5/10・能登ツーリング1日目 その5

案内地図に載ってる「安宅住吉神社」に寄ります。
摂社に「金毘羅神社」がありました。
両方共、海の守り神ですね。
海岸の河口近くに位置するので、漁労を生業にしている方が多いのでしょう。
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拝殿内奥に神棚が飾られ、拝殿の内壁には、帆船などの絵馬が掛かっていました。

住吉さんは、「住吉三神」を祀っています。
伊邪那岐尊が、火の神を産んで亡くなった妻の伊耶那美命に会いに黄泉の国に行きます。
そこにいたのは、蛆が湧いた伊耶那美命の姿で、怖くなって逃げ帰ります。
穢れを祓うために禊をした時生まれたのが、住吉三神です。

そして、神功皇后が三韓征伐した時に、助けたのが住吉三神です。
当時、九州で熊襲などの反大和朝廷勢力が盛んになりました。
神功皇后の夢の中で、そのバックには朝鮮半島南部の三韓勢力がいるとお告げがあり、征伐を夫である仲哀天皇に進言するも夫は動かず、亡くなってしまう。
そこで皇后自身が、身重なお腹をさらしできつく巻き、軍を引き連れて朝鮮半島に渡る。
住吉三神は、風を起こし、あっという間に軍を朝鮮に運び、さんざん三韓軍を困らせた。

住吉神社に撮影料をチャリンしてお参りすると、元巫女さん?が擦り寄ってきて、「初めてですか?遠くからお参りですか?」と尋ねられた。
「ええ、兵庫県からです」
「2~3分お時間がございますか?よろしければ、お宮の説明を致します」
との事だったので、お願いしました。

社務所のお守り前についていくと、奥からお若い巫女さんが出てこられ、前に座られました。
お宮の謂れのお話は少しで、後は勧進帳のお話です。

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『兄・頼朝から猜疑を受け、義経は京から脱出し、頼朝旗揚げ前まで暮らした奥州・藤原氏のもとに急いだ。その義経一行が逃避行中に通りかかったのが、ここ「安宅の関」です。この関所は、頼朝の命により義経捕縛のために臨時で作られた全国の関所のうちの1つです。それを知らずに義経一行が通りがかったわけです。関所の存在に驚き、近在の子供たちに他の道を聞くが教えてくれず、仕方なくこの関を通ることにしました。
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関守は、この地の豪族・富樫氏で、山伏姿の義経一行・20名ほどを見て怪しんだ。通行の要件を問われ、弁慶が「焼けた東大寺再建のための勧進で全国行脚中」と答えます。「ならば、勧進帳を読み上げよ」と更に問われ、白紙の巻物を取り出し、そこに書いてあるかのごとく諳んじた。
富樫氏は疑いを持ったままだが感心し、通行を許可する。しかし義経が通ろうとした時、呼び止める。ここで弁慶は、「またお前は義経に似ていると言われた、難儀なやつ」と持っていた金剛棒で、義経を叩く。富樫氏は義経一行と確信したが、義経主従の見事な行動に感心し、武士の情けをかけて通行を許す。』

これに加え、関所を通過後、弁慶が義経に叩いたことをわび、義経がそれを許すシーンに続く。
さらに、義経一行を追いかけてきた富樫氏が、「誠に失礼した」と酒宴を設けるのも、歌舞伎「勧進帳」の見どころの1つです。
富樫氏の部下も、それと察しているがそれを制し、義経と知りながら、一行の行末を案じ、一時の平安を提供する富樫氏は、長く人々の心に感動を残している。

この時の東大寺を焼いたのが、清盛最晩年の平家です。
南都の僧兵を蹴散らしに行ったのに、お互い意図せず、東大寺と興福寺を全焼させてしまった。
次に大仏が焼けた松永久秀と三好三人衆との兵火も、お互い意図せずでした。

このお話で、安宅の関は常設の関所ではなく、臨時の関だった知りました。
そのお礼も兼ね、「難関突破」のご利益があるという「弁慶御守」と、弁慶が金剛棒で義経を打つシーンが描かれた絵馬を、幾ばくかの初穂料のお下がりとして賜りました。
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