5/10・能登ツーリング1日目 その3

家内と自転車で走った時、「ぷらっとパーク」のゲートから、自転車を持って「杉津PA」に入り昼食を取りました。
その時と同じ「醤油ラーメン・550円」を、朝食にしました。
お天気は晴天で、海が輝いています。
ここ「杉津PA・下り線」は、「夕日のアトリエ」という展望台があります。
海に落ちる夕日が綺麗なスポットで、「恋人の聖地」化が進んでいます。連続するトンネル目当てに、自転車で走った旧北陸本線ですが、トンネルを抜けたところから見える海の景色は素敵でした。
家内も「素敵なところね」と、うっとり見ていました。
夕日で紅く染まった最愛の人の横顔を見ると、男ならダウンだよね。

北陸道は内陸に入り、再び日本海側に出て「尼御前SA」で休憩しました。
ここは、子供たちがチビの時のお正月の定番・北陸「白峰スキー場」に行くときの定宿です。
大晦日の日に、仕事を終えてワゴンに布団を積んで出発し、ここで車中泊します。
夜明け頃目覚め、元旦の朝イチにスキー場入りして滑り始めていました。
楽しかった思い出が蘇ります。

「片山津IC」下車。
ここから下道です。
20150510NotoS031s.jpg
r20で北陸道に沿って少し戻り、9:45・「篠原古戦場・実盛塚」到着。
道端にポツンとあるだけだと思っていたら、車道からは見えませんが、民家の間にある専用道を奥に歩くと、小さな公園のようになっていました。
20150510NotoS033s.jpg
手入れが着き届いています。
歌舞伎などで有名な「実盛」が討ち死にした所です。

斎藤別当実盛は、武蔵の国の武将で、源頼朝の父・義朝に従っていたが、義朝の異母弟・義賢が北関東・上野に下ってきたので、他の武蔵の豪族とともに義賢方に移った。
これに危機感を感じた義朝の嫡男・悪源太義平が、義賢を攻めて討ち取った。
その時、義賢の嫡男を守り、信義の篤い信濃・木曽の中原兼遠にその子を預けた。
それが後の木曽義仲です。

清和天皇の子が臣籍降下して起こった清和源氏の中で、もっとも実力があったのは河内源氏。
その嫡流が源為義で、その嫡男が義朝。
でも義朝は父と不仲で、嫡男の仕事を放り投げ、無断で関東に下り相模で勢力を伸ばした。

義賢は、兄・義朝に代わり、河内源氏の嫡男優遇で、父とともに京にいて軍事的な仕事で実績を残していった。
この時点で、河内源氏の実質的嫡流は義賢になった。
義朝の勢力増進に危機感を持った為義が、義賢をそれに対抗させるべく上野に派遣した。

そんな複雑な情勢の中、主人を討たれた実盛は、元の鞘・義朝方に戻りました。
保元・平治の乱では、義朝方として戦ったが、平治の乱で義朝が討たれると、地元関東に落ち延びた。
その後、「平家であらずんば人にあらず」の世の中になり、平家方の有力武将として働いた。

主人・義朝の嫡男・頼朝が、平家打倒の旗揚げをしたが、平家に義を立てた。
平清盛の嫡男・小松重盛は、既に世になく、その嫡男・維盛の後見役として、維盛とともに頼朝軍と戦い不戦負けした「富士川の戦い」に従軍した。
頼朝は関東の地固めを優先する間に、木曽義仲が北陸道を京に向かって進撃する。
一連の源平の合戦で、初めて両軍が正面衝突した「倶利伽羅峠の戦い」で、平家が大敗したが、ここ篠原で態勢を立て直し、再び両軍相まみえた。

能登ツーリング・1日目 2/10
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