12/13・島原

バイクに乗り、R9を越え、そのまま旧山陰道・r142を進みます。
阪急桂駅南を渡り、「桂離宮」の南側へ。
こちらは裏側のようなので北側に回ります。
10:08、駐車場前。

拝観するには事前申し込みが必要です。
表門も拝観者門も閉まっていました。
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お庭外の紅葉しているカエデや、外堀の造作を激写しました。

離宮を一周回ろうとしたら、10:16「御霊神社」
『1117年、下桂御霊神社の祭神として勧請する。祭神:橘逸勢(はやなり)公。平安期の元勲で、優れた能書家で、嵯峨天皇・僧空海とともに三筆と称される。皇室の尊崇篤く、桂宮家より多くのご寄進を賜っている』

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能舞台があった。
現役のようで、いつでも上演できそう。
「WANTED 2005年の例大祭に展示。
行方不明のこの鎧の情報を求む!」と、写真入りで貼りだされていた。
一度盗品にしてしまうと、公の美術品が古物商や一部のマニアを喜ばすだけになってしまう・・・実に残念。
境内の片隅でご祈祷中であった。
横に車があったので、その車の安全祈願かもしれない。

r142はそのまま八条通になり、西大路を北上し、七条通でJE山陰線・嵯峨野線高架下を抜けた。
すぐ北に「JR丹波口」駅があり、ここら一体が花街「島原」です。
何かめぼしい建物など無いかと細道に入るが、結局丹波口駅の北まで来てします。

GPS地図に表示された「壬生寺」を目指していると、10:45、偶然「新選組・壬生屯所跡」に到着。
20151213KyotoS101s.jpg
新選組の「誠」ギザギザ模様が目を引きます。
シンプルなのに後世に残るデザインは素晴らしい。

新選組屯所は、少し東の西山本願寺の隅でも目にしています。
謂れを読むと、襲撃を恐れ、数ヶ所移ったとかかれていました。
ここは、壬生村郷士・前川荘司旧邸で、一番長く使ったそうです。
旧邸内部は、お住まいされているそうで非公開です。
新選組グッズが販売されていました。
朱印帳入れが欲しいなと思ったけど、我が家と関わりのある武田菱・梅八・五七桐紋のいずれもありませんでした。

町家内の細道を七条の方に南下していると、偶然「島原西門跡」を見つけました。
横には、「島原住吉神社」がありました・・・巴紋。
その細道を南下すると、「東鴻臚館跡」。
横の建物には、「重要文化財・角屋、江戸時代1641年建立」と書かれていました。
バイクを置いて散策開始。
内部は「角屋おもてなしの文化美術館」のようです。

『角屋は、江戸時代に繁栄した旧花街・島原を代表する揚屋(現在の料亭)で、明治時代にお茶屋業に編入された後も、昭和60年(1985年)まで営業が続けられた。
島原は、わが国初の官許の花街で、当初は二条柳馬場に開かれ、その後六条三筋町に移転し、更に寛永18年(1641年)にこの地に移された。正式な地名は西新屋敷というが、急な移転騒動が、当時九州に起こった島原の乱に似ていたことから、「島原」と呼ばれるようになった。
島原には、揚屋と置屋があり、揚屋は太夫・芸妓など一切抱えず、置屋から呼んで宴会を催す場であった。角屋の建物は、揚屋建築唯一の遺構として昭和27年(1952年)に重要文化財に指定される。
また円山応挙・与謝蕪村など、一流画人の作品を多く蔵している。江戸中期に俳壇が形成されると文化サロンとしての役割を担い、幕末には西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤皇の志士たちが、軍用金調達のために豪商を招いて会議を行い、彼らを探し求めた新選組が乱舞した場所でもある』

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「長州藩志士・久坂玄瑞の密議の角屋」の石碑が立っていた。
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「新選組刀傷の角屋」の石碑も立っている。
土方歳三の刀傷が柱に残っているかも・・・

11:01、歴史探索を終了し、講習会場に向かうことにした。堀川通に出て南下、JR東海道線をくぐり、九条通を東進し、11:30に「京都テルサ」着。

首塚大明神・大枝・島原 4/4
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