6/21・能登ドライブ その3

11:56、「南惣美術館」
バスが1台停まっており、蔵美術館に入ろうとしたら、昔のお姉さんたちがわいわいがやがや出てきました。
入館料400円なんだけど、受付のお姉さんがいないので、後で払おうと1000円札を持って入りました。

撮影禁止なので写真はありませんが、鎧兜・屏風・着物・漆器など代々伝わるお宝、当主が買い集めたと思われる織部などの茶器他、お宝満載でした。
お茶の免許持ちの家内が、茶器関係に歓声をあげていました。
いろいろ語ってくれたけど、ほとんど右耳から左耳に抜けて行きました。

『南惣は、かつての奥能登大野村の天領庄屋・南家の屋号である。代々当主が惣右衛門を名乗り、南惣と呼ばれていた。左大臣・平時忠が流されて来る以前から繁栄していた豪族で、鎌倉期以前より25代今日まで続く家柄である。
南惣は、付近一帯の大地主で、能登ヒバを産する広大な山林も所有する。徳川の天領として栄えたこの土地は、地の利を得て南惣に大きな富をもたらした。米・木材・木炭・製塩・製茶・養蚕が盛んで、曽々木・名舟・輪島の港から北前船に積んで手広く商い、事業は発展した。現在の総合商社的な経営をしてきた南惣は、家札(通貨)を発行していた。使用人に賃金として支払い、随時換金にも応じたので、社会的信用が大きかったことが伺える。
当主は美術・茶道を愛好したことから、日本・中国・朝鮮の絵画・書・漆芸・金工など多数の美術工芸品を、長年にわたって収集してきた。その中には、宮中に新穀を献上し拝領したものや、東本願寺に大量のヒバを献納したことで受領したものも含まれる。美術品は散逸することなく、今日まで大切に保管され、昭和46年に米蔵を改装して「能登集古館・南惣」を開館し、平成12年に「南惣美術館」と改名し現在に至る』

1・2Fの展示を見て回り、入口に降りてくると「不在で失礼いたしました」と受付に女性が座っておられました。
拝観料を払い、「どうぞお茶でも」と促されたので、隣の母屋の土間に腰掛け、お茶と茶菓子を頂きました。
団体さんにお茶出ししていたので、受付がお留守になっていたのですね。
お話していて、この方はご当主の奥さんのように思いました。

「どちらから?」
「兵庫県からです。先月バイクでお邪魔しましたが、開館時間前だったので再訪問しました」
「それは失礼しました。呼び出してくれたら、開けましたのに」
「でも朝6時ですよ」
「ええ、大丈夫ですよ」

囲炉裏に火が入っており、そちらは写真OKなので激写し、お庭も案内していただき、気持ちの良い訪問になりました。
家紋は、「丸に蔦紋」でした。

12:27、「本家・上時国家」
「平家にあらずんば人にあらず」と豪語し、平家全盛の平安時代末期に平清盛を補佐したNo2・平時忠の配流先です。
その外観は、配流先・帰納した庄屋屋敷いとどまらず、まさに豪族の館です。
背後に詰めの山城がありそうな逃げ場を持ち、館前は切岸され立派な水濠も配されている縄張りは、魅力的です。
前回は開館時間前だったので内部を伺えませんでしたので、勇んで拝観料1人500円を支払います。

『上時国家の由緒 今から800年の昔、平清盛の義弟・平大納言時忠は、平関白とも言われ、平家一族の実質上の頭領であった。源平合戦で平家が滅亡した際、神器の帰座の功により特別な計らいで能登に配流になり、配所で没した。
その子・時国は、近隣の村々300石を統治し、江戸時代には天領の大庄屋を務め、苗字帯刀が許された。この頃の21代当主が現代に残るこの豪壮巨大な屋敷を築き、25代当主が現在もこの屋敷と伝統を守っている』

玄関正面に屏風が置かれ、その脇で拝観料を払い、南惣家同様奥様が時々声を掛け説明してくれます。
20150621NotoS208s.jpg
各部屋にはいると案内放送が流れ、襖の「丸に揚羽蝶紋」・欄間の彫刻・お庭の池の形状・・・、興味深く拝見させていただきました。

『始祖・平時忠卿が能登に配流されたが、鎌倉幕府の詮議は厳しく、その子・時国は牛尾の山中に隠れ、源次滅亡の後町野川のほとりに住居を移し、土地を買い受け晴れて農耕に従事した。初代時国・2代時晴の時代に時国村と改め、21代時国左門は山麓を拓き、天保2年4月ここに家宅を移したと記録されている』

20150621NotoS243s.jpg
20150621NotoS232s.jpg
鎧兜・調度品・刀箪笥・あぶみ・見事なお着物を拝見し、囲炉裏のある部屋には見事な神棚が壁に下がっています。
家内は座敷に座り、雰囲気を楽しんでいます。
20150621NotoS247s.jpg
土間には籠が4つも下がり、槍などが欄間に置かれています。陣羽織に陣太鼓も飾られています。

