3/13・大坂平野郷 かたな博物館・大念佛寺

手水が、ひょうたんから水が流れている。
「楠木大明神」がある。
本堂には、「閻魔大王・不動明王・本尊十一面観音菩薩・毘沙門天・地蔵菩薩」と書かれている。
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お堂縁側に、閻魔大王人形が置かれ、「ご自由に写真をお撮りください」と書かれていた。
横の墓地に、めぼしい墓石はないかと入ってみる。

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「かたな博物館」と書かれた暖簾が下がった民家があった。
「お気軽にどうぞ」と書かれているので引き戸から覗いたら、刀剣が飾ってある。
中では研師さんが作業中でした。
「こんにちは」

砥石の種類・刀剣が出来るまでの工程が実物や写真で説明されている。
「真澄庵」という御刀研職人さんのお店でした。
あ~だこ~だ、教えてもらいました。

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「横綱白鵬関・守護御太刀研磨所」の木札が下がり、白鵬さんが来られた時の写真が飾られている。
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横綱土俵入りで、随身する太刀持ち力士が持っている太刀は、ここでこの方が研がれたようです。

「坂上広野麿屋敷跡」は石碑だけになっており、アパートが建っていた。
「坂上子孫・末吉家屋敷」

「大念仏寺」にバイクを停めたら、近くに寺院が2つ見えている。
江戸時代は、寺内町だったのでしょう。
「浄土真宗・永福寺」、下がり無事門が素敵で、本堂も彫刻も年代物と感じないが、しっかりお金を掛けたいい感じです。

「大念仏寺」南門から入ります。
「不許葷酒入山門」と、座禅のお寺じゃないけど、禅宗山門特有の石柱が立っている。
『古川藩陣屋門 南門は現在の平野小学校にあった古川藩陣屋門で、明治廃藩後平野小学校表門として昭和2年まで使われていた。小学校校舎拡大により移築された。平野郷藩政時代唯一の遺構で、樟の一枚板である。江戸時代の平野郷は、1694年を境に前期は幕府領、後期は大名領地だった。特に1713年下野国古川藩主・本多忠良に給付されて以来、明治2年藩籍奉還まで156年間は、松平・土井と大名は変わったが、古川藩付所領であった。陣屋は古川藩時代に設置され、摂津近在古川藩所領の行政事務を取り扱っていた』

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京都東西本願寺を彷彿させる大伽藍の本堂にびっくりした。
敷地内に配された僧坊もそれなりの風格が漂い経済力の大きさを感じる。
『本堂 昭和13年に竣工した総けやき造り銅板葺きで、棟行・南北39.1m、梁行・東西49.8mの大阪府下最大の木造建築である。堂内に本尊十一尊天得阿弥陀如来画像、両脇に岡倉天心の高弟・名仏師新納忠之助作の多聞天王・八幡大士の極彩色木造が立ち、左右の宮殿に宗祖・聖応大師(良忍上人)、中祖法明上人の木造を安置している。また左右余間に再興大通上人像と、旧本堂(1667年建立)建立願主舜空上人の木造を安置している。外陣いっぱいに吊り下げられた大数珠は、明治36年に再製したもので、珠1つ1つに施主主名・回向の戒名が陰刻されている。百万遍大数珠繰り法要に使用する』

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『聖應大師良忍上人 上人は平安時代の終わり頃、1072年尾張富田庄領主・藤原秦氏の家に生まれ、12才で比叡山に出家する。天台密教の学問を深め、若くして学徳は一山の重きをなした。23才の時真の仏道を求めんと下山し、洛北大原に移った。1日6万編の念仏を唱え苦行を重ね、法華経などあらゆる教典を読破書写し、来迎院を開創し、浄蓮華院などを復活建立した。上人は、美声と音楽の才能に恵まれ、声明に励み、声明中興の祖と仰がれている。46才の時、阿弥陀如来より即得往生の道・口称融通念仏を授かった。この時をもって、本宗の開宗と定めている。鳥羽上皇の帰依を受け、上皇下賜の勧進帳と鏡鐘を持って宮中はじめ諸国を行脚し、融通念仏を広めた。四天王寺にいる時、聖徳太子の霊告で、1127年摂津平野に根本道場として大念佛寺を創建した。1773年、後醍醐天皇より「聖応大師」の大師号を授与された』

回転式の「経蔵」がある。
とても雰囲気がいい。
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釣り鐘もでかく、守護神社のご神木もとても太くて立派です。

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満開の赤木蓮に釣られて端の霊明殿に行ってみる。
『正門・回廊・奉安所・修法堂からなる。1156年創建。良忍上人の念仏勧請を助け、自らも融通念仏に深く帰依した鳥羽上皇の
霊牌と御真影を祀るために建てられた。徳川家康公を合祀するため、権現造りの社殿を再建した。それ以降「権現さま」「お宮」と称した。家康公は、大阪冬の陣・夏の陣で、36世道和上人に帰依し、治国・国家安穏の祈祷を乞い、日課念仏を誓約した。両度の戦役で被災した大念佛寺を、天海僧正立ち会いのもと、青銅百貫文を弁済し、庫裡を再建し、融通念仏に貢献した。今日まで修理を繰り返し、正門と回廊は江戸時代の遺構を残しているが、奉安所と修法堂は明治25年の火災で焼失し、旧形のまま建て替えられた。平成20年代修理を施し、新たに後小松天皇を合祀するようになった。後小松天皇は、融通念仏勧請帳の序文(重文)をしたため、広く融通念仏を広められた方である』
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No title

こんばんは~
私は物をケズル仕事をしていますので、砥石や刃物には少し興味があります。
あの長身の日本刀ヨレずに砥ぐのことができるのはさずが職人ならではですね。

大念仏寺はまるで京都のお寺のように立派な屋根の本堂ですね。


全興寺は一度行ったことあります。
街中の商店街の中にあって見つけるの大変でした(笑)
 

No title

まんとさん
「ヨレずに研ぐ」という視点があるのですね。
両親の実家の蔵にあった日本刀を、子供の頃、爺ちゃんと蔵に入り持たせてもらったことがあるのですが、綺麗でずっしりと来たのを覚えています。
刀剣の博物館などの展示品が、綺麗に磨かれ、綺麗に剃り、波紋が美しいのに見惚れてしまいます。
まさに芸術品ですね。

大念佛寺は初めてだったのですが、京都の本願寺を彷彿させる大屋根に驚いてしまいました。
全興寺さんは、サービス満点の面白いお寺ですね。商店街に面していてびっくりしました。
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