100年後の琵琶湖・南湖

高校生の時に、学校のヨット部に入部してから、ずっとホームポートは西宮です。
高校大学時代に練習した海面は、その後埋め立てられ人工島が出現し、新しいヨットハーバーが出来、母校ヨット部ともども僕のホームポートもそちらに移った。
一時は、写真の現像液と表現していた海面が、今水質が改善され、冬期はハーバー内で2メートルぐらいなら海底が肉眼で見える。

日本の河川や海岸は、総じて汚染が劇的に改善してきていると思うけど、1ヶ所ずっと悪化してるように見えるところがあります。
それは、琵琶湖の南湖。
学生時代から何度もレースで遠征し、卒業後も息子のレースや練習で何度行ったかわかりません。
ここ十数年は、同じ大学ヨット部のコーチをしているので、その艇庫・合宿所から定点観測している。

大学生の頃は、琵琶湖のレースでも藻をケアする必要はあまりなかった。
息子がジュニアの頃から、海面下のマテリアル(舵など)に藻が引っかかりスピードダウンするので、定期的に手を突っ込んでケアする必要が出てきた。
そしてここ5年ほどの真夏のレースでは、湖底から湖面にまで届く藻が島になり、それを避けるレースを余儀なくされている。

元艇庫の合宿所横に、比叡山からの小川が流れ、合宿所前で琵琶湖に注ぎ込んでいる。
僕の学生時代は、艇庫前から出艇出来ていたけど、息子が学生の時は、小川の堆積砂で河口が沖に移動し、そこまで船を移動させないと湖面に出れなくなった。
そして今、更に河口が沖に移動し、50mほど移動しないといけなくなった。
それで、艇庫をヨットハーバーに借り、元艇庫は合宿所のみの機能になった。

昨夜の、NHK「歴史ヒストリア」は、信長の城だった。
「安土城は安土山にあり、回りは水田が広がっているが、信長が健在だった時代は、琵琶湖に突き出る半島だった」
と説明されているのを聞き、「そうなんだよね、城域から直接琵琶湖に水軍を出すことができたんだよね」と反芻しました。

滋賀県の地図を見ると、現在の南湖は、湖と名が付いているけど、大きな北湖と大阪に流れ下る瀬田川をつなく、広めの水路のように見える。
昔の琵琶湖は、堅田で東西の岸が迫り、北と南に分断されたひょうたん型の湖だったと思うが、今は南湖が堅田の狭さとあまり変わらなくなり、鍵型になってしまっている。

このままでは、100年後の南湖は細長い大湿地帯になっているだろう。
ヨットレースなんて、とてもじゃないけど出来なくなっているだろう。
ひょっとしたら、八郎潟のような大穀倉地帯が広がっているのかも・・・
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

main_line
main_line
プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR