5/10・能登ツーリング1日目 その4

ここでも平家軍は、寡勢の義仲軍に大敗した。
その戦中に実盛は討ち死にした。
老兵・実盛はここを死に場所とし、戦の前に髪を黒く染め、武将が名乗り合って刃を合わせるのが戦陣の習いなのに、名乗らず討たれた。
首実検のために実盛の首を洗うと染めた黒髪は白く戻り、その首を抱えて義仲は涙に濡れたという。
歌舞伎の名場面です。

歌舞伎が隆盛した江戸時代ならともかく、その故事さえ忘れ去られようとしている現代になっても、綺麗に管理清掃されている実盛塚を見て、地元・篠原町の方々の思いを感じました。
上天気の日曜日なのに、僕以外誰もいません。
公園としての遊具もなく、僕のような歴史好きにしか琴線が触れないのに、素晴らしい。
自治体というものは、客観的な利用状況により、予算配分するものなので、近隣の方の清掃活動を感じます。

r20を少し戻り、r39で「片山津温泉」方面に向かいます。
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9:59、「首洗い池」到着。
『1183年、倶利伽羅峠に敗れた平家軍は、篠原で態勢を立て直そうとした。平家の老武者・斎藤実盛は、白髪を黒く染め敵に立ち向かったが討ち取られ、その首はこの池で洗われたと伝えられている』

英語・韓国語・中国語・日本語で書かれた謂れ板が立っていました。
『・・・この時敗走する平家軍で、ただ一騎踏みとどまり戦ったのが斎藤別当実盛でした。実盛は老武者とあなどられる事を恥とし、白髪を黒く染めて参戦しました。手塚太郎光盛に討ち取られ、劇的な最期を遂げました。樋口次郎兼光が討ち取った首をこの池で洗ってみると、黒髪はたちまち白髪に変わりました。それは紛いもなく、その昔、義仲の命を助けた実盛の首でした。・・・実盛着用の甲冑を、木曽義仲が多太神社に奉納したと伝えられており・・・』
戦闘実績を買われ、自分が与力として付けられたのに、そして木曽軍を圧倒する軍勢を擁しながらの度々の敗戦なので、責任を感じたのでしょう。

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名場面の像も立っていました。
兜を中心に、左に首を抱えて天を仰ぐ武者・奥に兜を見つめる武者・右に少しうなだれる武者・・・。
平家物語では、義経はヒーローだけど、倶利伽羅峠で牛の角に松明を灯し、平家軍真っ只中に突っ込ませ、平家に初めての大敗をさせたのは木曽義仲です。
破竹の勢いで平家を京から追い払い、平家政権を直接倒したのは木曽義仲です。

何故か朝廷の実力者・後白河法皇に疎んぜられ、遅れてやってきたヒーロー・義経軍の前に、脆くも義仲軍は将兵の脱走離脱が続き、潰走してしまいます。
そして副将・今井兼平(中原兼遠の長男)・樋口兼光(同次男)とともに討たれます。
典型的日本人の僕は、悲劇のヒーロー義仲に惹かれます。
そして、巴御前筆頭に、女武者軍団もいたほど女性を惹きつける美男子・男っぷりの良さにも惹かれます。

r39~r20で、10:12・出光宇佐美片山津IC店で給油、240km/9.78L=24.5km/L。
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10:23、「安宅の関」到着。
ここも平家物語の舞台の一つです。
武蔵坊弁慶が主役の歌舞伎の18番・「勧進帳」であまりに有名。

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案内図を見ると、歴史公園になっているようです。
すぐそこは日本海で、その砂浜の防風松林内にあります。
平家物語を読みながら地図を見て、「街道筋だったのだろうけど、山が迫っているわけでもない幅広い平地なのに、なぜこの関所を通ったのか?」の疑問をずっと持っていました。
逃避行なら、遠回りしても関所を過わすのが普通です。
現地の地形を見て、更に疑問が深まりました。

能登ツーリング1日目 3/10

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我家の庭の紫陽花が、素敵なブルーが鮮やかです。
終わりかけのくたびれたピンクより、僕は断然ブルーが好きです。
後数日楽しめるかな?・・・と思っていたら、九州が梅雨入りだって・・・
蒸し暑い季節の到来のようです。
5月のかたつむりは好きなんだけど、甲羅のないナメクジがな~
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