4/26・宇治上神社

『本殿は、正面一間の流造の内殿3棟を並立させ、それを流造の覆い屋で覆った特殊な形式となっています。建立年代は、蟇股の意匠及び組物などの細部の特徴から平安時代後期に造営されたものとみられ、現存する神社本殿としては最古の建築です。また拝殿は、鎌倉時代のはじめに建てられたもので、現存する最古の拝殿です。意匠的には、切妻造の母屋の左右に庇をつけた形であり、屋根はその部分が縋破風(すがるはふう)となっていることなど、住宅風となっている点に特徴があります。神のための本殿に対し、人の使う拝殿には住宅建築の様式が採用されることが多く、ここでは拝殿が初めて建てられた頃の住宅建築の様式である神殿造の軽快な手法が、鎌倉時代の再建にも受け継がれたと考えられます。本殿の後方は広大な森林が広がっており、こうした環境は緩衝地帯の一部となっている』

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国宝・「拝殿」の屋根は、檜皮葺の遠慮がちで綺麗な反りをしていますが、上方から見ると変形した八角形です。
典型的な「神社」のそれとは大きく違います。
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拝殿前には「清め砂」左右に円錐形の山を作っています。

「桐原水」という湧水?井戸がありました。
覆い屋に入ると、綺麗な水をたたえており、チョロチョロと音がしていたので、井戸の下から湧いているのではなさそうです。

国宝の本殿には、覆い屋も書かれていたので、覆い屋と内殿3社全て国宝指定されているようです。
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摂社に小ぶりの春日神社がありました。
こちらの方が典型的な神社風の建築様式で、僕にはより良く映りました。
平入りの屋根が長めの流れ屋で、これも鎌倉時代のもので、重要文化財指定されていました。

車に向かってトコトコ歩いていると、住宅の横に小さな祠がありました。
習慣で謂れ板を読むと、『末多武利神社 宇治は無常を意味する「憂し」に通ずるともいわれ、藤原一族の栄華の舞台となる一方、失意に打ちひしがれた人々も受け入れてきました。宇治民部卿と呼ばれた藤原忠文もその1人で、天慶2年(940)に参議となり、翌年征夷大将軍として関東の平将門の乱の平定に向かいましたが、到着以前に将門は討たれ、事件は解決していました。大納言・藤原実頼によって恩賞の対象から外された忠文は実頼を深く恨み、死後のその一族に取り付いて祟ったと言われる。末多武利神社は、この忠文の怨霊を鎮魂する祠と言われています』

好きな平将門が、関八州を平定し、京都朝廷からの国司を追い返し独立した「天慶の乱」ですね。
将門の物語を読むと藤原忠文は必ず出てきます。
将門討ち死後の物語は、負け戦で敗走中に、流れ矢が将門に命中し、ラッキーにも勝利を得た俵藤太秀郷のその後や、将門の弟などの将門親族のその後などが書かれて終わります。
しかし、不運の将というか、ラッキーにも勇将将門に相対せず、討ち死にを免れた忠文のことは書かれていません。
怨霊になって祟ったのですね。
新たな歴史知識を得ました。

7:20~8:09・タイムズ宇治橋東詰・100円。
宇治橋を渡り、r241で宇治川土手を下り、R24を京都に向かって北上。
観月橋で再び宇治川を渡り、「御香宮神社」横を走ります。
事前調べで拝観時間が書かれていたので、時間外は入れないと思い訪問予定から外したけど、駐車場に車が停まっていました。
一部だけ見れないだけで、その他は観れたのかな?
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