2/28・南河内歴史ツーリング2 八尾空港・津堂城山遺跡

連歌所の建物があった。
拝殿で、「丈夫な男の子を2人お願い致します。初孫くんの健やかな成長、妊娠中のお嫁さんたちの健康、2人の息子一家がニコニコ暮らしていけますように」と、毎晩仏壇・マリア様・神棚にお願いしていることをお願いした。
織田信長と同じ胡瓜紋。

拝殿裏に回ると、三社並びの本殿があった。
第1本殿は「牛頭天王」だった。
明治維新以前、「てんのう」と言えば「牛頭天王」で、「天皇」は意識されなかったそうです。
現代の耕うん機に匹敵する農耕に便利で家族同様だった牛は、生活に密着していた。

父の実家は庄屋だったが、自らの耕作地もあり、戦後の農地改革でそれだけは残った。
母屋の隣は家畜舎で、鶏・牛・ヤギがいた。
夏休みの数週間僕はそこで暮らし、朝玉子を取りに行き、ヤギの乳を飲んだ。
昼間鶏は屋敷内をウロウロし、中庭での従兄弟との野球の邪魔になった。

吉岡稲荷大明神・十柱神社・祖霊田村社・恵比寿神社などの摂社を巡り、社務所で「幸村ゆかりの地・平野区」というパンフレットをもらった。
安藤正次墓所(大坂夏の陣で将軍秀忠の伝令として活躍するも討ち死)、
杭全神社(征夷大将軍・坂上田村麻呂創建、連歌所は大坂冬の陣で破却)、
大念仏寺(大坂冬の陣で家康が武運長久を祈願)、
志紀長吉神社(大坂夏の陣で真田幸村が刀剣と六文銭の軍機を奉納し必勝祈願した)、
平野郷樋尻口門跡(道明寺合戦に敗北した真田幸村は大坂城へ退却した。自軍を追う家康は平野で休憩すると予測し、樋尻口の地蔵堂に地雷を仕掛けた。案の定家康が現れ地雷が爆発しようとしたその時小用でその場を離れ九死に一生を得た)、
全興寺(樋尻口地雷爆発で飛来した伝説を持つ「首の地蔵尊」がある)、
真田幸村休憩所(大坂夏の陣で伊達政宗と一戦した真田幸村が休憩し、志紀長吉神社に必勝祈願した)
が紹介されていた。

志紀長吉神社周辺の幸村史跡は巡ったけど、平野周辺はまだ巡っていない。
平野郷樋尻口門跡はどこにあるのかな?地図が載っていないのが残念。

R25を南東に走り、八尾に入ってr2。
9:31、「八尾空港」着。
フェンス越しに滑走路を見ると、セスナなど小型機が駐機している。
先頭の機のプロペラが回っており、後続の双発の機が滑走路に出て行った。
「大阪航空株式会社」、ロビンソンヘリコプター日本総代理店となっており、「Learn to fly Here」の看板も上がっていた。
「朝日航空株式会社」、ちょっとリッチにスカイクルージング・遊覧飛行、体験飛行コース3800円、あなたもパイロットになりませんか・飛行クラブ会員募集中。
高所恐怖症の僕には無理そうだけど、面白そう。

20160228KawachiS042s.jpg
大阪市消防局航空隊建物横の滑走路に、消防局の赤いヘリが停まっている。
国土交通省の国道・大阪航空局・八尾空港事務所、気象庁八尾航空気象観測所の建物がある。
管制塔もある。

20160228KawachiS048s.jpg
展望デッキはなさそうなので、空き地からフェンス越しに滑走路を見に行くと、第一航空の小型ヘリコプターが準備中のようです。
教習ヘリかもしれません。
20160228KawachiS050s.jpg
格納庫内を覗くと、小型ジェット機が牽引準備中です。
飛ぶのかな?

ジェット機が出てきて、燃料車がやってきて燃料補給し始めた。
ヘリの方には、おじさんが乗り込み、チェックボードを持った職員さんが外から見ている。
別の職員さんがやってきて、横の席に乗り込む。
やはり教習中のようです。

エンジン始動し、1mほど上がり、滑走路をその高度を保ちながら進みます。
やがてエンジン音が上がり、飛び去って行きました。
ジェット機の方にも、人が乗り込み発進準備を始めたようです。
僕が見始めた時は1人だったけど、小さなお子さん連れの家族がやってきて、その後航空ファンと思える一眼レフを持ったおじさん達が増え、総勢10人ほどになりました。

r2に出て南下。
10:25、津堂城山古墳。
『古市古墳群の最北部に位置する前方後円墳。竪穴式石棺が発見され、鏡や銅鏃などの副葬品も出土した。副葬品の種類
や円筒埴輪の特徴から、古市古墳群最古の4世紀後半に造営されたことがわかる。
二重の濠を持ち、外提に葺石が施してある。全長400mを越える大古墳で、コハクチョウの実物大3体の水鳥埴輪があたかも壕内を遊泳しているような姿で据えられている。古市古墳群内に築かれた初代の大王陵とかんがえられる』

20160228KawachiS072s.jpg
冬だからか、濠に水がありません。
20160228KawachiS063s.jpg
花壇みたいになってる所もあるので、年中水のない部分もありそうです。
でも立派な古墳です。

古墳内に「津堂八幡神社」があるので訪問します。
『1575年、織田信長の河内攻めの時、古墳上にあった城と共に他の場所にあった神社も落ちた。1720年、古墳上に再建された』
と書かれていました。
足利義昭を奉じて畿内・都に上った織田信長軍と、畿内を押さえていた三好軍との攻防戦ですね。

南河内歴史ツーリング 2/6
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