5/11・能登ツーリング2日目 その2

千枚田からこの塩田までの間に、「名舟町・名舟海岸」がありました。
上杉謙信は、能登に侵入し、要の七尾城を落とし、七尾湾を北に渡って、能登半島先端南部に上陸したようです。
ここ名舟村を次のターゲットにして、その隣が当時ももっと人口の多かったであろう輪島です。

朝イチに訪問した「奥津姫神社・里宮」は、輪島市海士町にあった宮を移動させたと書いてあった。
気になって「海士町」の場所を調べたら、現里宮のすぐ隣で輪島漁港のある場所でした。
そして沖合50kmにある「舳先島」も輪島市海士町でした。
「海士」はその名が示す通り、海で生きる民、漁師を指す言葉です。

脳内想像の翼が広がりました。
九州玄海地方から流れて、輪島の沖50kmにある舳先島に住み着き漁労を糧に暮らしていた民が、先祖の氏神「宗像三神・奥津姫
命」を祀った。
半島の輪島との交流も増え、一部が輪島に住み着き、そこに「奥津姫神社・里宮」を造営して信心していた。

そこに越後の雄・上杉謙信の意を得た武将が大軍で攻めてきた。
近隣集落の長が頭を合わせ、対策を練ったであろう。
その時、この地方の外様である奥津姫神社を氏神に仰ぐ海の民の長老から、前述の仮面&海藻髪での夜陰に乗じたゲリラ戦が提案され実行した。
それが大成功に終わり、以来毎年この装束で奥津姫命に感謝するお祭りが続いているのではないか・・・

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「まれ」のロケ地・大川浜を経て、5:35「南惣美術館」着。
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会館前なので内部見学できませんが、旧家が美術館になっているようで、外観やお庭などを無料見学させていただきました。

町野川を渡り、r6に出て、5:44「本家上時国家」到着。
元庄屋だろうと寄り道しましたが、町野川の恵みが広がる田園を正面に、背後の山に取りつく位置に館が建ち、切岸されて元水堀と直感させる造作になっています。
20150511NotoS412s.jpg
石橋が堀を渡って館に入る縄張りです。
父の実家も庄屋で水堀(水路程度)が巡っていましたが、ここの縄張りは、庄屋の域を超えています。

「開館8:30~17:00・料金520円・見学時間20分」、見学したいけど無理です。
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下手な寺社よりよっぽど立派な居宅です。
目の前に広がる田園の広さから想像する経済力を考えると、異様な立派さです。
経済力の根源が気になりました。
近在に鉱山でもあるのか?
松前船の寄港出来るような港はないし・・・、風波を凌ぐ天然の良入江もありません。

r6に出ずに、平行する里道で、もう一つの時国家に向かいました。
20150511NotoS437s.jpg
隣に20mほどの幅がある水濠を有した「高田寺」がありました。
『高野山真言宗のこの寺院は、両時国家の中間に位置し、時国家祖先の守り仏を本尊として、時国家とともに今日に及んでいる。』
なんと、時国家は一門でお寺を持っているんだ。
きっと今もこの寺の普請は、時国家が行っているのだろう。
一般の江戸時代の庄屋とは、経済力が段違いな気がします。
そしてそこまでした崇拝する祖先は、どんな家系なのか・・・

5:57、「時国家」着。
『時国家の初代は、1185年能登に配流された平大納言時忠です。2代目から当地で農耕を営み、時國村を成しました。1634年、13代藤左衛門時保は時国家を2家に分立し、当家は加賀藩領の時国家となり、江戸時代を通して、山廻衆・御塩係相見役・御塩方吟味役などの藩の役職を代々引き継ぐとともに、農業・塩業・廻船業を営みました』

なんと、平清盛の義理の弟・時忠が配流先で興した家でした。
清盛の片腕として、奥さんの実家を挙げて尽力し、平家の隆盛に貢献しました。
清盛が引退して神戸福原に移った後は、清盛の嫡男・重盛を補佐し、実務と行動力に長けた実力平家随一の人物です。
「平家にあらずんば人にあらず」の名台詞を残しました。

能登ツーリング2日目 その2
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