老ノ坂峠

20151210AsaO004s.jpg
庭の山茶花が今を盛りに咲いています。
地面には、赤い花弁がパラパラと散っており、なかなか風情があります。

20151210AsaO003s.jpg
柚子も未熟な実がなくなり、ほぼ全部の実が黄色く色づいています。
お隣さんを見つけては、「食べて」とおすそ分けしています。
とても2人じゃ利用しきれず、いつも春前の完熟を迎えると野鳥の餌になっちゃいます。
1週間後の次男の結婚式に収穫した柚子を持って行き、適当に配ろうと思っています。

そして水仙がいよいよ咲き出しました。
今は亡き母が好きだった花で、「淡路島の水仙峡に連れてけ」とリクエストされたのに、ちょうど次のお休みに用事があったのでパスしたら、突然亡くなっちゃいました。
水仙が咲くと、今でも悔いているこのことを思い出します。

夏頃から発症した五十肩が、ようやく楽になってきました。
一時上着を脱ぐのも難儀していましたが、苦痛を感じなくなってきました。
ツーリング直後に仕事に行く早朝ツーリングは、何かの拍子で捻ってしまい仕事に差し支えるといけないと思い自重していました。
そろそろ再開しようと思ったら、秋の気持ちの良いシーズンが過ぎ、寒くなっちゃいました。

休日にはツーリングに出ていたので、明日も乗ろうと思います。
昼から京都でスポーツコーチ資格更新講座なので、バイクで行こう。
西国道回りでは交通量が多いので、亀岡から山陰道で京都に入ろうと思います。
老ノ坂・沓掛の大枝・丹波口コースで、京に攻め上がる予定です。
僕のことだから、寺社に寄り道しながらになりそうなので、どうせ時間がなくなるから早朝出発しなくちゃ。

「老ノ坂峠」越え・・・
1582年、明智光秀が本拠丹波亀岡(当時は亀山)から、備中高松城をめぐって秀吉vs毛利の攻防戦に応援に向かうこの坂に着きました。
ここで「敵は本能寺にあり!」を全軍に下し、織田信長を自刃に追い込みました。
信長が囲む敵を光秀と知り、囲みの突破を諦め「是非もない」と覚悟を決めました。
名場面です。
これで、戦国時代を席巻した信長時代が終わり、戦国時代も終わりました。

少し時代を遡ると、足利尊氏が丹波亀山の篠村八幡宮に源氏の旗印・白旗を掲げ、集結した軍勢とともに老ノ坂を越えて京市街地に侵入し、鎌倉幕府・六波羅探題を攻め滅ぼした歴史の地でもあります。
これにより鎌倉時代が終わりました。

更に遡れば、一旦都落ちした平家が、本拠地西国で勢力を盛り返し、神戸福原まで攻め上ってきました。
後白河法皇から宣旨を受けた源氏・源義経が、搦手軍を率い、老ノ坂を越えて丹波路から平家軍の背後を突き大勝しました。
これにより平安時代・平家時代が終わりました。

もう一つ遡れば、平安時代の大江山の鬼退治伝説に辿り着きます。
武士源氏の祖・清和源氏の源頼光が四天王(渡辺綱・坂田金時(金太郎さん)・・)を率いて、時折京を荒らす鬼・酒呑童子征伐に向かいます。
京都府北部・丹後の大江山説や、ここ老ノ坂峠説もある酒呑童子の本拠地で、首尾よく酒呑童子の首を上げました。
その首を葬った塚が、老ノ坂峠にあります。
軍事貴族として天皇や法王にかしずき、実力と経済力をつけていった武士台頭の金字塔です。
以前から訪問したかった「酒呑童子の首塚」を訪問してみましょう。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

main_line
main_line
プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR