160410KyotoS160s.jpg 墓所全体の地図があり、墓石のある志士の名前が全て書かれている。
坂本龍馬に始まり、多くの有名志士の名に目が行くが、「十津川郷士」の墓石も並んでいた。
有名志士の他に見たかった墓石群です。
十津川は、山深い紀伊半島の中央部にあり、周辺地域と隔離されているといえるほど、交通の便が良くない。
神武東征でここを北上し奈良盆地に入ったという長い歴史を持ち、政争がある度、敗軍が逃げ込んだ場所でもある。

産業もあまりなく、ほそぼそと生計を立てているだけだが、国家への奉仕という視野の広さを持っている。
京都の皇居守備隊として、物騒な京都の町の治安を維持し、明治維新に繋がる最初の討幕運動と言える「天誅組の乱」の兵として人数を送った。歴史では将の名が後世に残るが、名も無き兵の奮闘を忘れてはならない。

電車の自動改札機のような入場方法で入る・・・300円。
20160410KyotoS166s.jpg 「参拝者順路」の道標が立っているので、それに従うと大きく巡れるようになっている。
「坂本龍馬先生の墓」など参拝者の多い墓にスムーズに行けるようになっている。
20160410KyotoS162s.jpg 入場してすぐに、「パール博士顕彰碑」への道標が立っており、嬉しくなってしまった。
東京裁判で、戦勝国が当時の国際法違反ではない当時の日本の戦争指導者を裁いた。
世界中の戦勝国から集まった裁判官の殆どが、法律にないことで有罪判決を出した中、唯一インドからやって来たパール判事のみが「無罪」判決を出した。
結果的には通らなかったが、頑なに法の精神に則って抵抗した。

現在は、「東京裁判のパール判事判決」こそ本来の法治の姿と、高く評価されている。
そんな大恩人をきちんと顕彰しているのに、ちょっと涙が滲んだ。
家内の父親は、職業軍人・部隊長として中国戦線で勇猛に戦い、戦時中は地元播磨の英雄として名が知られていた。
率いた部隊に、家内の実家の苗字名が頭に付いていたほどだった。
戦後シベリアに抑留され、辛い生活を送ったそうだが、もしすぐに帰国できていたなら、東京裁判に掛かっていたかもしれない。
そうしたら、家内が生まれず、僕の今のこの幸せな生活はない。
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