『平大納言時忠は、従一位左大臣の長男として生まれ、彼の姉が平清盛の妻となっていたことにより実力を得、その全盛期には「平氏に非ずんば人に非ず」とまで言った。しかし平氏の滅亡により流罪の身となり、能登珠洲の浦に上陸し、25丁離れた南の山に殿を建て居を構えた。
時忠には6人の男子があり、年上の4人(京で生まれた)は流刑になったが、能登に来てから時国と時康が生まれ、時国亡きあとは時国が世を継いだ。その頃には刺客が鎌倉より入り込み、身が危険にさらされるようになったため、平の姓を時国と改め、牛尾という山中に逃避した。しかし源氏も滅びると、年々土地を増やし2つの村の支配者になり、時国の子・時晴の時には合計300石となり、時国村と改めた。12代・藤左衛門時保の時に、次男・千松に所領の1/3を与え隠居所を作り、下時国の起こりとした。
古老の話では、土地の山も田もほとんど時国家のものであり、先々代まで外出には駕籠を用い、めったに当主の顔を見ることが出来なかったと言われている』

時忠の姉の清盛の妻・時子(二位の局)は、壇ノ浦で幼い孫の安徳天皇を抱えて入水した人です。
妹の建春門院平滋子は、後白河法皇の妃で高倉天皇の生母です。
この高倉天皇が平清盛の娘・建礼門院徳子を娶り、その子・安徳天皇が即位したので、時忠の権勢は素晴らしいものだったでしょう。
おまけに源平合戦終盤は、源氏に政権を譲って平家を滅亡から救おうと、源氏軍の大将軍・源義経と連絡を取り合っていたので政治家としての辣腕も光る。娘を義経の室に入れており、義経が京を追われて北陸路を逃亡中も、能登で一時の平安を夫婦で楽しんだものと想像される。

現在の当主までの家系図が掲示されており、大満足の訪問になりました。
同時に拝観していたご夫婦は、下時国家拝観後来られたようなので、ちょっとお話しました。
向こうは大農家という感じで、こちらは武家の趣を感じると言っておられました。
車で下時国家に移動しましたが、家内に外観を見せただけで次に向かいました。
大農家・庄屋だったら、祖父の家と同じだから目新しいものはないかな?と思って。

今回のメインディッシュは3つです。
1つは家内にまれのロケ地・大沢漁港を見せること。
2つ目は僕の歴史興味・時国家を見ること。
そして最後の地に向かいます。

13:03、「曽々木」
「海鮮丼」の幟がはためく「今新」というお店があったので、海鮮丼定食・1620円を食しました。
海から吹き込む風が涼しく、沖にはウミネコが多数集まり、海面めがけて急降下飛び込みをしています。
アジの群れでもいるのでしょう。
興奮気味です。

車をそのままお店の駐車場に置き、歩いて「八世乃洞門トンネル」に向かいます。
「トンネルハート パワースポット」の手掘り「せっぷんトンネル」をくぐります。
家内がこのトンネルの由来を読むのを待ち、昭和32年の映画ロケポイントと教えます。
「恋人の聖地 桂由美」の掲示板に、「ここも桂由美ね」とのこと。
本日3つ目の桂由美ラブスポットです。
石川県は桂由美とタイアップして、ラブスポット指定しているのかな?

ハート電飾トンネルを2人で渡りました。
ハートの真ん中に家内を立たせ激写。
20150621NotoS294s.jpg
「ハートうつし台」にカメラを置き、タイマーでハート内の僕らを写します。
これで3つ目の目的も達成しました。

12時にここに来れれば七尾城に回ろうと思ったけど、2時間遅れの14時なので帰路に着きます。
R249を戻り、南惣美術館横を走り、r278~r277~r26で、14:44・「能登空港」。
ANAが羽田との間に1日2往復だけの空港でした。
「まれ」一色の空港展示でした。
これで観光客が東京から来るのでしょうね。
展望デッキに上がると、広い滑走路が見え、小型プロペラ旅客機が2機佇んでいました。
横に「日本航空学園」があったので、パイロット・航空整備士・フライトアテンダントの養成のための機体でしょう。
お嫁さんも、大学生時代に専門学校にも通ってたと言ってたような・・・

珠洲道路~のと里山海道で、15:36「西山PA」でアイス補給休憩。
「白尾JCT」からR159・R8で「金沢東IC」より北陸道に乗り、17:05「安宅PA」。
18:44、「南条SA」で給油&休憩。敦賀から舞鶴道に乗り換え、19:48「三方五湖PA」内ファミリーマートで、「飲むヨーグルトブルーベリー・118円」を補給。
日が落ちており、三方五湖を眼下に眺めることは出来ませんでした。

20:48、「舞鶴PA」で休憩し、家内はいつもの寝る時間21時になったので、後ろに行って布団の中へ。
21:28「六人部PA」で、長椅子に横たわりしばらく目をつぶる。
22:01、「西紀SA」着。

ここまで来ると、我が庭に帰ってきた感があります。
「チョコマーブルコーン・135円」で糖分補給。
もう宝塚トンネル渋滞は解消されているので、中国道に入り、宝塚IC下車し、23:03に帰宅しました。
スピードが落ちたので起きたのか、自宅前の道に入った時に起きてきました。

土曜日の睡眠時間3.5時間の強行軍、約1000kmの旅でした。

能登ドライブ 6/8
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

main_line
main_line
プロフィール

のりまきターボ

Author:のりまきターボ
http://plaza.rakuten.co.jp
/norimakiturbo/
から引っ越してきました。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR