4/26・宇治・県神社

日曜日は、4週連続の大学ヨット部の新人勧誘手伝いです。
10時に大学正門に行けばいいので、また家内と朝の京都を楽しみましょう。
4:30に目覚めたので、天気予報をチェックし、訪問予定神社をパナソニックゴリラナビに登録し、車に荷物を積み込んで準備します。
車の日産純正ナビより、バイクで使ってるモバイルゴリラナビの方が、操作が直感的で使いやすいし、自宅で登録できるので時々車でも時々使っています。

5:40、家内と一緒に車に乗り込み、自宅を出発。
フロントガラスにうっすら砂が乗っています。
朝日が正面から入りますが、朱の夜明けの朝日ではないのに、眩しくない。
GWは黄砂の季節ですね。

豊中ICから中国道に乗り、名神~大山崎JCT~京滋バイパス~6:17・「宇治西IC」下車。
r241で宇治川土手をさかのぼり、宇治橋から県(あがた)神社の鳥居をくぐったらr3。
最初の目的地・県神社に6:26到着。

大鳥居からの参道の長さに比べ、境内はそれほど大きくないお宮でした。
横には世界遺産「宇治平等院・鳳凰堂」があるので、明治以前の神仏習合時代は、その守り神であったのかもしれないと想像して来ました。

『県とは、大和政権が西日本の要地に設けた地域組織で、特に畿内にあった県は、政治と祭祀に重要な位置を占めていたと言われており、当時の宇治が属したと言われる栗隈県に社名の起源を求めることができる。祭神は木之花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と言われ、1052年に藤原頼通が平等院を建立した時、その鎮守をしたとも伝えられている。毎年6/5から6日の未明にかけて行われる県まつりは、暗夜の奇祭といわれ、多くの人出で賑わっています』

『当社は、天孫天津彦彦火ニニギの妃・木之花咲耶姫を奉祀する。「あがた」の名は、上古の「県」の守護出会ったことを示し、神代以来当地の地主神であった。1052年、関白藤原頼通の平等院建立にあたり、当院総鎮守となり、藤原氏の繁栄を祈請したのである。明治維新まで三井寺(大津市)の管理であった。これは平等院が三井門主の開眼に掛かり、天台宗に属していたためである。維新後は、神仏分離令により、その管理を離れた』

20150426UjiS022s.jpg
拝殿には、桜紋が入っていた。
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神社といえば天皇家の菊の紋が通り相場だが、藤原氏の藤紋でもなく桜とは珍しい。

無料の県神社の駐車場に車を入れたまま、「橋姫神社」を歩いて探すことにしました。
事前に調べた地図では宇治橋からここまでの間にあったのだが、見つけることが出来ませんでした。
20150426UjiS029s.jpg
宇治茶の本場なので、お茶の販売店が多い。
20150426UjiS030s.jpg
足元の化粧タイルに埋め込まれた道標に「橋姫神社」を見つけた。
それの示す方向を見ると、民家の駐車場門扉のようなとこの奥に神社がありました。
車やバイクでは早くて通りすぎてしまいます。
門扉が閉じられているので、門扉越しに中を伺うと、家内から「開いてるんじゃないの?」
横にずらせば開きました。

京都・宇治上神社・藤森神社 1/3
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