4/10 京都東大路界隈巡り4 ねねの道~御陵衛士屯所跡~翠紅館跡

20160410KyotoS091s.jpg 7:07「恵比寿神社」
神社なのに、想定外の開門前。
神社なら24Hオープンで境内に入れるようにしとこうよ。

20160410KyotoS092s.jpg 「祇園雪虎製作所」というお店があった。
アンティークグッズ製作のお店のようだが、京都らしく怪しい雰囲気が漂っている。

20160410KyotoS104s.jpg 八坂通を、正面に「八坂の塔」を見ながら歩き、建仁寺勅使門横の門から境内に入り、塔頭の雲水が掃除をしている石畳の道を歩きます。
車に戻ります。
6:32~7:23「安井金比羅宮」100円。

車を動かし、再び「高台寺」へ。
20160410KyotoS112s.jpg 霊山護国神社参道横の駐車場に入れます。
コンビニで買った「助六寿司」で朝食。

20160410KyotoS114s.jpg 「高台寺」前の「ねねの道」を歩いてみます。
20160410KyotoS121s.jpg 『圓徳院(北政所終焉の地) 豊臣秀吉没後、その妻北政所ねねは、高台寺建立を発願し、1605年秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と前庭をこの地に移築し移り住んだ。77才で没するまで19年間、この地で余生を送り、その間北政所を慕う大名・禅僧・茶人・歌人・画家・陶芸家などが訪れた。圓徳院は、ねねの没後9年目、甥の木下利房(足利藩主)が、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺として開いた。方丈は創建時の
もので、内部の襖には長谷川等伯の32面の水墨画が描かれ、国の重要文化財に指定されている。化粧御殿前庭は、庭石や枯滝の石組が配された豪華なもので、桃山時代の枯山水庭園の様式を今に伝え、国の名勝に指定されている。境内に奉祀された三面大黒天像は、豊臣秀吉の守り本尊であり、今日でも多くの信仰を集めている』

20160410KyotoS126s.jpg 『豊公出世守り本尊・三面大黒天 秀吉公が出世時代に念仏仏とした尊像で、北政所がこの地に移され今日に至っている。大黒天・弁財天・毘沙門天の三面を合わせ持ち、一仏礼拝によって三尊天のご利益を得るという誠に秀吉公らしい信仰である。大黒天は福の神、弁財天は学問、毘沙門天は勝利・子宝などの神として、多くの信仰を集めている。堂及び表門は、御所の鎮守大黒殿を移築したものである。
歌仙堂 長唄子(若狭城主)は北政所の甥であり、歌聖として知られている。歌仙堂は長唄子を祀り、もと霊山にあったものを木下家の関係でこの地に移築した。
なお詩仙堂・雅仙堂と合わせ京都の三堂と言われ、学問・詩歌を志す人々の信仰を集めている』

20160410KyotoS129s.jpg 「御陵衛士屯所跡」
『ここ高台寺・月真院は、1867年6~11月にかけ、熱烈な勤王主義者であり、孝明天皇の御陵衛士(天皇の墓の守護者)と称した伊東甲子太郎(かしたろう)ら15名が屯所とした寺院である。「高台寺党」とも呼ばれる。
伊藤は常陸の出身で学問優秀、剣は北辰一刀流でであった。1864年江戸から京に移り、新選組に入隊し参謀となったが、近藤勇・土方歳三らと意見を異にし、袂を分かつ。同士14名を連れて御陵衛士に任命され、ここを屯所とした。薩摩藩の援助を受け、雄藩を回って勤王を説いた。伊東は近藤勇から酒席の接待を受けた帰り、油小路木津屋橋で待ち伏せしていた新選組に謀殺され、伊東の遺体を引き取りに来た多くの同志も、新選組隊士によって斬られ、御領衛士の活動は終止符を打った』

境内に白い八重桜が綺麗に咲いているしている。
20160410KyotoS137s.jpg 「ねねの道」を戻り、霊山護国神社に向かって坂を登り出す。
清水寺方向に、石段が続き、日中は賑わう魅力的な坂道が分岐している。

7:59石鳥居をくぐる。
「霊山歴史館」も見学したかったが、10時からのようで残念。
『翠紅館跡 ここに幕末の頃、翠紅館と呼ばれる屋敷があり、志士たちの会合の場となっていた。正法寺というお寺の塔頭の1つがあり、眺望良く、会合に利用されていたのを、鎌倉時代に公家の鷲尾家が買い取り、その後西本願寺・東山別院に寄進された。1863年正月27日には、土佐藩・武市半平太、長州藩・井上多聞・久坂玄瑞ら多数が集まり、6/17にも長州藩・桂小五郎、久留米藩・真木保臣らが集まった。この数年後から攘夷運動が次第に高まり、反幕府の政治勢力となりつつあった。これら各藩の志士代表者会議で、攘夷の具体的方法が検討され、世にこれを「翠紅館会議」という。8/13に、孝明天皇の大和行幸の詔書が出され、攘夷運動は頂点に達した。しかし8/18政変が起こり、その結果攘夷派は失脚し、代わって公武合体派が主導権を握り、幕末の政局は混迷の度を増していった』

20160410KyotoS148s.jpg 門前に、「贈正四位坂本龍馬氏の墓」「天誅組義士墓」「この上に勤王志士の墳墓あり」「贈従一位木戸孝允卿墓」の石碑が立っている。
「贈」だから、死後贈られた官位ですね。
孝明天皇大和行幸に即応し旗揚げし、その後の京の政変で賊軍と孤立殲滅された不運の天誅組義士の案内碑が立っているとは、なんか気持ちが良い。
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