4/26・宇治神社

『紫式部が11世紀に書いたと言われる源氏物語は、全体で54帖からなっていますが、45~54帖までは、宇治を主要な舞台にしていることから、「宇治十帖」と呼ばれています。物語の前半部分は、華やかな宮廷生活を舞台に、光源氏と彼を取り巻く女性たちの織りなす様々な人間関係が華麗に描かれていますが、これに対し「宇治十帖」は、光源氏亡き後、子の薫、孫の匂宮・大君、中君・浮舟の3人の姫君の切なくもはかない悲恋の物語が描かれています。源氏物語はフィクションですが、宇治川周辺には源氏物語を愛する人々によって、いつの頃からか宇治十帖の各帖に因んだ古跡が設定され、当時と変わらぬ宇治川の清流や木々の緑、静かな佇まいを見せる周辺の町並みと相まって、訪れる人々を源氏物語の世界へ誘ってくれます』

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宇治川の対岸に、平等院の屋根だけ見えています。
「宇治神社」の朱鳥居が宇治川に向かって立っており、山に向かってゆるやかに登る参道を入って行きます。

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『宇治神社は、日本書紀に「応神天皇の皇子で、兄である仁徳天皇との皇位を巡る葛藤から宇治で自殺した」と記されている悲運の皇太子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の等身大の坐像を祀っており、付近は菟道稚郎子が造営した桐原日桁宮跡(きりはらのひげたのみやあと)と伝えられています。また明治維新までは、宇治上神社と二社一体で、それぞれ離宮上社・離宮下社と名付けられていました。現在の本殿及び外陣の狛犬は鎌倉時代に造られたもので、格調高い作品
として極めて貴重です』

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『菟道稚郎子は、応神天皇から天位に任命されるが、儒教思想(長子相続)を学んでいたので兄・仁徳天皇との譲り合いの後、死を持って節を全うした。の地に兄の仁徳天皇は弟の宮居に祠を建て、神霊を祀ったのがこの神社の始まりです』

15代・応神天皇は、亡き夫・仲哀天皇の意思を遂行し朝鮮半島に渡り、三韓征伐を成し遂げた、古代史で卑弥呼と並ぶヒロイン・神功皇后の息子で、ヤマトタケルの孫です。
この時代の古墳の規模が最も大きく、天皇家がヒーローとして政治の表舞台で活躍した最も輝いていた時代と想像しています。
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「宇治」はこの宮の主祭神・うじのわきいらつこの当て字なのでしょう。
本殿は、細かい彫刻美やセンスの良い屋根形状などはありませんが、朴訥とした雰囲気を醸し出す檜皮葺の感じの良い造りでした。

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7:46、「宇治上神社」到着。
ここは世界遺産登録されているようです。
宇治平等院同様、「古都京都の文化財」として金閣寺など他の寺社とともに指定されているようです。
明治維新まで二社一体だったので、祭神などは宇治神社と同様です。
でもさすが世界遺産指定だけあり、こちらの社殿の方が良いです。
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