1/10・和歌浦天満宮

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500円で本殿見学できるようなので、左甚五郎の彫刻を観に行く。
落語「ねずみ」で有名な左甚五郎。
日光東照宮のように「眠り猫」が掘られているのかな?
巫女さんに案内されて2組・5人で説明を受けながら一周する。

撮影禁止なのが残念だけど、一刀彫の彫刻が多数使われていた。
15年毎に修復しているそうです。
狩野派の絵は、漆喰に直接描かれているので、ところどころ落ちている。
でも見事な保存具合です。
なお左甚五郎は、300年間に渡る作品が遺っているので、個人名ではなく、左甚五郎を襲名した一門名や工房名ではないかと、言われています。
素晴らしかった。

帰ろうと朱門を出ると、眼下に海に向かう景色が広がっていました。
ゆるい坂を下ります。
弁天宮がありましたが、乾燥した冬だからか堀の水が干上がって、弁天宮の建つ弁天島がイマイチな風景になっていました。
やはり弁天様は、水がなけりゃ。

駐車場に戻り、係の方に「天満宮」の場所と駐車場の有無を聞きます。
すぐ近くのようなので歩くことにする。

14:18、「和歌浦天満宮」。
鳥居の向こうに、石段がドーン。

『醍醐天皇延喜元年・901年、菅原道真公は筑前太宰府に左遷される。赴任の時、海上風波を避けこの和歌浦の地に立ち寄り、地元漁民たちがこれを迎え、体を休めました。
964年に参議・橘直幹が太宰府より帰京の途中、道真公の神霊を勧請した。当社は、古来より太宰府天満宮・北野天満宮とともに、日本三菅廟と言われている。
1619年、浅野家に代わり徳川頼宣公が紀伊に任じ、東照宮の創建地を当社の境内の一部に求めたのも、当社を地主神と定めて篤く崇拝したことによる』

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東照宮より更に急斜面な石段を、手すりを持ちながら登ると、瀟洒な檜皮葺の社殿が目に飛び込みました。
拝殿ではお祓い中で、神主さんの祝詞が聞こえる。
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絵馬・500円が綺麗だったので、また買ってしまった。

長男はおみくじ好きだけど、僕は絵馬好きです。
自宅に願い事を書いていない絵馬が、10ぐらいあると思う。
願い事ができる度、屋敷内祠に下げている。

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『和歌の浦は、聖武天皇・称徳天皇・桓武天皇を始め、藤原頼道・忠実・頼長などの多くの貴族、松尾芭蕉や夏目漱石などの文人に愛された古からの風光明媚な地です。かつては、「天橋立」「松島」と比肩するほど親しまれてきました。聖武天皇が、この地を陽が射した景観の美しさから、「弱浜」(わかのはま)を「明光浦」(あかのうら)と命名されました。景観の美しさに心奪われた賢者が和歌を詠み、和歌の聖地となりました。
1585年、紀州を平定した豊臣秀吉は、岡山の地に城を築くことになり、「岡山」に「和歌浦」を合成して、「和歌山城」とした。和歌山という地名は、この時始まった。関ヶ原合戦後藩主となった浅野幸長は、近代城下町を引き継ぐ一方、和歌浦に壮麗な天満宮を再建し、和歌浦が近世の城下町の鎮守地になっていた』

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ゆるい坂の方を下ると、14:35「祝祭日に国旗を挙げよう」のステッカーをリアボックスに貼ったスーパーカブがあった。
暴力団やそれから派生した右翼団体が、過激な街宣活動をして日本を貶めて、一般の日本人が自宅に国旗を掲げることをためらう風潮が出ている。
暴力団系の過激な右翼構成員は、暴力闘争する過激な左翼同様、在日朝鮮人の割合がとても高い。

国民が国旗に敬意を払うのは、世界中の国で当たり前。
戦後生まれの僕が子供の頃も、当たり前のように隣近所の家の門に日の丸が掲げられた。
我が家の近所でも国旗掲揚が絶滅し、ナショナルチームの子どもたちをヨットの国際レースに引率した経験から、遅ればせながら我が家は復活させたけど、一軒でも多く国旗を掲げる家が増えることを願っている。
連休を作るために、その日に意味がある祝日の日にちをコロコロ変えるのを、元に戻して欲しい。
何故その日が日本で大事にされて祝日に指定されているのか、わからなくなっちゃう。

和歌の浦天満宮 4/6
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