3/6・南河内史跡ツーリング宿題解消 その4 河内源氏3代の墓・叡福寺(聖徳太子御廟)

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帰ろうと鳥居のところまで来ると、「石川」の作った平野が見渡せました。
この肥沃な土地が、河内源氏の源泉になったのでしょうし、大坂夏の陣のくだりでも、「石川を渡り」とあるあの川です。
そして、後藤又兵衛・薄田隼人を散らせた濃霧もこの川の気まぐれだったのでしょう。

次は、河内源氏三代の墓です。
GPSに導かれるまま路地を走ると、四輪なんて絶対無理な用水路沿いの幅1mほどの道に導かれました。
なんと!
バイクを置き、徒歩探索すると、20mほどで車道に出ます。
意を決して、教習所の一本橋の実践をします。

車道になったとこにお墓がありました。
山門に、「源氏・祖郷」と書かれた札が掛かっています。
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「源頼義朝臣墓」がありました。
河内源氏の祖・頼義は、大江山の鬼退治で有名な清和源氏・摂津源氏の源頼光の孫です。

『1051年、安倍頼義(頼時)が反乱を起こした時、鎮圧にあたった。その後再びその親子が反乱したため、出羽豪族・清原氏の援軍を得て1062年平定した(前9年の役)。この出陣に際して、石清水八幡宮に戦勝祈願し戦功を上げることが出来たので、この地に八幡宮を勧請し、通法寺の北に壺井八幡宮として源氏の氏神にした』

境内に曲輪は残るものの建物は、先ほどの山門とあと一つ山門があるだけ。
壺井八幡宮都の位置関係から、ここが通法寺のようです。
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「ウォーキングトレイル」の案内地図があり、「歴史街道」石柱には「源義家・頼信墓、0.2km」と書かれていた。
歩こうかとも思ったけど200mという距離が微妙で、バイクで小川沿いに上りました。

30mほどで行き止まり、通法寺を見下ろす丘が墓所でした。
バイクを置いて、急峻な丘に付けられたつづら折れを登ります。
『源氏三代の墓 頼信は河内守に任官後ここに邸宅を構え、数々の戦乱を平定後ここで余生を過ごし、1048年遺言により「巽」の方角に葬られた。頼義の墓は通法寺旧本堂跡にあり、1082年79才で死去し、遺言により本堂下に葬られたが、後に現在地に移された。義家の墓は、通法寺南東の丘陵上にある小高い円丘である。1106年京の邸宅で死去し、ここに葬られた』

丘の上に上がると、扁平された広い曲輪になっており、謂れ板がないので分からないが、一列に墓石が並んでいる。
河内源氏に縁のある者の墓かな?
「愛鶏之墓」と彫られた墓石があり、ペットとして鶏を飼っていたのか?
って突っ込みたくなった。

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円丘前に、「源義家の墓」と刻まれた石柱が立っている。
『歴史街道 国指定史跡 源義家の墓(1039-1106) 7才の時、石清水八幡宮で元服し八幡太郎と名乗った。前九年の役で父・頼義に従って名声を高めた。1083年出羽豪族・清原氏の内紛が起こると、1087年それを鎮圧し、武将としての地位を不動のものとした(後三年の役)。この功績から百姓が土地を寄進し始め、1092年朝廷から土地の寄進禁止令が出されるまでになった。1098年、武将で初めて昇殿を許された』

10:28、r27を南下し、r32に乗り換え、「叡福寺」着。
石段を上がると、仁王門がある。
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小ぶりだけど雰囲気がいい仁王像。
山門に「聖徳廟」と書かれた山門名が掛かる。
多宝塔・本堂・手水舎などが境内にあり、参道正面に里山。
その手前がまた石段で上がり、長屋門になっている。
その奥に瀟洒な唐破風の建物が見えている。

『叡福寺は、聖徳太子の墓前に営まれた寺院。戦後単立寺院となったが、もとは古義真言宗・金剛峯寺の末寺で、石川寺・磯長寺と称されていた。四天王寺・法隆寺と並んで、太子信仰の中核を成した寺院である。推古天皇30年(622)建立で、724年聖武天皇の勅願によって伽藍を造営され、もとは法隆寺同様東西両院からなり、東の伽藍を転法輪寺、西を叡福寺と称した。
現在の伽藍は、1574年織田信長の兵火で焼失した後、相前後して再建された。広大な境内には、金堂・聖霊殿・宝塔など堂塔が立ち並んでいる。境内北方高所に営まれた磯長陵は、621年崩御の聖徳太子生母・穴穂部間人皇后、622年聖徳太子、その后の3人が一所に葬られていることから、三骨一廟と呼ばれている。墓前に、空海・親鸞・良忍・一遍・日蓮・證空の諸賢聖のほか、名僧の参籠が多く、現在も善男善女の参詣が絶えることがない。
当寺は数多くの貴重な文化財を所蔵している。聖霊殿(太子堂)は、1603年豊臣秀頼が再建したものです。1732年再建の金堂、17世紀前半建築の鐘楼は、大阪府指定文化財。巨大な石像五輪塔は、源頼朝の供養塔と伝えられ、鎌倉末期の優作として、大阪府有形文化財私邸を受けている』

南河内歴史ツーリング3/5
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