5/11・能登ツーリング2日目 その6

『弘法大師・空海が、唐の国に渡り、恵果阿闍梨(けいかあじゃり)のもとで修行され、三国伝来の伝承者と認められ、金胎両部(こんたいりょうぶ)の灌頂(かんじょう)を受け、密教伝来の三杵(さんしょ)を授けられた。唐の僧たちは、その三杵を奪い返さんと日本に帰ろうとする空海を海岸まで追いつめてきた。
その時空海は、東方を望まれ「密教有縁のところに行きて我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた。帰国された空海は、三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時、波の音とともに法華経を唱える声が聞こえてきたので、島を頼りに着岸された。そこで村人の案内により、山の桜の樹に探し求めていた三杵の1つ・五鈷杵が光り輝き、白夜法華経を唱えていた。空海は深くお喜びになり、ここに一宇を創建され、吼木山(ほえぎさん)法住寺と名付けられた。そして三鈷杵は、高野山の松の樹に、独鈷杵(どっこしょ)は佐渡の小比叡山の柳の樹に掛かっていた。それより島を「見附島」と呼び縁結びの神を祭り、海難の守り神と共に小社を安置し、4/18を祭日とし船を繰り出して島上に登り、祝詞を奉じてきた。
しかし今は、歳月による風化に加え、能登半島沖地震や台風の被害により、島に往時を偲ぶ勇姿はなく、島上の社も崩壊したまま今日に至っています』

弘法大師の有名な三杵の話ですね。
ここには独鈷杵が佐渡で発見されたとありますが、早朝バイクで2度ほど訪問した丹波亀岡の「獨鈷抛山・千手寺」でも、「弘法大師がここで見つけた」との謂れを読みました。
いずれにしても、日本神道と仏教の習合の姿が、ここにもありました。

一方がキリスト教では、こういうことにはならないでしょう。
我が神のみが真実・唯一と頑なな一神教・宗教と、八百万の神道との大きな違いです。
高野山では、仏塔・僧坊を建てながら、高野山を守護する神社も建て、今でもその神社の世話を、真言宗のお坊さんたちがやっている。
対してキリスト教信者が多かった北摂高山では、キリシタン大名・高山右近の手で、多くの寺社が破壊された。
肥前長崎周辺では、ほとんどの寺社が破壊されたという。

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「恋みくじ」「えんむすび絵馬」が、無人販売されていました。
そして周辺の松に絵馬が下がっていました。
こういう「恋人の聖地」にやって来て、絵馬をぶら下げて行くカップルは、幸せな家庭を築いていくでしょう。
僕の学生時代はこういうスポットはなかったけど、すごくいいと思います。
「恋路海岸」の北に位置します。

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9:24、「恋路海岸通」を経て、「恋路駅」到着。
廃線になった「のと鉄道・能登線」の駅です。
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「奥のとトロッコ鉄道・のトロ乗車口」という真新しい看板がかかっていました。
予約申し込み電話番号も書かれていたので、予約が必要のようです。
係の方が常駐していないのですね。
土日・祝日は常駐しているのかな?
残念・・・

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海側は恋路海岸として整備され、お約束のハート・鐘などが設置されています。
『約700年の昔、木郎の里の助三郎と、多田の里の鍋乃は、人目を忍んでこの浜で逢瀬を重ねていた。暗い夜、鍋乃のともす灯は助三郎の唯一の目標であり、愛する2人を結ぶ希望の灯でもあった。鍋乃に想いを寄せるもう一人の男・源次は、2人の仲を妬み、灯を崖の外れに移してだまし、助三郎は深い海から帰らぬ人となり、鍋乃も銀次の求愛をしりぞけ、海に身を投げ助三郎の後を追った。この悲しい恋の物語を秘めた浜は、いつの頃からか「恋路」と呼ばれるようになったと伝えられる。』

僕は子供の頃、母親にたくさん本を読んでもらいました。
世界の名作や日本の昔話が多く、それ以来昔話好きです。
次男も僕が読んであげた絵本の影響か好きになり、「日本昔ばなし」というTV番組をいつも楽しみにしていました。
隣の僕の実家に住む母がいつも録画し、次男はそればっかり見ていました。
名作や昔話には、物語の中に道徳や幸せな生き方のエッセンスが散りばめられており、こういう話は今でも大好きです。

能登ツーリング2日目 5/11
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