5/11・能登ツーリング2日目 その7

r35~R249で能登半島東海岸を南下します。
9:44、何気なく海側を見ると、海の上に白いものが・・・「あれ~立山連峰?」
20150511NotoS577s.jpg
緊急停止して、激写タイム。
400ミリ望遠レンズに交換して写します。
禄剛崎灯台から見えなかったので、見れたらいいなと思いながら海岸線を走っていました。

r35にチェンジし海岸線を楽しみ、9:56「エネオス石岡石油店・オートオアシス九十九湾SS」で給油。
287km/11.81L=24.3km/L。
再びR249に合流し、10:57「中居湾ふれあいパーク」
20150511NotoS583s.jpg
「ボラ待ちやぐら」がありました。

『ボラ待ち網漁は、江戸時代から伝わる原始的な漁法で、7・8mの丸太櫓を組み、その上から海底に張った袋網を見張る。ボラの群れが網に入ると網口の綱を手繰り上げて獲るというのんびりした手法です。ボラは音に敏感で、静かに待たなければならず、光の反射する海面を通して魚影を見つけなければなりません。』

高校ヨット部時代から、ボラが船に飛び入ってきて難儀しました。
見た目があまり美しくないし、臭いがきついです。
慌てて放り出したことは数知れずです。
太刀魚が飛び込んでくると、そのまま持ち帰り、合宿の飯になりました。

11:20、「能登鹿島駅」・・・無人駅です。
20150511NotoS590s.jpg
国道に看板が出ていたので、つい寄り道してしまいました。
『能登さくら駅 この桜並木は、旧国鉄七尾線が開通した昭和7年、地元民が開通を祝い植樹したもので、現在ではゆるくカーブしたホームに沿って、さくらの大樹が両側から枝を伸ばし、薄桃色の花が咲くと、列車が桜のトンネルを抜けていくように見えます。のと鉄道のパノラマカーも花見シーズンともなると満員の盛況で、車窓から見る桜並木は、眼下に波静かな穴水湾を望み、白雪をいただく立山連峰の勇姿を背景に、一福の名画の趣です。昭和63年4月、風見鶏が潮風に揺れるこの大正ロマン風のかわいい駅舎が完成したのを機に、「能登さくら駅」との愛称が付けられました』

20150511NotoS596s.jpg
駅部分だけ複線化されているので、ここで離合するようです。
ホーム脇には、手入れされた花壇があり、これも地元民のお世話かな?と思い、とても良い気持ちになりました。

R249~r256で橋を渡って能登島入りしr257で島の東海岸を南下、r47で再び半島側に橋を渡ります。
11:55「ローソン・七尾光陽台店」でアップルデニッシュ129円を購入。
七尾城攻め中に昼食として食べようと思います。

R249~R159~r177で、12:29・「七尾城址」まで上がりました。
20150511NotoS603s.jpg
駐車場は標高280m・本丸のある山頂は300mですが、七尾湾・和倉温泉の麓が眼下に見える眺望です。
比高はそのまま280mほどでしょうから、山城にしてはかなりの比高です。
室町・戦国時代の難攻不落の山城として有名です。

『戦国の名城・七尾城 室町幕府三管領の1つ、畠山氏から分かれた能登畠山氏の居城である。石堂山山系の北端に位置し、標高300mの尾根に長屋敷(長殿丸)・本丸・西の丸・二の丸・三の丸などの曲輪を配置、この尾根から枝分かれする幾重もの尾根にも大小無数の砦を配置している。それ故に、七尾という地名は、7つの尾根に由来するという。築城年代は明らかではないが、戦国期に入ってから逐次拡張・増強されたとみられる。1500年代前半は最も政治的に安定し、文化が栄えた。1526年当代一流の歌人冷泉為広・為和父子が七尾城に来訪し、1544年の記録では、城下山麓に城下町「千門万戸」が一里余りも連なったと見える。
1577年、越後の上杉謙信の攻略にあって落城、能登畠山氏は滅亡した。本丸から三の丸にかけての一帯は、石垣・土塁・空堀、それらを備えた曲輪の保存状態が良いというので、昭和9年国の指定史跡となった。』

能登ツーリング2日目 7/11
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